「大シリア主義」の版間の差分
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'''大シリア主義(だいしりあしゅぎ)'''は、[[シリア]]を中心に発達した[[民族主義]]の一種。[[アラブ]]世界において数少ない穀倉・農耕地帯である[[シャーム]]地方とも重なる、シリア・[[レバノン]]・[[パレスチナ]]・[[ヨルダン]]地方は元来は「大シリア」と呼ばれる文化的共通地帯であり、シリアを中心に統一された国家を築くべきとする主張を旨とする。場合によってはこれに[[エジプト]]・[[イラク]]・[[キプロス]]・[[トルコ]]の一部([[アンティキオス]]・[[アレキサンドレッタ]]地方)をも含める場合もある。 |
'''大シリア主義(だいしりあしゅぎ)'''は、[[シリア]]を中心に発達した[[民族主義]]の一種。[[アラブ]]世界において数少ない穀倉・農耕地帯である[[シャーム]]地方とも重なる、シリア・[[レバノン]]・[[パレスチナ]]・[[ヨルダン]]地方は元来は「大シリア」と呼ばれる文化的共通地帯であり、シリアを中心に統一された国家を築くべきとする主張を旨とする。場合によってはこれに[[エジプト]]・[[イラク]]・[[キプロス]]・[[トルコ]]の一部([[アンティキオス]]・[[アレキサンドレッタ]]地方)をも含める場合もある。 |
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明確な提唱者は存在しないが、この大シリア主義を掲げる政党としてはシリア社会民族主義者党︵SSNP、[[レバノンの政党]]参照︶がある。ただし、歴代のシリアの政治家はこの大シリア主義を何らかの形で持ち合わせてきた。特に[[第一次世界大戦]]後にはシリア・レバノンにおける反仏闘争の支柱となった。[[第二次世界大戦]]後には、[[汎アラブ主義]]と連携し、時には対立する事となった。1975年に発生した[[レバノン内戦]]へのシリア介入の意図の一つとなったが、現実には[[キリスト教]][[マロン派]]の[[フェニキア主義]]、[[PLO]]や[[イスラム教]][[ドルーズ派]]の独自路線、1980年代以降の[[イスラム |
明確な提唱者は存在しないが、この大シリア主義を掲げる政党としてはシリア社会民族主義者党︵SSNP、[[レバノンの政党]]参照︶がある。ただし、歴代のシリアの政治家はこの大シリア主義を何らかの形で持ち合わせてきた。特に[[第一次世界大戦]]後にはシリア・レバノンにおける反仏闘争の支柱となった。[[第二次世界大戦]]後には、[[汎アラブ主義]]と連携し、時には対立する事となった。1975年に発生した[[レバノン内戦]]へのシリア介入の意図の一つとなったが、現実には[[キリスト教]][[マロン派]]の[[フェニキア主義]]、[[PLO]]や[[イスラム教]][[ドルーズ派]]の独自路線、1980年代以降の[[イスラム原理主義]]とぶつかる事となった。
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2005年2月8日 (火) 03:30時点における版
大シリア主義(だいしりあしゅぎ)は、シリアを中心に発達した民族主義の一種。アラブ世界において数少ない穀倉・農耕地帯であるシャーム地方とも重なる、シリア・レバノン・パレスチナ・ヨルダン地方は元来は﹁大シリア﹂と呼ばれる文化的共通地帯であり、シリアを中心に統一された国家を築くべきとする主張を旨とする。場合によってはこれにエジプト・イラク・キプロス・トルコの一部︵アンティキオス・アレキサンドレッタ地方︶をも含める場合もある。
明確な提唱者は存在しないが、この大シリア主義を掲げる政党としてはシリア社会民族主義者党︵SSNP、レバノンの政党参照︶がある。ただし、歴代のシリアの政治家はこの大シリア主義を何らかの形で持ち合わせてきた。特に第一次世界大戦後にはシリア・レバノンにおける反仏闘争の支柱となった。第二次世界大戦後には、汎アラブ主義と連携し、時には対立する事となった。1975年に発生したレバノン内戦へのシリア介入の意図の一つとなったが、現実にはキリスト教マロン派のフェニキア主義、PLOやイスラム教ドルーズ派の独自路線、1980年代以降のイスラム原理主義とぶつかる事となった。