和州 (安徽省)
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和州(わしゅう)は、中国にかつて存在した州。南北朝時代から民国初年にかけて、現在の安徽省馬鞍山市和県一帯に設置された。
魏晋南北朝時代
[編集]隋代
[編集]隋代の行政区画変遷 | ||||
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区分 | 開皇元年 | 区分 | 大業3年 | |
州 | 和州 | 郡 | 歴陽郡 | |
郡 | 歴陽郡 | 烏江郡 | 県 | 歴陽県 烏江県 |
県 | 歴陽県 竜亢県 | 烏江県 |
唐代
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620年︵武徳3年︶、唐により歴陽郡を和州と改められた。742年︵天宝元年︶、和州は歴陽郡と改称された。757年︵至徳2載︶、歴陽郡は和州の称にもどされた。和州は淮南道に属し、歴陽・烏江の2県を管轄した[2]。
五代十国時代
[編集]宋代
[編集]宋のとき、和州は淮南西路に属し、歴陽・烏江・含山の3県を管轄した[3]。
元代
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1276年︵至元13年︶、元により和州に鎮守万戸府が置かれた。1277年︵至元14年︶、和州に安撫司が置かれた。1278年︵至元15年︶、和州安撫司は和州路と改められた。1291年︵至元28年︶、和州路は和州に降格した。和州は廬州路に属し、歴陽・烏江・含山の3県を管轄した[4]。
明代以降
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1369年︵洪武2年︶、明により歴陽・烏江の2県は廃止され、和州に編入された。1374年︵洪武7年︶、和州は鳳陽府に属した。1380年︵洪武13年︶、和州は直隷州に昇格した。和州直隷州は南直隷に属し、含山県1県を管轄した[5]。
清のとき、和州直隷州は安徽省に属し、含山県1県を管轄した[6]。
1912年、中華民国により和州直隷州は廃止され、和県と改められた。