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倉田主税

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

  188631 - 19691225


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20

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略歴[編集]

  • 1886年(明治19年) 生誕
  • 1912年(明治45年) 久原鉱業所日立製作所に入社
  • 1941年(昭和16年) 日立製作所取締役就任
  • 1947年(昭和22年) 日立製作所社長に就任(二代目)
  • 1956年(昭和31年) 日立電線設立と伴い初代会長に就任
  • 1959年(昭和34年) 藍綬褒章受章[1]
  • 1960年(昭和35年) 日本科学技術振興財団初代会長に就任。在職中にテレビ局(東京12チャンネル)を発足し、毎日放送とのネットワーク形成にも尽力する(1964年)
  • 1961年(昭和36年) 日立製作所会長に就任。工学部創設を検討していた東洋大学渋沢敬三竹村吉右衛門と共に出資し、川越キャンパスに工学部が創設。[2]
  • 1968年(昭和43年) 修養団初代理事長に就任
  • 1969年(昭和44年) 財団法人国産技術振興会(現倉田記念日立科学技術財団)を自らの退職金から出資して設立。[3]この年の12月に死去。

脚注[編集]

  1. ^ 官報 本紙 第9857号 657頁
  2. ^ 東洋大学の肖像「「産学協同教育」への思いに懸ける」”. 2015年3月9日閲覧。
  3. ^ 倉田記念日立科学技術財団「創設者の思い」”. 2015年3月9日閲覧。
先代
小平浪平
日立製作所社長
第2代:1947年 - 1961年
次代
駒井健一郎
先代
(初代)
日本機械工業連合会会長
初代:1952年 - 1969年
次代
田口連三
先代
小倉正恆
修養団後援会会長
第3代:1962年 - 1968年
次代
中安閑一
先代
二木謙三
修養団理事長
初代:1968年 - 1969年
次代
赤坂繁太