ヨハン・シュトラウス
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ヨハン・シュトラウス︵ドイツ語: Johann Strauss︶は、ウィンナ・ワルツの作曲家ファミリーとして知られるシュトラウス家にみられる人名。または、その人名に由来するバラの品種名。
ヨハン・シュトラウス2世のデビューコンサート新聞告知。﹁Joha nn Strauss︵Sohn︶﹂との表記がある。︵1844年︶
ヨハン・シュトラウス3世のオペレッタ﹃猫と鼠﹄曲譜。﹁JOHAN N STRAUSS JUN.﹂との表記がある。︵1898年︶
元々は﹁ヨハン・シュトラウス﹂といえば1世のことを指していた。他に同姓同名の作曲家はおらず、呼び分ける必要がなかったためである。やがて1844年に2世がデビューを果たすと、人々は1世を﹁ファーター︵父︶﹂、2世を﹁ゾーン︵息子︶﹂と呼んで両者を区別するようになった[1]。
当時﹁ワルツ王﹂と呼ばれ、息子を圧倒していたヨハン1世は自ら﹁ファーター﹂と名乗ることはせず、単に﹁ヨハン・シュトラウス﹂と名乗った[1]。しかし彼の死後やがて2世のほうが有名になる。元々は父親を指していたあだ名﹁ワルツ王﹂は2世のことを指すようになり、さらに﹁ヨハン・シュトラウス﹂についても通常2世を指すようになった。
こうして2世が﹁ヨハン・シュトラウス﹂と呼ばれるようになったが、1898年12月に甥のヨハン3世が音楽家デビューを果たす。すると、区別のために今度は3世が﹁ジュニア﹂を付して呼ばれるようになった[2]。︵2世はそのまま﹁ヨハン・シュトラウス﹂︶
現在でも通常は﹁ヨハン・シュトラウス﹂といえばやはり最も有名な2世を指すことが多い[3]が、父との区別のために2世に再び﹁ジュニア﹂などを付けて呼ぶことも多くなった。この動きに伴って、いつしか3世も﹁ジュニア﹂ではなく﹁エンクル︵孫︶﹂と呼ばれるようになった。
概要[編集]
単に﹁ヨハン・シュトラウス﹂とだけ書いた場合、通常は2世を指す。1世は﹁ヨハン・シュトラウス1世﹂または﹁ヨハン・シュトラウス︵父︶﹂とするのが通例である。3世はドイツ語圏では﹁Enkel︵孫︶﹂と呼ばれるが、日本では﹁ヨハン・シュトラウス︵孫︶﹂などとする表記はほとんどみられない。 ●ヨハン・シュトラウス1世 ●ヨハン・シュトラウス2世 : 1世の長男。 ●ヨハン・シュトラウス3世 : 2世の末弟エドゥアルト・シュトラウス1世の長男。 なお、3世の長男の名もヨハンであり、さらにその長男もヨハンである︵彼らは音楽家ではないが、言うなればヨハン4世、ヨハン5世︶。また、1世の祖父の名はヨハン・ミヒャエルであり、叔父の名はヨハン・アダムであった。対象の変遷[編集]
脚注[編集]
(一)^ ab加藤雅彦﹃ウィンナ・ワルツ ハプスブルク帝国の遺産﹄日本放送出版協会︿NHKブックス﹀、2003年12月20日。ISBN 4-14-001985-9。p.78
(二)^ なお、ヨハン2世は翌1899年6月に死去するため、2世と3世の活動期間は半年ほどしか重なっていない。
(三)^ ﹃ヨハン・シュトラウス記念像﹄や﹃ヨハン・シュトラウス劇場﹄などの名前からもこの傾向がみてとれる。