今里準太郎
表示
今里 準太郎︵凖太郎[1]、いまざと[1] じゅんたろう、1886年︵明治19年︶11月15日[2][3][4][5] - 1976年︵昭和51年︶12月28日[1]︶は、明治末から昭和期の右翼活動家、実業家、政治家。衆議院議員。
経歴[編集]
長崎県[1][3]東彼杵郡萱瀬村[4][5][4][6]︵現大村市︶で、今里和平の三男として生まれ[4][5]、1907年︵明治40年[注釈 1]︶6月、家督を相続した[5]。大村中学校︵現長崎県立大村高等学校︶を経て[4]、1907年、早稲田大学大学部政治経済学科を卒業した[1][3][4][5][6]。兵役に就き陸軍三等主計となる[1][3][4][6]。 北海道に渡り小樽新聞の記者となる[1][4][6][7]。養狐業[7]、鉄工機械商・今里商会[4]の経営などを行い、その後、樺太で木材売買業を営み成功した[7]。 1924年︵大正13年︶5月、第15回衆議院議員総選挙に長崎県第3区から無所属で出馬して当選し[3][4][8]、衆議院議員に1期在任した[1][3][6]。その後、1928年︵昭和3年︶2月の第16回総選挙に長崎県第2区から立憲政友会所属で立候補したが最下位で落選した[9]。 1925年︵大正14年︶全亜細亜協会を創立し専務理事に就任[1][3][4][6]。その他、皇道会副会長、みそぎ会会長、新華総会会長などを務め、日中間を往復して大陸工作に従事した[1][3][4][6]。 戦後、兄弟社社長、アジア同志会会長を務めた[1][3]。著作[編集]
- 『北海道会史』今里準太郎、1918年[4]。
- 今里他編纂『満洲の家理』泰山房、1933年。
脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ 『大衆人事録 昭和3年版』イ127頁では明治42年。