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「尾形亀之助」の版間の差分

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素封家に生まれるも生涯にわたってほぼ定職を持たず実家からの仕送りで生活し、詩に没頭するという無頼の人生を送った。晩年は実家の没落により窮乏。貧困と病苦、妻との不和に悩まされ失意の日々を過ごした。[[1942年]]12月2日、手押しの寝台車で宮城県[[仙台市]]の尾形家の持家である空き家に運ばれた後、全身衰弱のため死去。戒名は自得院本源道喜居士<ref>[[工藤寛正|岩井寛]]『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版、1997年)65頁</ref>。日頃から[[餓死]][[自殺]]願望を口にしており、自殺であったという説もある。

素封家に生まれるも生涯にわたってほぼ定職を持たず実家からの仕送りで生活し、詩に没頭するという無頼の人生を送った。晩年は実家の没落により窮乏。貧困と病苦、妻との不和に悩まされ失意の日々を過ごした。[[1942年]]12月2日、手押しの寝台車で宮城県[[仙台市]]の尾形家の持家である空き家に運ばれた後、全身衰弱のため死去。戒名は自得院本源道喜居士<ref>[[工藤寛正|岩井寛]]『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版、1997年)65頁</ref>。日頃から[[餓死]][[自殺]]願望を口にしており、自殺であったという説もある。


[[辻まこと]]([[辻潤]]の子)は北支の戦地でも限定70部の尾形の詩集を肌身離さず持ち歩き、日本に持ち帰ったという<ref>[https://www.dailyshincho.jp/article/2013/05011300/?all=1 「自由」を思い続けた父子/『山靴の画文ヤ辻まことのこと』]デイリー新潮</ref>。



== 詩集 ==

== 詩集 ==


2020年10月24日 (土) 10:01時点における版


  19001212 - 1942122退



1923稿

1942122[1]

70[2]

詩集

  • 『色ガラスの街』
  • 『雨になる朝』
  • 『障子のある家』

脚注

  1. ^ 岩井寛『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版、1997年)65頁
  2. ^ 「自由」を思い続けた父子/『山靴の画文ヤ辻まことのこと』デイリー新潮

外部リンク