八紘之基柱
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平和の塔 | |
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情報 | |
旧名称 | 八紘之基柱 |
設計者 | 日名子実三 |
高さ | 36.4m |
着工 | 1939年5月20日 |
竣工 | 1940年11月25日 |
所在地 | 宮崎県宮崎市 |
座標 | 北緯31度56分53秒 東経131度24分52秒 / 北緯31.94806度 東経131.41444度座標: 北緯31度56分53秒 東経131度24分52秒 / 北緯31.94806度 東経131.41444度 |
八紘之基柱︵あめつちのもとはしら︶は、宮崎県宮崎市の平和台公園に位置する塔。現在の名称は﹁平和の塔﹂。また正面に彫られた﹁八紘一宇﹂の4文字から﹁八紘一宇の塔﹂ともいう。
八紘之基柱竣工式
八紘之基柱の全景は、1944年に発行された十銭紙幣の表デザインに 採用されている。
ロッククライミングの練習場にされた塔
戦後の1946年︵昭和21年︶にGHQの命により、﹁八紘一宇﹂の碑文と武人の象徴であった荒御魂︵あらみたま︶像が撤去された。塔内部の奉安庫に収納されていた秩父宮雍仁親王の揮毫﹁八紘一宇﹂も撤去・処分の対象となったが、宮崎県職員によって密かに運び出され、宮崎神宮の倉庫内に隠された[1][3]。
1957年︵昭和32年︶、﹁平和の塔﹂に改称。一時はロッククライミングの練習場代わりに使われるほど荒廃した。
1962年︵昭和37年︶に荒御魂像が、1965年︵昭和40年︶に﹁八紘一宇﹂の文字が復元された[1][5]。これらの復元を主唱した県観光協会会長の岩切章太郎に革新政党や労働組合が抗議に訪れたが、﹁日名子の芸術作品だから元に戻すのが当然﹂と追い返したという。[要出典]
1964年︵昭和39年︶9月10日には、東京オリンピックの聖火リレーのスタート地点となった[1][5][6][7][8][9][10]。﹁世界平和を謳うオリンピックの精神と﹃八紘一宇﹄は同義﹂との意見が広がるにつれ、平和のシンボルとして県民に親しまれるようになる[1]。