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'''山本 実彦'''(やまもと さねひこ、[[1885年]][[1月5日]] - [[1952年]][[7月1日]])は、[[改造社]]社長。[[鹿児島県]][[薩摩川内市]]出身。[[日本大学]]卒。 |
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{{政治家 |
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|人名 = 山本 実彦 |
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|各国語表記 = |
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|画像 = Yamamoto Sanehiko.jpg |
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|画像説明 = |
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|国略称 = |
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|生年月日= {{生年月日と年齢|1885|1|5|no}} |
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|出生地 = {{JPN}}・[[鹿児島県]][[高城郡 (鹿児島県)|高城郡]]水引郷大小路村<br />(現・鹿児島県[[薩摩川内市]][[大小路町]]) |
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|没年月日= {{死亡年月日と没年齢|1885|1|5|1952|7|1}} |
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|出身校 = [[日本大学]]法律科 |
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|国旗 = JPN |
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|職名 = [[衆議院|衆議院議員]] |
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|当選回数 = 2回 |
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|国旗2 = |
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|職名2 = [[協同民主党]]委員長 |
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'''山本 実彦'''(やまもと さねひこ、[[1885年]]〈[[明治]]18年〉[[1月5日]] - [[1952年]]〈[[昭和]]27年〉[[7月1日]])は、[[日本]]の[[ジャーナリスト]]。[[改造社]]社長。[[雅号]]は'''亀城'''。 |
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==経歴== |
== 経歴 == |
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[[鹿児島県]][[高城郡 (鹿児島県)|高城郡]]水引郷大小路村︵現在の鹿児島県[[薩摩川内市]][[大小路町]]︶出身{{Sfn|川内郷土史編さん委員会|1980|p=1031}}。1885年︵明治18年︶1月、にて[[鍛冶屋]]山本庄之助の長男として出生する。実彦が小学生の頃に生家の経済状況が悪化、困窮を極めたことから[[鹿児島県立川内高等学校|旧制鹿児島県立川内中学校]]<ref>﹃鹿児島大百科事典﹄︵1981年 南日本新聞社︶﹁川内高等学校﹂</ref>を[[退学|自主退学]]。自ら働くことを決意して[[沖縄]]に渡り、離島にて[[1902年]]︵明治35年︶に[[代用教員]]の職を得る。
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「門司新報」「[[やまと新聞]]」記者を経て、[[1915年]]に[[東京毎日新聞]]社(旧[[横浜毎日新聞]]現在の[[毎日新聞]]とは資本関係はない)社長に就任。 |
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[[1904年]]に19歳で上京、[[郵便]]及び[[筆耕]]屋の仕事の傍ら[[日本大学]]法律科を卒業{{efn2|[[法政大学]]専門部とする資料もあるが、[[松原一枝]]『改造社と山本実彦』43pによれば、戦後公職適否審査委員会提出のために本人が書いた履歴書を見た[[木佐木勝]]が、日大卒と記入されているのを確認したという。}}。『[[門司新報]]』『[[やまと新聞]]』記者を経て、[[1915年]]([[大正]]4年)に[[横浜毎日新聞|東京毎日新聞]]社(現在の[[毎日新聞]]とは資本関係はない)社長に就任。この間、[[1912年]](明治45年)に[[東京市会]]議員に選出された<ref>[http://www.fl.reitaku-u.ac.jp/~rsakurai/fuken/tokyosisi.pdf 制限選挙期における東京市会議員総選挙の結果について(櫻井良樹)]</ref>。 |
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[[1919年]]には[[改造社]]を創業し、総合雑誌『[[改造 (雑誌)|改造]]』を創刊。大正期最大のベストセラーとなった[[賀川豊彦]]の『死線を越えて』、[[志賀直哉]]の『暗夜行路』や[[林芙美子]]の『放浪記』、[[火野葦平]]の『麦と兵隊』など堂々たる作家人達がこぞって執筆し『[[中央公論]]』と併称される知識人に圧倒的に支持され、必読の総合雑誌となる。また[[1927年]]、世間を一世風靡した「[[円本]]」の先駆けとなった『現代日本文学全集』全63巻を刊行し、それまで経済的に困窮していた作家たちの生活は、それによって大いに潤うこととなった。[[1930年]]、[[立憲民政党]]から[[衆議院選挙]]に当選し、[[戦後]]は[[中道主義]]を掲げた[[協同民主党]]を結成し委員長となった。しかし山本亡きあと、三年で総合雑誌『改造』は労働争議の末、廃刊となる。 |
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[[1919年]](大正8年)には[[改造社]]を創業し、総合雑誌『[[改造 (雑誌)|改造]]』を創刊。大正期最大のベストセラーとなった[[賀川豊彦]]の「死線を越えて」、[[志賀直哉]]の「[[暗夜行路]]」や[[林芙美子]]の「[[放浪記]]」、[[火野葦平]]の「[[麦と兵隊]]」など堂々たる作家人達がこぞって執筆し『[[中央公論]]』と併称される知識人に圧倒的に支持され、必読の総合雑誌となる。また[[1927年]](昭和2年)、世間を一世風靡した「[[円本]]」の先駆けとなった『現代日本文学全集』全63巻を刊行し、それまで経済的に困窮していた作家たちの生活は、それによって大いに潤うこととなった。[[1930年]](昭和5年)、[[立憲民政党]]から[[衆議院選挙]]に当選し、[[戦後]]は[[中道主義]]を掲げた[[協同民主党]]を結成し委員長に就任。[[三木武夫]]を入党させるなどしたが、[[公職追放]]となる<ref>{{citation |
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[[アルベルト・アインシュタイン]]や[[バートランド・ラッセル]]など来日招聘にも尽力し、日本の科学界や思想界にも貢献した。雅号は亀城。 |
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| 和書 |
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| title = 公職追放に関する覚書該当者名簿 |
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| editor = 総理庁官房監査課 |
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| publisher = 日比谷政経会 |
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| year = 1949 |
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| page = [{{NDLDC|1276156/690}} 690] |
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| ref = harv |
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}}</ref>。[[1951年]]︵昭和26年︶追放解除<ref>﹁朝日新聞﹂1951年8月7日二面 ﹁第二次追放解除者﹂﹁放送出版社役員﹂の部</ref>。翌[[1952年]]︵昭和27年︶7月死去。墓所は[[青山霊園]](1イ8-3)。総合雑誌﹃改造﹄は山本亡きあと、3年で[[労働争議]]の末、廃刊となる。
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[[アルベルト・アインシュタイン]]や[[バートランド・ラッセル]]の来日招聘にも尽力し、日本の[[科学]]界や[[思想]]界にも貢献した。 |
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== 著書 == |
== 著書 == |
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*『政府部内人物評』政府研究会 1909 |
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*『政界の寧馨児』博文館 1910 |
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*『我観南国』東京堂書店 1916 |
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*『[[川崎正蔵]]』吉松定志 1918 |
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*『人を見よ山を見よ』吉松定志 1918 |
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*『満・鮮』改造社 1932 |
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*『小閑集』改造社 1934 |
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*『蒙古』改造社 1935 |
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*『支那』改造社 1936 |
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* |
*『支那事変 北支の巻』改造社 1937 |
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* |
*『人と自然』改造社 1937 |
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*『大陸縦断』改造社 1937 |
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* |
*『興亡の支那を凝視めて』改造社 1938 |
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*『渦まく支那』改造社 1939 |
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*『新欧羅巴の誕生』改造社 1940 |
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*『歐洲の現勢と獨英の將來』改造社 1940 |
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* |
*『蘇聯瞥見』改造社 1941 |
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*『巨いなる歩み』改造社 1942 |
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* |
*『世界文化人巡礼』改造社 1948 |
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== 脚注 == |
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{{脚注ヘルプ}} |
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=== 注釈 === |
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=== 出典 === |
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{{Reflist|2}} |
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== 参考文献 == |
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* {{Cite book|和書 |
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|author = 川内郷土史編さん委員会 |
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|year = 1980 |
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|title = 川内市史 下巻 |
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|ref = {{SfnRef|川内郷土史編さん委員会|1980}} |
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}} |
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* {{Cite book|和書 |
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|author = [[松原一枝]] |
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|year = 2000 |
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|title = 改造社と山本実彦 |
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|publisher = [[南方新社]] |
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|isbn = 4-931376-31-2 |
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|ref = {{SfnRef|松原|2000}} |
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}} |
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== 外部リンク == |
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* {{青空文庫著作者|1368|山本 実彦}} |
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* [http://yamamoto-sanehiko.com/index.php 山本實彦顕彰委員会] - 出生地薩摩川内市で山本實彦顕彰碑建立の活動を行っている団体 |
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{{先代次代|[[日本協同党|日本協同党委員長]]|初代<br>1946年|(結成)|(解散)}} |
{{先代次代|[[日本協同党|日本協同党委員長]]|初代<br>1946年|(結成)|(解散)}} |
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{{Normdaten}} |
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[[Category:日本の男性ジャーナリスト]] |
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[[Category:日本の実業家]] |
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[[Category: |
[[Category:日本の雑誌編集者]] |
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[[Category: |
[[Category:改造社の歴史]] |
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[[Category:鹿児島県選出の衆議院議員 (帝国議会)]] |
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[[Category:昭和時代戦前の衆議院議員]] |
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[[Category:東京市会議員]] |
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[[Category:公職追放者]] |
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[[Category:横浜毎日新聞の人物]] |
[[Category:横浜毎日新聞の人物]] |
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[[Category:やまと新聞の人物]] |
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[[Category:日本大学出身の人物]] |
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[[Category:鹿児島県立川内高等学校出身の人物]] |
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[[Category:鹿児島県出身の人物]] |
[[Category:鹿児島県出身の人物]] |
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[[Category:1885年生]] |
[[Category:1885年生]] |
2023年11月1日 (水) 02:53時点における最新版
山本 実彦 | |
---|---|
| |
生年月日 | 1885年1月5日 |
出生地 |
日本・鹿児島県高城郡水引郷大小路村 (現・鹿児島県薩摩川内市大小路町) |
没年月日 | 1952年7月1日(67歳没) |
死没地 | 日本 |
出身校 | 日本大学法律科 |
選挙区 |
(鹿児島県第2区→) (鹿児島全県区) |
当選回数 | 2回 |
在任期間 |
1930年2月21日 - 1932年2月19日 1946年4月11日 - 1947年2月14日 |
協同民主党委員長 | |
在任期間 | 1946年5月24日 - 1947年3月8日 |
日本協同党委員長 | |
在任期間 | 1945年12月18日 - 1946年5月24日 |
経歴[編集]
鹿児島県高城郡水引郷大小路村︵現在の鹿児島県薩摩川内市大小路町︶出身[1]。1885年︵明治18年︶1月、にて鍛冶屋山本庄之助の長男として出生する。実彦が小学生の頃に生家の経済状況が悪化、困窮を極めたことから旧制鹿児島県立川内中学校[2]を自主退学。自ら働くことを決意して沖縄に渡り、離島にて1902年︵明治35年︶に代用教員の職を得る。 1904年に19歳で上京、郵便及び筆耕屋の仕事の傍ら日本大学法律科を卒業[注 1]。﹃門司新報﹄﹃やまと新聞﹄記者を経て、1915年︵大正4年︶に東京毎日新聞社︵現在の毎日新聞とは資本関係はない︶社長に就任。この間、1912年︵明治45年︶に東京市会議員に選出された[3]。 1919年︵大正8年︶には改造社を創業し、総合雑誌﹃改造﹄を創刊。大正期最大のベストセラーとなった賀川豊彦の﹁死線を越えて﹂、志賀直哉の﹁暗夜行路﹂や林芙美子の﹁放浪記﹂、火野葦平の﹁麦と兵隊﹂など堂々たる作家人達がこぞって執筆し﹃中央公論﹄と併称される知識人に圧倒的に支持され、必読の総合雑誌となる。また1927年︵昭和2年︶、世間を一世風靡した﹁円本﹂の先駆けとなった﹃現代日本文学全集﹄全63巻を刊行し、それまで経済的に困窮していた作家たちの生活は、それによって大いに潤うこととなった。1930年︵昭和5年︶、立憲民政党から衆議院選挙に当選し、戦後は中道主義を掲げた協同民主党を結成し委員長に就任。三木武夫を入党させるなどしたが、公職追放となる[4]。1951年︵昭和26年︶追放解除[5]。翌1952年︵昭和27年︶7月死去。墓所は青山霊園(1イ8-3)。総合雑誌﹃改造﹄は山本亡きあと、3年で労働争議の末、廃刊となる。 アルベルト・アインシュタインやバートランド・ラッセルの来日招聘にも尽力し、日本の科学界や思想界にも貢献した。著書[編集]
- 『政府部内人物評』政府研究会 1909
- 『政界の寧馨児』博文館 1910
- 『我観南国』東京堂書店 1916
- 『川崎正蔵』吉松定志 1918
- 『人を見よ山を見よ』吉松定志 1918
- 『満・鮮』改造社 1932
- 『小閑集』改造社 1934
- 『蒙古』改造社 1935
- 『支那』改造社 1936
- 『支那事変 北支の巻』改造社 1937
- 『人と自然』改造社 1937
- 『大陸縦断』改造社 1937
- 『興亡の支那を凝視めて』改造社 1938
- 『渦まく支那』改造社 1939
- 『新欧羅巴の誕生』改造社 1940
- 『歐洲の現勢と獨英の將來』改造社 1940
- 『蘇聯瞥見』改造社 1941
- 『巨いなる歩み』改造社 1942
- 『世界文化人巡礼』改造社 1948
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
- ^ 川内郷土史編さん委員会 1980, p. 1031.
- ^ 『鹿児島大百科事典』(1981年 南日本新聞社)「川内高等学校」
- ^ 制限選挙期における東京市会議員総選挙の結果について(櫻井良樹)
- ^ 総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、690頁。NDLJP:1276156。
- ^ 「朝日新聞」1951年8月7日二面 「第二次追放解除者」「放送出版社役員」の部
参考文献[編集]
●川内郷土史編さん委員会﹃川内市史 下巻﹄川内市、1980年。 ●松原一枝﹃改造社と山本実彦﹄南方新社、2000年。ISBN 4-931376-31-2。外部リンク[編集]
●山本 実彦‥作家別作品リスト - 青空文庫 ●山本實彦顕彰委員会 - 出生地薩摩川内市で山本實彦顕彰碑建立の活動を行っている団体
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