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雅号︵がごう︶は、文人・画家・書家などが、本名以外につける風雅な名のことである。
雅号の風習は中国から伝わったものである。特に、俳人であれば俳号︵俳名︶、吟詠家であれば吟号などともいう。ここで本名とは明治維新以前に公的に用いられた﹁本姓・氏︵ウヂ︶﹂+﹁諱﹂︵朝廷との関係における公式名︶、﹁家名・名字﹂+﹁通称﹂︵封建的主従関係における公式名︶、及びこれらの構成要素あるいは明治維新以降の公的人名である戸籍名を指す。
本来、自らが自由に名乗るものではあるが、今日の習い事などにおいては、師匠につけて貰う、師匠から一字を貰う、技術段階︵段位等︶によって決まった字を用いる、といった制約がある場合もある。しかしその場合でも、技術段階によって雅号を改めることが多い。
江戸時代までは上記のように、個人の名前は姓と諱、名字と通称、さらには字など、複数の名前を一人が持つことが認められてきた。しかし、明治時代になると氏名が戸籍に記録され、それ以外の名前を持つことは禁じられた。これに反発する形で、﹁雅号﹂が当時の知識人に多く見られるようになった。明治初期の文人に漱石や鷗外のような雅号を使用している者が多いのはそのためである。また、知識人以外にも、軍人や商人など、およそ文化とは関係ない者まで使用する流行となった。これが逆に知識人の反発を招き、堺利彦のように﹁﹃枯川﹄といふ号は使用しません﹂と、雅号の使用をやめるものが増え、大正期には雅号の流行は終わり、一部の使用にとどまっている。