牛島辰熊

牛島辰熊

牛島 辰熊︵うしじま たつくま、1904年3月10日 - 1985年5月26日︶は、日本の柔道家︵九段︶。熊本県出身。その圧倒的な強さと気の荒さから﹁鬼の牛島﹂と称された。

史上最強を謳われる木村政彦の師匠として有名だが、牛島自身も木村に負けぬ実績を持つ強豪中の強豪である。

来歴

古流柔術で命を賭けた稽古

熊本県熊本市の製油業者の家に生まれる。

元々は剣道を修行していたが、15歳の時に長兄の影響で肥後柔術三道場の一つ、扱心流江口道場に入門した。熊本では講道館柔道よりも、まだまだ古流柔術の方が盛んであった。

この肥後柔術三道場の対抗戦はまさに命懸けで、判定勝利はなく﹁参った﹂のみで勝負を決した。時には腰に短い木刀を差して試合をやり、投げて組み伏せ、最後は木刀で相手の首を掻き斬る動作をして一本勝ちとなるルールでも戦った。これら古流柔術は柔︵やわら︶をあくまで武士の戦場での殺人武術だとしていたのである。

まだ全日本選士権がない頃、実質的な日本一決定戦だった明治神宮大会を1925年から3連覇。

第1回天覧試合で惜敗し準優勝

1929年に開かれた第1回天覧試合では予選リーグを得意の寝技でオール一本勝ち、決勝を武専教授の強豪栗原民雄︵後の十段︶と争い、25分の激闘の末、惜しくも判定で敗れる。

第2回全日本選士権を制し優勝旗を持つ牛島辰熊︵1931年︶

天覧試合は毎年開催される物ではなく、皇室の記念行事なのでいつ次の天覧試合が開かれるか分からない。牛島は次に開催される天覧試合の雪辱を期し上京、皇宮警察、警視庁、東京商大、学習院、拓殖大学の師範となった。

そしてこの年の夏から東京でのさらなる猛稽古が始まった。あちこちに出稽古に回り、1日最低でも40本の乱取りをこなした。稽古後は消耗して階段も昇れず、食事は粥しか喉を通らない。朝起きると手の指が固く縮こまって開かず、湯につけて暖めながら少しずつ伸ばすほどの凄まじい稽古量をこなしていく。

当時最強の柔道家

これらの激しい稽古でさらに実力を伸ばし、全日本選士権ができてから第2回︵1931年︶・第3回︵1932年︶大会を連覇した。先の明治神宮大会と合わせ、現在で言えば全日本選手権を5度制したことになる、この時代を代表するまさに最強の柔道家だった。

1934年に、皇太子生誕記念の第2天覧試合が開催されたが敗れ、﹁負けは死と同義﹂と公言していた牛島らしく、即引退した。この時の牛島の敗戦は肝吸虫により体が衰弱しきっていたことが原因であった。

その後、私塾﹁牛島塾﹂を開き、木村政彦、船山辰幸、甲斐利之らを育てる名伯楽となった。

人物

鬼の牛島

北京で中国相撲の王者に異種格闘技戦を挑みこれを破った牛島辰熊。すでに引退して7年経っていたが、勝負になると鬼の牛島に戻った︵1941年︶

その柔道の荒々しさ、性格の豪放さは語り草で、﹁鬼の牛島﹂﹁不敗の牛島﹂と謳われ、対戦相手からは﹁猛虎﹂と恐れられた。鷲のような眼光鋭い目は、睨まれるだけで射すくめられたという。

朝は60kgあるローラーを牽きながら走り込み、深夜になると裸で大石を抱え上げて筋肉を鍛えた。さらに茶の葉を噛んで自身を奮い立たせ、大木に体当たりを繰り返した。そして仕上げはその大木に帯を縛り付けて背負い投げ千本の打ち込みをした。

試合前夜にはスッポンの血を飲み、当日はマムシの粉を口に含んで試合場に上がる。開始の合図と同時に突進して相手に躍りかかった。そして徹頭徹尾、攻めて攻めて攻め続ける。攻撃精神こそが牛島柔道の、鬼の柔道の信条であった。これは愛弟子の木村政彦にもそのまま受け継がれている。

1934年の皇太子生誕記念天覧試合では試合前から肝吸虫に体を冒され、体重が9kgも減って歩くことすらままならない状態だったが、精神力でカバーするために洞窟に籠もって1カ月間そこで坐禅し、宮本武蔵の﹃五輪書﹄を朗唱して試合に備えた。体が動かぬのを精神で補おうという壮絶な決意であった。結局牛島は敗れてしまったが、この病気さえなければ間違いなく優勝は彼だったと言われている。

柔道スタイル

得意技は内股、背負い投げ、横四方固。特に寝技を得意とした。

当時、高専大会で連覇を続けていた高専柔道の強豪・旧制六高に通ってその寝技技術を磨いた。曰く、﹁柔道はあくまで武術である。武士が戦場で刀折れ矢尽きたあとは、最後は寝技によって生死を決するのだ﹂との事。

晩年もその力は衰える事はなく、50才を越えた牛島が寝業の出稽古で明治大学に赴いた際も、同大学のエース的存在であった神永昭夫を子供扱いしたそうである。

東條英機暗殺計画

思想家としての顔も持ち、戦中、石原莞爾、加藤完治、浅原健三ら当時一流の者たちと交遊を持つ。

牛島は戦争を止めさせるために東條英機暗殺を企て逮捕され、執行猶予刑となった。

後に空手家の大山倍達が牛島を非常に慕うようになるが、大山は牛島の柔道の強さだけではなく、この思想家としての生き様に感動していたからである。

プロ柔道旗揚げ

戦後、武道が廃れていくのを嘆き、柔道家が生活できる基盤をつくるために国際柔道協会︵いわゆるプロ柔道︶を旗揚げ。後に国際柔道協会は行き詰まって潰れても、講道館は牛島にプロの烙印を押したままであった。

亡くなる前年の1984年に講道館100周年を記念して九段に昇段したが、その実績からすれば実質的な最高段位である十段まで登りつめても、何ら不思議はない柔道家だった。柔道殿堂にも当然入ってしかるべき実績を残しているが、やはりいまだに入っていない。そういう意味で、愛弟子の木村政彦ともに、やはり悲劇の柔道家といってもいいだろう。

この、決して権力に媚びない武道家としての生き様を、現在でも多くの柔道家が崇拝している。

木村政彦の師として

弟子の木村政彦

牛島は自身が叶えられなかった天覧試合制覇を制すために有望な選手を探す。見つけたのが母校の旧制鎮西中学の後輩木村政彦であった。

木村を拓大予科に引っぱり自宅で衣食住の面倒をみながら激しい稽古をつけ、不世出の柔道王・木村政彦を育てた。。

1940年の第3回天覧試合に向けて、木村は毎日10時間をこえる稽古を繰り返し、牛島も木村の優勝を願って毎夜水垢離をして、遂に師弟が悲願としていた天覧試合制覇がなるのである。

その激しいまでの師弟愛は﹁師弟の鏡﹂と絶賛された。

﹁鬼の木村﹂の鬼の称号は、この師匠牛島から受け継がれたものだ。

晩年も牛島は木村の事を気に掛けていたようで、“昭和の巌流島”と呼ばれた木村と力道山との戦いでは、木村が敗れると真っ先にリングに駆け上がり、また、会場を去る木村に寄り添う牛島の映像が残されている。

妻や娘に﹁なぜあの時リングに上がったのですか﹂と聞かれ、﹁木村の骨を拾えるのは俺しかいない﹂と目を潤ませながら語った。

関連作品

●増田俊也﹃木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか﹄︵新潮社︶
﹁ゴング格闘技﹂で連載された、牛島と木村の師弟愛を描いたノンフィクション小説。戦前・戦中・戦後と、歴史に翻弄されていく鬼の師弟。しかしそこには強い師弟の絆があった。

●﹃君は木村政彦を知っているか﹄
2000年に毎日放送が制作した約90分のドキュメンタリー番組。オープニングはヒクソン・グレイシーと船木誠勝の試合。そして木村とエリオ・グレイシーの試合。

注

(一)^ ^ab﹃唯我独創の国から﹄ 第4章 時代の波にのまれながら -刀折れ矢尽き、なお闘う 柔道家牛島辰熊-︵西日本新聞文化部、2000年10月︶

(二)^ ^abc﹃木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか﹄増田俊也︵新潮社︶ 

(三)^ ﹃昭和天覧試合﹄講談社

(四)^ ^abTV特番﹃君は木村政彦を知っているか﹄

(五)^ ﹃続・柔道一代﹄近代柔道2006年2月号、今村春夫︵ベースボール・マガジン社︶

(六)^ 現に、同年代で、戦績では牛島よる遥かに劣る小谷澄之は十段に列せられている。

(七)^ 木村政彦著﹃わが柔道﹄によれば、講道館の紅白試合で8人抜きし技量抜群で5段に昇段した木村が、喜び勇んで牛島の報告すると﹁試合は武士の真剣勝負と同じだ。貴様は戦場で8人倒し、9人目で殺されたのだ﹂と怒鳴りつけ、木村に鉄拳制裁を加える程だったようである。