宗像郡
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宗像郡︵むなかたぐん︶は、大化の改新の後に宗像大社の神郡として建てられた筑前国︵福岡県︶の郡、平成の大合併で消滅した。
古代[編集]
宗像は古くは宗形、胸形とも書き、宗像神社︵宗像大社︶の所在地として重んじられていた。大化から天武天皇期にかけて順次設置されたとされる八神郡のひとつであり、文武天皇2年︵698年︶3月9日には近親者の連任を許す詔が下されている[1][2]。一般に郡︵評︶[3]を治める郡司︵評司︶に近親者を続けて任命することは禁止されていたが、宗像郡では神社を代々まつってきた宗形氏が重視されたものである。8世紀には宗像神社の神官が郡の大領を兼任したが、この制度は延暦19年︵800年︶12月4日に廃止された[4]。郡司[編集]
大領 六国史に記録が見られる範囲人名 | 年代 | 備考 |
---|---|---|
宗形等抒 | 709年 | |
宗形鳥麻呂 | 729年 738年 | |
宗形与呂志 | 745年 | |
宗形深津 | 767年 | 「保津」とも |
宗形大徳 | 778年 |
郷[編集]
- 秋郷(あきのさと) - 現在の赤間・田久・陵厳寺・石丸・武丸・吉留辺り
- 山田郷(やまたのさと) - 現在の山田・平等寺・三郎丸・土穴・須恵辺り
- 怡土郷(いとのさと) - 現在の名残・徳重・冨地原辺り、徳重に兎渡との小字が残ることから読みは「とど」との説もある
- 荒自郷(あらしのさと) - 現在の在自・津屋崎周辺
- 野坂郷(のさかのさと) - 現在の野坂周辺
- 荒木郷(あらきのさと) - 現在の宮若市上有木・下有木(笠松地区)周辺
- 海部郷(あまのさと) - 現在の鐘崎・上八・岡垣町波津辺り
- 席内郷(むしろうちのさと) - 現在の筵内など現在の古賀市・新宮町全域
- 深田郷(ふかたのさと) - 現在の神湊・深田・牟田尻・江口・池田・田野辺り
- 蓑生郷(みのうのさと) - 現在の宮司・手光・上西郷辺り
- 辛家郷(からやのさと) - 現在の宮若市水原周辺
- 小荒郷(こあれのさと) - 現在の勝浦・津屋崎周辺、又は地島との説もある
- 大荒郷(おおあれのさと) - 同上、大島との説もある
- 津九郷(つくのさと) - 現在の津丸周辺
式内社[編集]
神名帳 | 比定社 | 集成 | |||||
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社名 | 読み | 格 | 付記 | 社名 | 所在地 | 備考 | |
宗像郡 4座(並大) | |||||||
宗像神社 三座 | ムナカタノ | 並名神大 | 宗像大社 | 沖津宮:福岡県宗像市大島沖ノ島 中津宮:福岡県宗像市大島 辺津宮:福岡県宗像市田島 |
[1] | ||
織幡神社 | オリハタノ | 名神大 | 織幡神社 | 福岡県宗像市鐘崎 | [2] | ||
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明治維新後[編集]
町村制以前の沿革[編集]
●明治初年時点では全域が筑前福岡藩領であった。﹁旧高旧領取調帳﹂に記載されている明治初年時点での村は以下の通り。︵60村︶ 勝浦村、奴山村、用山村、大石村、須多田村、在自村、津屋崎村、渡村、牟田尻村、田島村、多礼村、池浦村、吉田村、田野村、上八村、池田村、河東村、江口村、鐘崎村、神湊村、大島村、地島村、須恵村、土穴村、稲元村、曲村、光岡村、野坂村、朝町村、名残村、徳重村、富地原村、吉留村、武丸村、石丸村、赤間村、陵厳寺村、田久村、三郎丸村、平等寺村、山田村、村山田村、大井村、田熊村、東郷村、久原村、王丸村、大穂町、大穂村、八並村、畦町村、本木村、舎利蔵村、内殿村、上西郷村、下西郷村、宮司村、手光村、津丸村、久末村 ●明治4年7月14日︵1871年8月29日︶ - 廃藩置県により福岡県の管轄となる。郡域[編集]
●明治11年︵1878年︶11月1日 - 郡区町村編制法の福岡県での施行により、行政区画としての宗像郡が発足。郡役所が東郷村に設置。当時の郡域は、現在の宗像市・福津市にあたる。町村制以降の沿革[編集]
変遷表[編集]
自治体の変遷
明治22年以前 | 明治22年4月1日 | 明治22年 - 昭和19年 | 昭和20年 - 昭和34年 | 昭和35年 - 昭和64年 | 平成1年 - 現在 | 現在 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
津屋崎村 | 明治30年6月4日 町制 |
明治42年4月1日 津屋崎町 |
昭和30年3月1日 津屋崎町 |
津屋崎町 | 平成17年1月24日 福津市 |
福津市 | |
宮地村 | 宮地村 | ||||||
勝浦村 | 勝浦村 | 勝浦村 | |||||
下西郷村 | 明治42年4月1日 町制改称 福間町 |
昭和29年4月1日 福間町(神興村村山田を除く) |
福間町 | ||||
上西郷村 | 上西郷村 | ||||||
神興村 | 神興村 | ||||||
昭和29年4月1日 宗像町(神興村村山田を含む) |
昭和56年4月1日 市制 |
平成15年4月1日 宗像市 |
宗像市 | ||||
赤間村 | 明治31年6月25日 町制 | ||||||
東郷村 | 大正14年10月1日 町制 | ||||||
吉武村 | 吉武村 | ||||||
野坂村 | 明治44年6月1日 南郷村 | ||||||
宮田村 | |||||||
河東村 | 河東村 | ||||||
神湊村 | 明治39年5月1日 町制 |
昭和30年4月1日 玄海町 |
玄海町 | ||||
池野村 | 池野村 | ||||||
岬村 | 岬村 | ||||||
田島村 | 田島村 | ||||||
大島村 | 大島村 | 大島村 | 大島村 | 平成17年3月28日 宗像市に編入 |
行政[編集]
- 歴代郡長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 明治11年(1878年)11月1日 | |||
大正15年(1926年)6月30日 | 郡役所廃止により、廃官 |
- 郡長を務めた主な人物
脚注[編集]
(一)^ ﹃続日本紀﹄文武天皇二年三月己巳条。なお、宗像郡と同時に出雲国の意宇郡も連任を許された。
(二)^ 続いて上総国安房郡が、文武天皇4年︵700年︶︵﹃続日本紀﹄文武天皇四年二月乙酉条︶に連任を許され、さらに養老7年︵723年︶までに八神郡全て連任を許された。
(三)^ 藤原京出土木簡に﹁己亥年十月上捄国阿波評松里□﹂︵己亥年は西暦699年︶とあり、7世紀末には﹁郡﹂ではなく﹁評﹂と呼ばれていたことが判明し、大宝元年︵701年︶以降に郡と称するようになったと考えられている︵﹁藤原京出土の木簡が、郡評論争を決着させる﹂木下正史 著 ﹃藤原京﹄ 中央公論新社、2003年、ISBN 4-12-101681-5、64頁︶。
(四)^ 新日本古典文学大系版﹃続日本紀﹄、岩波書店、1989年、補注1-56、1-57、258-259頁。
参考文献[編集]
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 40 福岡県、角川書店、1988年2月1日。ISBN 4040014006。
- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目[編集]
先代 ----- |
行政区の変遷 698年以前 - 2005年 |
次代 (消滅) |