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素封家に生まれるも生涯にわたってほぼ定職を持たず実家からの仕送りで生活し、詩に没頭するという無頼の人生を送った。晩年は実家の没落により窮乏。貧困と病苦、妻との不和に悩まされ失意の日々を過ごした。[[1942年]]12月2日、手押しの寝台車で宮城県[[仙台市]]の尾形家の持家である空き家に運ばれた後、全身衰弱のため死去。戒名は自得院本源道喜居士<ref>[[工藤寛正|岩井寛]]『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版、1997年)65頁</ref>。日頃から[[餓死]][[自殺]]願望を口にしており、自殺であったという説もある。 |
素封家に生まれるも生涯にわたってほぼ定職を持たず実家からの仕送りで生活し、詩に没頭するという無頼の人生を送った。晩年は実家の没落により窮乏。貧困と病苦、妻との不和に悩まされ失意の日々を過ごした。[[1942年]]12月2日、手押しの寝台車で宮城県[[仙台市]]の尾形家の持家である空き家に運ばれた後、全身衰弱のため死去。戒名は自得院本源道喜居士<ref>[[工藤寛正|岩井寛]]『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版、1997年)65頁</ref>。日頃から[[餓死]][[自殺]]願望を口にしており、自殺であったという説もある。 |
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[[辻まこと]]([[辻潤]]の子)は北支の戦地でも限定70部の尾形の詩集を肌身離さず持ち歩き、日本に持ち帰ったという<ref>[https://www.dailyshincho.jp/article/2013/05011300/?all=1 「自由」を思い続けた父子/『山靴の画文ヤ辻まことのこと』]デイリー新潮</ref>。 |
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== 詩集 == |
== 詩集 == |
2020年10月24日 (土) 10:01時点における版
尾形 亀之助︵おがた かめのすけ、1900年12月12日 - 1942年12月2日︶は、日本の詩人。宮城県柴田郡大河原町出身。東北学院普通部中退。
近代に活躍した詩人で、﹁歴程﹂の創刊同人。大河原町の繁昌院に墓がある。
石原純、原阿佐緒らの歌誌﹁玄土﹂に参加して短歌を発表しながら上京して画家を目指す。1923年に詩に転向し、﹃月曜﹄などいくつかの詩誌を主催。その﹃月曜﹄には宮沢賢治が童話﹃オツベルと象﹄﹃ざしき童子のはなし﹄﹃猫の事務所﹄を寄稿している。
素封家に生まれるも生涯にわたってほぼ定職を持たず実家からの仕送りで生活し、詩に没頭するという無頼の人生を送った。晩年は実家の没落により窮乏。貧困と病苦、妻との不和に悩まされ失意の日々を過ごした。1942年12月2日、手押しの寝台車で宮城県仙台市の尾形家の持家である空き家に運ばれた後、全身衰弱のため死去。戒名は自得院本源道喜居士[1]。日頃から餓死自殺願望を口にしており、自殺であったという説もある。
辻まこと︵辻潤の子︶は北支の戦地でも限定70部の尾形の詩集を肌身離さず持ち歩き、日本に持ち帰ったという[2]。
詩集
- 『色ガラスの街』
- 『雨になる朝』
- 『障子のある家』
脚注
- ^ 岩井寛『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版、1997年)65頁
- ^ 「自由」を思い続けた父子/『山靴の画文ヤ辻まことのこと』デイリー新潮