塩田末平
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塩田 末平︵しおた すえひら[1]、1907年︵明治40年︶2月10日[1] - ︶は、日本の検察官、弁護士、公証人。元広島地方検察庁検事正。
来歴[編集]
香川県三豊郡仁尾村︵現・三豊市仁尾町︶出身。常三郎の二男[1]。旧制香川県立三豊中学校、旧制第六高等学校を経て、東京帝国大学法学部卒業。 1929年︵昭和4年︶高等文官試験司法科合格。東京帝国大学卒業後、1930年︵昭和5年︶司法省入省。1931年︵昭和6年︶松山地方裁判所検事局検事に任官。岡山地方裁判所検事局検事、東京地方裁判所検事局検事に転任[2]。 1941年︵昭和16年︶外務省に出向。上海領事館検察領事、南京領事館検察領事に就任。1945年︵昭和20年︶司法省に復帰[2]。高松高等検察庁次席検事[3]、福岡地方検察庁小倉支部長に昇進。 1952年︵昭和27年︶札幌地方検察庁検事正に昇任。金沢地方検察庁検事正、津地方検察庁検事正、岡山地方検察庁検事正、広島地方検察庁検事正を歴任。白鳥事件︵札幌地方検察庁︶、名張毒ぶどう酒事件︵津地方検察庁︶を手掛ける。1964年︵昭和39年︶検察官退官。公証人を経て、1977年︵昭和52年︶弁護士登録[2]。人物[編集]
金子正則︵香川県知事、裁判官︶とは、第六高等学校、東京帝国大学の同級生で懇意であった。司法官試補も同期で、裁判官と検察官の別々の道を選択したが、1950年︵昭和25年︶香川県知事選挙立候補の際、相談に乗って出馬の後押しを行った[4]。 趣味はゴルフ、登山、短歌[1]。宗教は真言宗[1]。香川県三豊郡仁尾町︵現・三豊市︶在籍で、住所は神奈川県横浜市磯子区汐見台[1]。栄典[編集]
家族[編集]
- 塩田家
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 人事興信所編『人事興信録 第25版 上』人事興信所、1969年。
- 『現代香川の100人』讃岐公論社、1974年。