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同年にプッチーニはミラノに戻ると、『トスカ』の台本の執筆を手がけたイルリカとジャコーザに頼んで、最初から3人の協力で蝶々さんのオペラの制作が開始された。翌年には難航していた作曲権の問題も片付き、本格的に制作に着手した。プッチーニは日本音楽の楽譜を調べたり、レコードを聞いたり、日本の風俗習慣や宗教的儀式に関する資料を集め、日本の雰囲気をもつ異色作の完成を目指して熱心に制作に励んだ。当時の日本大使 |
同年にプッチーニはミラノに戻ると、『トスカ』の台本の執筆を手がけたイルリカとジャコーザに頼んで、最初から3人の協力で蝶々さんのオペラの制作が開始された。翌年には難航していた作曲権の問題も片付き、本格的に制作に着手した。プッチーニは日本音楽の楽譜を調べたり、レコードを聞いたり、日本の風俗習慣や宗教的儀式に関する資料を集め、日本の雰囲気をもつ異色作の完成を目指して熱心に制作に励んだ。当時の日本大使[[大山綱介]]の妻・久子に再三会って日本の事情を聞き、民謡など日本の音楽を集めた。[[1902年]]にはプッチーニは[[パリ万国博覧会 (1900年)|パリ万国博覧会]]で渡欧していた[[川上貞奴]]に会ったとも云われている。オペラ歌手の小嶋健二がイタリアの指揮者セルジオ・ファイローニ(Sergio Failoni)の未亡人から聞いた話では、ファイローニがプッチーニに蝶々夫人をなぜ作ったか聞いたところ「日本女性を愛してみればよくわかる」と答えたという<ref>『時の光の中で』浅利慶太、文春文庫、2009年1月10日、p215</ref>。 |
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===自動車事故と結婚=== |
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2019年12月12日 (木) 15:00時点における版
基本データ
●原作 - ジョン・ルーサー・ロングの短編小説﹁蝶々夫人﹂とこれを戯曲化したデーヴィッド・ベラスコの﹁蝶々夫人﹂ ●台本 - ジュゼッペ・ジャコーザとルイージ・イッリカ ●作曲 - ジャコモ・プッチーニ ●初演 - 1904年2月17日、イタリア、ミラノのスカラ座作曲の経緯
蝶々夫人との出会い
プッチーニは24歳の若さで最初のオペラを書き上げてから、35歳の時書き上げた3作目の﹁マノン・レスコー﹂で一躍脚光を浴びた。 その後﹁ラ・ボエーム﹂︵1896年︶、﹁トスカ﹂︵1900年︶と次々と傑作を生み出した。彼が﹁蝶々夫人﹂を書くのは、そんな音楽家として、正に脂の乗り切った時期であった。 ﹁トスカ﹂を発表してから、次のオペラの題材をプッチーニは探していた。1900年﹁トスカ﹂が英国で初演されるときプッチーニはロンドンに招かれた。その時、デーヴィッド・ベラスコの戯曲﹁蝶々夫人﹂を観劇した。英語で上演されていたため、詳しい内容はわからなかったが、プッチーニは感動し、次の作品の題材に﹁蝶々夫人﹂を選んだ。制作の開始
同年にプッチーニはミラノに戻ると、﹃トスカ﹄の台本の執筆を手がけたイルリカとジャコーザに頼んで、最初から3人の協力で蝶々さんのオペラの制作が開始された。翌年には難航していた作曲権の問題も片付き、本格的に制作に着手した。プッチーニは日本音楽の楽譜を調べたり、レコードを聞いたり、日本の風俗習慣や宗教的儀式に関する資料を集め、日本の雰囲気をもつ異色作の完成を目指して熱心に制作に励んだ。当時の日本大使大山綱介の妻・久子に再三会って日本の事情を聞き、民謡など日本の音楽を集めた。1902年にはプッチーニはパリ万国博覧会で渡欧していた川上貞奴に会ったとも云われている。オペラ歌手の小嶋健二がイタリアの指揮者セルジオ・ファイローニ︵Sergio Failoni︶の未亡人から聞いた話では、ファイローニがプッチーニに蝶々夫人をなぜ作ったか聞いたところ﹁日本女性を愛してみればよくわかる﹂と答えたという[1]。自動車事故と結婚
1903年2月にプッチーニは自動車事故に遭って大腿部を骨折し、一時は身動きも出来ない重傷を負った。春になると車椅子生活での作曲を余儀なくされた。しかしプッチーニは制作を精力的に進め、その年の12月27日に脱稿した。その年の内に楽譜は小説﹁蝶々夫人﹂も初版と同じセンチュリー出版社からヤーネル・アボットの挿絵入りの単行本として出版された。原作者ロングはこの小説の戯曲化とオペラ化を大いに喜んで序文に﹁あの子が美しくかつ哀しい歌を歌って帰ってくる﹂と記している。また翌1904年1月3日にはプッチーニはトッレ・デル・ラーゴで夫人エルヴィラと正式に結婚の儀式を行っている。初演の失敗と後世の評価
編成
配役
主な登場人物
●蝶々さん︵蝶々夫人︶︵ソプラノ︶ ●ベンジャミン・フランクリン・ピンカートン︵テノール︶ ●シャープレス領事︵バリトン︶脇役とされる登場人物
●ヤマドリ公爵︵テノール︶ ●勅使 ●ゴロー︵テノール︶ ●ボンゾ︵蝶々さんのおじ。﹁坊主﹂か?︶︵バス︶ ●スズキ︵メゾソプラノ︶ ●ケイト・ピンカートン︵ピンカートンのアメリカ本国での妻︶︵メゾソプラノ︶その他の登場人物
●登記係 ●蝶々さんの母 ●蝶々さんのおば ●蝶々さんのいとこ ●薬師手︵バリトン︶ ●蝶々さんの子 ●蝶々さんの知り合いと船乗りたち楽器編成
ピッコロ︵第3フルート持ち替え︶・フルート2、オーボエ2、イングリッシュホルン、クラリネット2、バスクラリネット、バスーン2、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、コントラバストロンボーン︵多くはチンバッソで代用︶、ティンパニ、バスドラム、スネアドラム、シンバル、トライアングル、グロッケンシュピール、銅鑼、鉦、ハープ、弦五部︵14型︶ 舞台裏でヴィオラ・ダモーレ︵通常ヴァイオリンで代用される︶・銅鑼・梵鐘類・鐘・鳥笛・大砲演奏時間
約2時間20分︵第1幕50分、第2幕60分、第3幕30分︶、初稿‥約2時間30分︵第一幕60分、第二幕90分あらすじ
時と場所‥1904年の長崎。第1幕
アメリカ海軍の戦艦エイブラハム・リンカーン所属の海軍士官ピンカートン(Pinkerton)は日本人の少女と結婚することになった。 結婚斡旋屋のゴロー(Goro)が、長崎にきたピンカートンに、結婚後に暮らす丘の麓の家や、下女のスズキ(Suzuki)や下男を紹介して機嫌を取っている。 そこへ駐長崎領事のシャープレス(Sharpless)がやってくる。ピンカートンはここでアリア﹁ヤンキーは世界のどこへ行っても﹂を歌う。シャープレスは優しい心の男であり、ゴローが紹介した少女がこの結婚が永久の縁と堅く信じていることを思い出し、戸惑う。だがピンカートンは、この結婚も一時の愛だとシャープレスの危惧を一笑に付すのであった。第2幕
結婚式から3年が過ぎた。ピンカートンは任務が終わり、アメリカ合衆国に帰ってしまっていた。彼は蝶々さんに﹁コマドリが巣を作る頃には帰ってくる﹂と約束していた。蝶々さんの忠実な下女スズキは彼は既にそれらを反故にしたのではと疑うが、ピンカートンを信頼する蝶々さんにとがめられる。 きっと夫は帰ってくると信じてやまぬ蝶々さんは、ここでアリア﹁ある晴れた日に﹂を歌う。 その頃、シャープレスはピンカートンがアメリカ本国でアメリカ人女性と結婚したことを本人の代わりに蝶々さんに告げることになっていた。しかし蝶々さんの夫への信頼を見た彼は、それを壊すようなことはできなかった。蝶々さんはピンカートンの手紙を見て喜ぶ。そこへゴローが裕福な紳士ヤマドリ公(Prince Yamadori)を連れてやってくる。ヤマドリ公は蝶々さんに結婚を申し出るが、夫からの手紙に喜んでいる蝶々さんはそれを拒否する。ゴローは蝶々さんは離婚された妻であると説明しようとしたが、蝶々さんは激しく断る。﹁それは日本の習慣に過ぎない。今の私はアメリカ人である﹂と。ゴローとヤマドリ公がすごすごと帰ってしまうと、シャープレスと蝶々さんは﹁友よ、見つけて﹂を歌う。 そして、シャープレスがピンカートンが帰ってこなければどうするのか、と蝶々さんに問うと、芸者に戻るか、自刃するしかないと答え、困惑したシャープレスが﹁ヤマドリ公の申し出を受けてはどうか﹂と勧めると、﹁あなたまでがそんなことを言うのか﹂と怒り、シャープレスに彼女とピンカートンとの子供を見せ、﹁わが夫がこの子を忘れようか﹂と言い放ち、﹁子供のために芸者に戻って恥を晒すよりは死を選ぶわ﹂と泣き叫ぶ。シャープレスはいたたまれずに去っていく。 スズキは蝶々さんの悪評を拡げようとするゴローを捕まえる。蝶々さんにとって悪い話が次々と届く中、遠くにピンカートンの所属艦エイブラハム・リンカーンが兵員の到来を礼砲で告げた。それを望遠鏡で見つけた蝶々さんとスズキは喜び、家を花で飾り、二重唱﹁桜の枝を揺さぶって﹂を歌う。そして自分達と子供を盛装させ、障子を通して、ピンカートンの帰りを凝視する。夜が過ぎ、長いオーケストラとのハミングコーラスのパッセージが演奏される中、スズキと子供は眠ってしまう。蝶々さんは決して後悔していなかった。第3幕
夜が明けた蝶々さんの家。蝶々さんは寝ずの番をしていた。スズキは目覚め、子供を蝶々さんのもとへ連れて行く。スズキは憔悴した蝶々さんを休むよう説き伏せる。ピンカートンとシャープレスが登場し、スズキに恐るべき真実を告げる。しかし、ピンカートンは罪悪感によって深く打ちひしがれ、自身を恥じていた。余りに卑劣なことで自分の口から蝶々さんに告げることはできず、彼は義務を放り出して去ってしまう。このときピンカートンはアリア﹁さらば愛の巣﹂を歌う。スズキは、はじめは猛烈に怒っていたが、シャープレスから、蝶々さんが子供を渡してくれれば、ピンカートンのアメリカ人妻がその子を養育するということを聞き、説き伏せられてしまう。 蝶々さんはピンカートンと会えると思い、目を輝かせて登場する。しかしピンカートンの代わりに彼のアメリカでの妻ケイト(Kate Pinkerton)と対面させられる。蝶々さんは感傷的な穏やかさをたたえつつ真実を受け止め、礼儀正しくケイトを祝福した。これで平穏が見いだされるであろうと。それから、ケイトやシャープレスにお辞儀をし、子供を渡すことを約束する。そしてスズキに家の障子を全部閉めさせ一人きりになる。障子越しに侍るスズキに対しては、﹁子供を外で遊ばせるように﹂と命じて下がらせる。 蝶々さんは仏壇の前に座り、父の遺品の刀を取り出し、﹁名誉のために生けることかなわざりし時は、名誉のために死なん︵Con onor muore chi non puo serbar vita con onore.︶﹂の銘を読み自刃しようとするが、そこへ子供が走ってくる。蝶々さんは子供を抱きしめアリア﹁さよなら坊や﹂を歌い、子供に目隠しをし、日米の国旗を持たせる。そして、刀を喉に突き立てる。今際の際でも子供に手を伸ばす蝶々さん。そこへ異変を聞きつけたピンカートンとシャープレスが戻ってくるが、とき既に遅く、蝶々さんは息絶える。幕。著名なアリア
●﹁ある晴れた日に﹂ ●﹁蝶々夫人﹂の中でも特に代表されるアリアであり、単独で歌われることの多いものである。伝説のソプラノ歌手、マリア・カラスもこのアリアを十八番としており、現在出回っている彼女のベスト盤の多くにこのアリアが収められている。 ●サミー・フェインは、この曲を参考に映画﹁慕情﹂の主題曲を作曲した。 ●1988年ソウルオリンピックでのアーティスティックスイミングで小谷実可子がソロの演技で、1998年長野オリンピックの開会式での聖火の点火の場面、2006年トリノオリンピックのフィギュアスケートで安藤美姫がフリーの演技でそれぞれこの曲をフィーチャーしたものを使用している。 ●JR九州の特急﹁かもめ﹂のうち、885系で運行される長崎行の列車では、浦上駅到着直前からこの曲のインストゥルメンタルが車内で流れる。 ●﹁長崎県スポーツ行進曲﹂にも、この曲が引用されている。 ●2004年より長崎市、長崎国際観光コンベンション協会、マダム・バタフライ国際コンクールin長崎が主催となって開催されている、マダム・バタフライ国際コンクールin長崎にて、ソプラノの共通課題曲になっている︵テノールの共通課題曲は﹁さらば愛の巣﹂︶。 ●﹁可愛がってくださいね﹂ 第一幕で蝶々さんとピンカートンが歌う二重唱。旋律とハーモニーの美しさで有名。 ●﹁さらば愛の巣﹂ ピンカートンのアリアの中で最も有名。 ●﹁さよなら坊や﹂︵かわいい坊や︶ 最後のアリア。引用された曲
当時のジャポニスムの流行も反映してかプッチーニは日本の音楽を収集し、使用している。そのため、同時期に作られた﹁ミカド﹂などよりは、はるかに日本的情緒のある作品に高めており、今日、日本人に好まれるオペラの一つにしている要因となっている。 この﹁引用、転用﹂は後に﹁トゥーランドット﹂でも行われる。 ●﹁宮さん宮さん﹂ ●﹁さくらさくら﹂ ●﹁お江戸日本橋﹂ ●﹁君が代﹂ ●﹁越後獅子﹂ ●﹁かっぽれ︵豊年節︶﹂ ●﹁推量節﹂ ●﹁星条旗﹂蝶々夫人を演じた日本人
﹁蝶々さん﹂は誰か?
批判
植民地主義時代の偏見に基づいたストーリーを未だに演じることへの批判や反論は国内外問わず根強くあり、2007年には、イギリスの音楽教授でプッチーニの専門家、ロジャー・パーカーが人種差別的であるとして批判した[5]。バレエ
2019年、Kバレエカンパニーが9月27日~29日Bunkamuraオーチャードホールと10月10日~14日東京文化会館大ホールで﹃マダム・バタフライ﹄と題してバレエ公演を行なった[6]。 ●演出・振付・台本=熊川哲也 ●音楽=ジャコモ・プッチーニ、アントニン・ドヴォルザーク ●舞台美術=ダニエル・オストリング ●衣装デザイン=前田文子 ●照明デザイン=足立恒 ●音楽監督・指揮=井田勝大 ●演奏=シアター オーケストラ トーキョー ●編曲=横山和也 ●演出・振付補佐=宮尾俊太郎トリビア
漫画・アニメ﹃エースをねらえ!﹄に登場するキャラクター﹁お蝶夫人﹂は﹁蝶々夫人﹂の別の邦訳名であるが、このキャラクターは元来の﹁蝶々夫人﹂とまったく関係がない。むしろ性格、境遇設定などは正反対でさえある。 島田雅彦が2000年より刊行した小説シリーズ﹃無限カノン三部作﹄は、主人公の青年カヲルが蝶々とピンカートンの末裔という設定の恋愛小説で、カヲルのルーツとなる蝶々らの物語は主に第1作﹃彗星の住人﹄で描かれた。派生する作品として、カヲルの祖父にあたる蝶々の遺児、ベンジャミン・ピンカートン・ジュニア︵ニックネーム"ジュニア・バタフライ"、略称J.B︶の母との死別・米国へ引き取られてからの半生を太平洋戦争・長崎原爆をまじえて描いたオペラ﹃ジュニア・バタフライ﹄が、ストーリー・島田雅彦、作曲・三枝成彰らの手によって製作された。2004年4月初演時の主な出演者は佐野成宏(J.B)、佐藤しのぶ(ナオミ、J.Bの恋人)ら。 なお、﹃ジュニア〜﹄は2006年8月3日から9日までイタリア・トッレ・デル・ラーゴ野外大劇場にて開催されたプッチーニ音楽祭でも佐野・J.B-ナオミ・佐藤のコンビで上演され現地でも絶賛された。脚注
- ^ 『時の光の中で』浅利慶太、文春文庫、2009年1月10日、p215
- ^ a b c お蝶夫人を通して想うこと『わが芸術の道』 三浦環 (世界創造社, 1942)
- ^ "Madame Butterfly premieres" The Day in History
- ^ 女一人、執念で突きとめた真実 父の遺志をつぎ汚名と誤解を晴らすために戦い続けた人生日経ビジネス、2009年11月13日
- ^ 「蝶々夫人は人種差別的、オペラ専門家が批判 - 英国」afpbbnews 2007年02月14日
- ^ 『マダム・バタフライ』 - Kバレエカンパニー
関連項目
- ジャポニスム
- ミカド (オペレッタ)
- ミス・サイゴン(ミュージカル)
- トーマス・ブレーク・グラバー
- 唐人お吉
- モルガンお雪
- 川上貞奴
- 蝶々さん (小説)
- M.バタフライ (戯曲) エム・バタフライ (映画)
- 風の輪舞
- 長崎駅殺人事件