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中村 宝水︵なかむら ほうすい、1878年︵明治11年︶5月 - 1954年︵昭和29年︶5月2日︶は、明治期から昭和期の漢学者。
●茨城県真壁郡河内村︵関城町を経て、現在の筑西市︶大字関舘の中村家に寿三郎︵じゅさぶろう︶として生まれる。宝水のほかに古堂︵こどう︶や能潤︵のうじゅん︶とも号した。東京に遊学し、二松学舎で漢学を学んだのち、東洋哲学館を卒業。東洋哲学館では創設者の井上円了から師事を受ける。
●加波山事件の首謀者の一人である玉水嘉一と交友があり、そのことを後に﹃切巌玉水嘉一翁伝﹄にて記している。郷里の関舘に戻ると私塾を開校。その傍らで研究・執筆活動のほか、関城跡の保存・顕彰活動に尽力した。1954年︵昭和29年︶5月2日に死去。享年76。
●2018年︵平成30年︶には子孫によって中村宝水資料館が開設された。
●﹁我が見たる切巖山人﹂﹃切巌玉水嘉一翁伝﹄︵玉水嘉一翁伝刊行会, 1940年︶
●﹁我が見たる切巖山人﹂﹃切巌玉水嘉一翁伝﹄︵玉水嘉一翁伝刊行会, 1940年︶
●﹁宝水翁﹂︵中村宝水歴史資料館、2018年︶