輝北町
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きほくちょう 輝北町 | |||||
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廃止日 | 2006年1月1日 | ||||
廃止理由 |
新設合併 鹿屋市、輝北町、串良町、吾平町 → 鹿屋市 | ||||
現在の自治体 | 鹿屋市 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 |
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地方 | 九州地方 | ||||
都道府県 | 鹿児島県 | ||||
郡 | 曽於郡 | ||||
市町村コード | 46462-7 | ||||
面積 | 88.95 km2 | ||||
総人口 |
4,412人 (平成12年国勢調査 世帯数:1,825戸) | ||||
隣接自治体 | 鹿屋市、曽於市、垂水市、霧島市、大崎町 | ||||
町の木 | つつじ | ||||
町の花 | つばき | ||||
輝北町役場 | |||||
所在地 |
〒893-0201 鹿児島県曽於郡輝北町上百引3914-ロ ![]() | ||||
座標 | 北緯31度32分50秒 東経130度51分50秒 / 北緯31.54733度 東経130.864度座標: 北緯31度32分50秒 東経130度51分50秒 / 北緯31.54733度 東経130.864度 | ||||
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ウィキプロジェクト |
輝北町︵きほくちょう︶は、鹿児島県大隅半島北西部にあった町である。曽於郡に属していた。星空日本一の町で、その自然環境を活かした街づくりを目指していた。
2006年1月1日に鹿屋市・串良町・吾平町と合併︵新設合併︶し、新鹿屋市の一部となった。合併後4年間︵2009年まで︶は鹿屋市の地域自治区﹁輝北町﹂として、2010年以降は旧輝北町域の大字に冠する地名︵例‥鹿屋市輝北町上百引︶として残置されている。
地理
大隅半島のほぼ北西部に位置しており、東西11.0 km、南北10.5 kmに及ぶ。海抜200 - 560mに位置する。西部には高隈山地が連なり、南北を国道504号が貫く。大字
2010年以降は﹁輝北町﹂を冠している。- 上百引、下百引、市成、諏訪原、平房
歴史
鹿屋市などとの合併の経緯については鹿屋市#平成の大合併を参照。
●江戸時代 - 輝北町域は薩摩藩領であった。百引郷︵外城︶は薩摩藩直轄地、市成郷は敷根島津氏の私領として統治された。
●1889年4月1日 - 町村制実施に伴い肝属郡百引村(上百引村, 下百引村, 平房村が合併)と東囎唹郡市成村(市成村, 諏訪原村が合併)が発足。いずれも百引郷・市成郷が前身である。
●1896年 - 市成村の所属郡が東囎唹郡から囎唹郡に変更。
●1956年4月1日 - 百引村と市成村が合併し輝北町が発足。町役場は百引におかれ、所属郡は市成が属していた曽於郡となった。
●2006年1月1日 - 鹿屋市・吾平町・串良町と合併、新鹿屋市が発足。輝北町域は鹿屋市の地域自治区﹁輝北町﹂となる。
●2010年1月1日 - 地域自治区としての﹁輝北町﹂が廃止。鹿屋市の地名の一部となる。
昭和の大合併
1950年代の﹁昭和の大合併﹂の際に鹿児島県が提示した合併案は以下の通りであった。 ●肝属郡高隈村・野方村・百引村、曽於郡市成村の4村を合併して新たな町とする。 しかし、高隈村は鹿屋市に編入され、野方村は分村し大崎町、有明町︵現在の志布志市︶、大隅町︵現在の曽於市︶に編入された。そのため、残った2村で合併協議を進めた。 町名の由来は中国の馬産地﹁驥北﹂から。﹁驥﹂は常用漢字でないため、大隅半島の北に輝く町を目指すとして﹁輝北﹂と名づけられた[1]。教育
合併後の2011年4月に町内小学校・中学校を1校に統合し、市成中学校敷地に輝北中学校、百引小学校敷地に輝北小学校がそれぞれ開校された。岳野小学校は1990年より休校し、2011年に閉校。該当地域の児童は百引小学校に通学していた。- 輝北町立市成中学校
- 輝北町立百引中学校
- 輝北町立平南小学校
- 輝北町立高尾小学校
- 輝北町立市成小学校
- 輝北町立百引小学校
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市成中学校(写真は輝北中学校)
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百引中学校
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輝北小学校(旧百引小学校敷地に新築)
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平南小学校
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高尾小学校
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市成小学校
交通
道路
一般国道の国道504号が縦断する。観光
●輝北うわば公園 - 16機ほどの風力発電の風車が設置してある。 ●輝北天球館その他
●毎年5・6月ごろになると、町内の数箇所の川にて蛍が乱舞する。 ●1995年頃から人口が毎年100人単位で減っていた。 ●高齢者の割合が45%脚注
- ^ 「星空日本一」に輝く町を活性化 独創的デザインの天球館をシンボルに 月刊地域づくり、2000年7月号。
関連項目
参考文献
- 鹿児島県総務部参事室編『鹿児島県市町村変遷史』 鹿児島県、1967年。
外部リンク