和字正濫鈔
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『和字正濫鈔』 (わじしょうらんしょう) | ||
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著者 | 契沖 | |
発行日 | 元禄8年(1695年) | |
発行元 | 渋川清右衛門(柏原屋) | |
ジャンル | 語学書 | |
国 | 日本 | |
言語 | 日本語 | |
形態 | 和装本 | |
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﹃和字正濫鈔﹄︵わじしょうらんしょう︶は、江戸時代中期に契沖が著した語学書[注 1]。個々の語彙の仮名遣いの根拠を示し、いわゆる歴史的仮名遣に端緒を開いた[2]。
文献によっては﹁和字正濫抄﹂等とも書かれるが[注 2]、本項目は版本の表記に従った。
契沖は﹃万葉集﹄の正しい解釈を求める中で、当時の主流となっていた 定家仮名遣の矛盾に気づき、いわゆる歴史的仮名遣の例を古典から徹底的に採集した[2]。
元禄6年︵1693年︶に成立し、同8年︵1695年︶に刊行された[注 3]。5巻5冊。着手したのは﹃万葉代匠記﹄の撰述から間もない頃であろうとされる[4]。書名は﹁和字︵仮名︶の濫れたるを正す﹂の意で[5]、いわゆる定家仮名遣に誤りが多く見られることを批判した[注 4]。
概要[編集]
内容[編集]
巻1は総論にあたるもので、全体の理念を幾つかの整理された内容の箇条書きによって提案しており、定家仮名遣に対する批判のほか、五十音や﹁いろは歌﹂などについて述べている[8]。ここでは真言密教の言語観に沿った理論的展開がなされており[9]、﹃古事記﹄﹃日本書紀﹄﹃万葉集﹄などのような上代の文献と、﹃古今和歌集﹄﹃先代旧事本紀﹄などのような中古の文献を、主に仮名遣いの規範として求める復古主義を明らかにしている[10]。 巻2以降において分類別に正しい仮名遣いを示しており、それに際して上述の出典を明記したほか、語釈などの注記も少なからず加えている[注 5]。とりわけ﹃和名類聚抄﹄からの引用が多い[13]。なお、巻5には文字や音韻に関する雑説がある[14]。また、採録した語彙については、和語のみならず漢語も対象にしており、しかも両方を特に区別することなく取り上げている[15]。受容[編集]
こうした契沖の主張に対して、橘成員が元禄9年︵1696年︶に﹃倭字古今通例全書﹄で反論した[注 6]。これに契沖は元禄10年︵1697年︶に﹃和字正濫通妨抄﹄[注 7]、元禄11年︵1698年︶に﹃和字正濫要略﹄を著し[注 8]、自身の立場を明らかにした。 本書によって根拠づけられた仮名遣いは﹁契沖仮名遣﹂と呼ばれ、その後の国学者の支持を集めてゆき、楫取魚彦の﹃古言梯﹄などのように、契沖の説を修正して発展させたものが続々と出現した[22]。また、本居宣長は明和の初め頃まで定家仮名遣に従っていたが、明和4年︵1767年︶頃から﹁契沖仮名遣﹂に変わり始め、明和5年︵1768年︶頃には完全に﹁契沖仮名遣﹂に統一された[23][注 9]。 こうした流れの中で明治に入ると、﹁契沖仮名遣﹂は教科書などに採用され、いわゆる歴史的仮名遣として規範化された[25]。昭和21年︵1946年︶にGHQの民主化政策の一環として国語改革が執行されると、歴史的仮名遣は古典を除いて公的な場から姿を消すことになったが、それでもなお歴史的仮名遣を支持する者も少なからずいる[注 10]。翻刻[編集]
脚注[編集]
注釈[編集]
(一)^ 一般的には﹁仮名遣書﹂と定義されることが多いが、これについては少なからず疑義を呈する意見もある[1]。
(二)^ 例えば本居宣長は﹃玉勝間﹄や﹃字音仮字用格﹄で﹁正濫抄﹂と表記している。
(三)^ 元文4年︵1739年︶版のほか、文化4年︵1807年︶版など、多くの後刷本がある[3]。
(四)^ ただし契沖は﹁定家仮名遣﹂という表現を1度も使用しておらず、行阿﹃仮名文字遣﹄を頻りに取り上げている[6]。また、声高な批判は比較的に少数であることから、出典を明示して﹃仮名文字遣﹄との相違を示す方に重点が置かれているとされる[7]。
(五)^ 掲示した全ての語彙に出典が明記されているわけではなく、文献に拠ることのできない語彙については語源の推定によって決定しており、﹁未定﹂あるいは﹁未考﹂とせざるを得ない語彙も多く残ってしまっている[11]。こうした典拠が示されていない語彙については、多くが﹃類字仮名遣﹄や﹃初心仮名遣﹄と合致することから、定家仮名遣い系統の文献との対照も行う必要性を指摘する声もある[12]。
(六)^ ただし成員の論拠は﹁口伝にあり﹂というだけで、学問的とは言い難いとされる[16]。そもそも同書には、﹁正濫鈔﹂どころか﹁契沖﹂という語すら使用されておらず、積極的に契沖を否定するような文面も見当たらないという[17]。そのため、同書において契沖に反駁する意図は一切なく、﹁当時の状況において現実に沿ったもの﹂とする意見もある[18]。
(七)^ 公刊には至っておらず[19]、成員を愚弄するような狂歌も含まれており、その過激さからか、北野神社に自筆稿本が残されているのみで[20]、弟子が見た形跡もないという[21]。
(八)^ こちらも公刊には至っておらず[19]、﹃和字正濫鈔﹄の記述や所収語を簡略化して仮名遣いを指摘するに留めている[21]。また、多くの写本を残しており、広く流布していたことが窺える[20]。
(九)^ ただし稿本においては定家仮名遣いの混用が散見される[24]。
(十)^ 例えば昭和21年︵1946年︶に創刊された﹃神社新報﹄は、﹁現代仮名遣いは文法的に考えて欠陥が多い﹂ことを理由に、全国唯一の﹁歴史的仮名遣の新聞﹂として発行を続けている[26]。また、昭和34年︵1959年︶には、戦後の国語改革に疑問を有する各界有志160余名の賛同を得て﹁國語問題協議會﹂が設立され、隔月に機関誌﹃國語國字﹄を発行するなど、現代仮名遣いに対する活発な反対運動を展開している[27]。
出典[編集]
(一)^ 長谷川千秋 (2016a)、今野真二 (2014)、今野真二 (2016)、今野真二 (2023)など。
(二)^ ab長谷川千秋 (2016b), p. 35.
(三)^ 日本辞書辞典 (1996), p. 284.
(四)^ 木枝増一 (1933), p. 155.
(五)^ 築島裕 (1986), p. 70.
(六)^ 今野真二 (2016), p. 172.
(七)^ 高瀬正一 (1997), p. 39.
(八)^ 釘貫亨 (2007), p. 52︵初出‥釘貫亨 1998︶
(九)^ 長谷川千秋 (2012), p. 10.
(十)^ 釘貫亨 (2007), p. 53︵初出‥釘貫亨 1998︶
(11)^ 白石良夫 (2008), p. 91.
(12)^ 久田行雄 (2021b), p. 54.
(13)^ 久田行雄 (2021a), p. 354.
(14)^ 木枝増一 (1933), p. 157.
(15)^ 今野真二 (2014), p. 157.
(16)^ 山内育男 (1961), p. 135.
(17)^ 築島裕 (1986), p. 95.
(18)^ 前田富祺 (1982), pp. 170–173.
(19)^ ab山内育男 (1961), p. 136.
(20)^ ab前田富祺 (1982), p. 146.
(21)^ ab長谷川千秋 (2016b), p. 33.
(22)^ 沖森卓也 (2023), p. 62︵原著‥沖森卓也 2008︶
(23)^ 大野晋 (1977), p. 333.
(24)^ 千葉真也 (2018), pp. 4–13.
(25)^ 築島裕 (1986), pp. 133–137.
(26)^ “神社新報と歴史的仮名遣ひ”. 2024年1月31日閲覧。
(27)^ 土屋道雄 (2005), pp. 270–271.