九島村
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くしまむら 九島村 | |
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廃止日 | 1934年9月1日 |
廃止理由 |
編入合併 九島村 → 宇和島市 |
現在の自治体 | 宇和島市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 四国地方 |
都道府県 | 愛媛県 |
郡 | 北宇和郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
6,979人 (1933年) |
隣接自治体 | 宇和島市、来村、三浦村 |
九島村役場 | |
所在地 | 愛媛県愛媛県北宇和郡九島村字居浦2番耕地 |
座標 | 北緯33度13分24秒 東経132度31分35秒 / 北緯33.22328度 東経132.52628度座標: 北緯33度13分24秒 東経132度31分35秒 / 北緯33.22328度 東経132.52628度 |
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九島村︵くしまむら︶は、愛媛県北宇和郡にかつてあった村である。
1934年︵昭和9年︶9月1日に宇和島市へ編入された。愛媛県の南に位置し、宇和島港の湾口の中南部に位置する漁村であった。
歴史[編集]
略史[編集]
藩政期 藩政期から漁業で生計を立てていた。元禄の頃より土居家が庄屋を務め、明治維新まで続いた。 幕末期︵元治元年︶樺崎砲台の向側、戎山に砲台が築かれた。 明治期 明治期に﹁九島浦﹂として統一され、町村制の施行により﹁九島村﹂となった。島方︵九島︶と地方︵じかた、四国本土側︶とに分かれてはいたが、村としてまとまりを有していた。 合併前後の事情 大正時代末ころから話としてはあったが、1928年︵昭和3年︶ころから︵当時の︶宇和島市と接する保手・戎山の集落が合併を希望し、後に坂下津集落も加わった。当時は3地区は分村・編入には希望が具体化していた。九島村当局では分割︵分村︶に難色を示したため、先の3集落では村税を納めないことを表明し知事︵宇和支庁︶に申し立てる事態になった。結局、分村は回避され1934年︵昭和9年︶に合併した。 合併が必要とされた背景には、宇和島港整備の必要性、近江帆布工場︵藩政時代には日振新田、近江帆布後に敷島紡績、戦時中は海軍航空隊に一時接収された,現在は坂下津産業団地として整備されている︶の来川河口付近への誘致問題が発生していたことの二つの大きな要因がある。これらに対応し県道整備計画が浮上し、整備が合併の一つの条件となった。系譜図[編集]
九島村の系譜 (町村制実施以前の村)(明治期) (昭和の合併) (平成の合併) 町村制施行時 宇和島市に編入 (昭和9年9月1日) 九島浦━━━━━━━九島村━━━━━━━━━━━━┓ ┃ う え か 宇和島町━━━┳━┳宇和島市━┻━┳━┳━━━━━┳━━━━┓ 丸穂村━━━━┛あ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ 八幡村━━━━━━┛い ┃ ┃ ┃ ┃ 高光村━━━━━━━━━━━━━━┫ ┃ ┃ ┃ 三浦村━━━━━━━━━━━━━━┛ ┃ ┃ ┃ 来村━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┃ ┃ 下波村━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ ┃ ┃ 蒋淵村━━━━━━━━━━━━━━━━━┫お ┃ ┃ 遊子村━━━━━━━━━━━━━━━━━╋宇和海村┛ ┃ 戸島村━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ ┃新設 日振島村━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┃合併 ┃平成17年8月1日 ┣宇和島市(新) 吉田町━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 三間町━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 津島町━━━━━━━━━━━━━━━━┛ あ - 大正6年5月1日、い - 大正10年8月1日、う - 昭和30年3月31日、 え - 昭和32年1月1日、お - 昭和33年4月1日、か -昭和49年4月1日 (注記)「宇和島町」以下の合併以前の系譜はそれぞれの町村の記事を参照のこと。