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北九州コカ・コーラボトリング株式会社︵Kitakyusyu Coca-Cola Bottling Co., Ltd,︶はかつて日本に存在したコカ・コーラボトラーであり、現コカ・コーラボトラーズジャパンの前身である。
当初博多でパチンコ店等を運営していた実業家佐渡島匡男がコカ・コーラに惚れ込み、日本コカ・コーラより福岡・佐賀・長崎の三県下でのフランチャイズを受けようと直談判したが、﹁博多のパチンコ店オーナーぐらいの企業人には許可しない﹂と却下され、﹁やりたければ、メイン企業に大企業のオーナーを連れて来い﹂と言われた。そのため、佐渡島がリコーの創業者市村清を説得、バックアップや支援の要請を受けた市村はこれを快諾した。佐渡島は副社長に一歩下がり福岡県、佐賀県、長崎県をテリトリーとして日米コカ・コーラボトリングを立ち上げた。この繋がりから、かつてはリコーグループと同じ健保組合を利用するなど福利厚生も一部共通であった。これは、現在のコカ・コーラウエストにも引き継がれている。
旧本社所在地は現コカ・コーラボトラーズジャパンホールディングスの現本店所在地と同じ福岡県福岡市東区箱崎七丁目9番66号である。
●1960年︵昭和35年︶12月 - 飲料の製造・販売を目的とし日米飲料株式会社を、福岡市長浜町一丁目5番地に設立。
●1962年︵昭和37年︶
●6月 - ザ コカ・コーラカンパニーおよび日本コカ・コーラ株式会社と、コカ・コーラ、ファンタの製造・販売に関する契約を締結し、福岡県、佐賀県および長崎県におけるコカ・コーラ、ファンタの製造・販売権を取得。
●7月 - 営業を開始。本社敷地内の福岡工場が完成していなかったので、当初は中京コカ・コーラボトリング及び近畿コカ・コーラボトリングより製品を調達。
●1963年︵昭和38年︶
●3月 - 商号を日米コカ・コーラボトリング株式会社に変更。
●4月 - 福岡工場完成。自社生産を開始。
●1967年︵昭和42年︶6月 - 鳥栖工場完成。操業開始。
●1973年︵昭和48年︶
●5月 - 門司工場完成。操業開始。
●7月1日 - 北九州コカ・コーラボトリング株式会社に商号を変更。
●1974年︵昭和49年︶8月 - 缶製品専用工場として基山工場完成。
●1975年︵昭和50年︶6月 - 缶コーヒー飲料ジョージアを発売。
●1977年︵昭和52年︶6月 - 基山工場にリットル瓶製品ラインを設置。
●1978年︵昭和53年︶12月 - インスタントコーヒー製品のジョージア・アメリカンマイルドを発売。
●1981年︵昭和56年︶7月 - 鳥栖工場においてジョージアの製造受託開始。
●1982年︵昭和57年︶5月 - 自社製品である瓶入りコーヒー飲料ジョフレ200ml瓶を発売。
●1983年︵昭和58年︶10月 - カナダドライ製品販売等の目的でキャピタルフーズ設立。
●1984年︵昭和59年︶12月 - 門司工場を閉鎖。
●1985年︵昭和60年︶
●1月 - 福岡工場を閉鎖。
●コカ・コーラ及びメローイエローの1.5リットルPETボトルの販売を開始。
●1987年︵昭和62年︶3月 - PET容器生産プラントの基山成形工場操業開始。これに伴いPETボトル製品の自社製造開始。
●1991年︵平成3年︶12月 - レギュラーコーヒー用プラントの鳥栖焙煎工場操業開始。
●1994年︵平成6年︶
●6月- 福岡証券取引所に株式を上場。
●鳥栖工場に小瓶製品製造ラインを増設。
●1996年︵平成8年︶
●1月 - 基山成形工場を廃止し、基山工場にPET容器成形部門を統合。
●11月 - 東京証券取引所市場第二部に株式を上場。
●1997年︵平成9年︶
●1月 - 鳥栖焙煎工場を廃止し、鳥栖工場にコーヒー焙煎部門を統合。
●3月 - 基山成形工場跡地に大型茶飲料無菌充填PET製品ラインを設置。
●6月 - 鳥栖工場に小型炭酸飲料PETボトル製品ラインを設置。
●1998年︵平成10年︶6月 - 東京証券取引所市場第一部銘柄に指定。
●1999年︵平成11年︶7月 - 山陽コカ・コーラボトリングを合併し、商号をコカ・コーラウエストジャパンに変更。大阪証券取引所市場第一部および広島証券取引所に株式を上場。
●福岡工場︵本社敷地内、1985年閉鎖)
開設以来、レギュラーサイズびん及びホームサイズ製品を生産していたがびんから缶中心の時代に移り変わる中での生産拠点集約の流れに押され閉鎖された。使用されていたボトリング設備は鳥栖工場、更には基山工場に移設された。
●鳥栖工場︵1967年開設︶
長らくびん製品の製造拠点であったが全国のボトラーでは初になるジョージア缶製品生産ライン設置を皮切りに、1988年にガラスびん用ボトリング設備を基山工場に移設、90年初頭には缶製品専用の生産拠点へと転換した。その後ワンウェイ小瓶製品製造ライン︵後に小型PETボトル製品ラインへ︶を増設。
●基山工場︵1974年開設︶
当初はキャンニング専用工場を意図して開設されたが、1977年リットルびん製品ライン(後にPETボトル兼用に改造)設置、1988年鳥栖工場からガラスびん製品用ボトリング設備が移設されガラスびん製品、缶製品、大型PETボトル製品等様々なサイズ・容器の生産が可能な総合工場となった。隣接する東洋製罐基山工場の生産ラインと繋がっており、リアルタイムで缶の供給を受けることが可能である。
●門司工場︵1973年開設、短期間で操業停止後閉鎖︶
当時の最高水準を誇るレギュラーサイズびん専用ラインが設置されたが、工場敷地の地盤沈下による地下水使用の制約及びオイルショック後の消費者需要の落ち込みを受け、稼動からわずか四年でライン停止・設備撤去となった。その後も組織としては残っていたが1984年をもって正式に廃止となった。