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小判

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概要

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慶長小判

形状

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=[1]

[2]

[3]

61601186010

[4]

小判の量目

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[ 1]4.31614844.516.8便[5][6]

沿52.2448.252.24.447.80.21047.6[7][8]442824428.5105252142247582210476[9]4.4(16.4g)4.0

34使[10][11]

[ 2]使[12][13]

改鋳

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退退[14]貿[15][16][17]

[18][19]

4452244/52.2 = 842.9/1000[20][9][21]

定位貨幣の台頭

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14

[22][23][24]

[ 3][25][26]

小判・一分判、および定位金貨・定位銀貨の流通高[27][注釈 4]

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元禄8年(1695年) 10,627,055両

宝永3年(1706年) 14,036,220両

宝永7年(1710年) 13,512,484両

正徳4年(1714年) 11,995,610両

元文元年(1736年) 8,742,096両

安永元年(1772年) 18,698,215両

小判

文政元年(1818年) 24,631,215両

天保3年(1832年) 40,206,600両

安政元年(1854年) 48,556,952両

万延元年(1860年) 82,262,552両

明治2年(1869年) 126,837,932両

定位金貨

定位銀貨

大判

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[ 5][28][29][30]

明治以降

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なお、明治以降新貨条例が施行され、1両は1圓(円)と等価とされ(万延二分判2枚の金銀含有量の実質価値と1圓金貨の純金含有量の価値がほぼ等しかった)、古金銀(金貨(大判含む)および金貨単位の銀貨)はそれぞれの含有金銀量に基づいて定められた交換比率で新貨幣と交換された[31][27]

展示

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貨幣・浮世絵ミュージアム貨幣博物館および造幣博物館には小判が体系的に展示されている。

江戸時代以前

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[32][33][34]

駿415954.584%

415954.884%

江戸時代

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[27][35][36]
小判・一分判の規定品位および量目[注釈 6]
慶長金 (1601年)4.76匁

元字金 (1695年)4.76匁

乾字金 (1710年)2.50匁

正徳金 (1714年)4.76匁

享保金 (1714年)4.76匁

文字金 (1736年)3.50匁

新文字金 (1819年)3.50匁

保字金 (1837年)3.00匁

正字金 (1859年)2.40匁

万延金 (1860年)0.88匁

1601169517101714171417361819183718591860

(参考)一両の額面を持つ、または一両通用を想定した銀貨

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脚注

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注釈

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(一)^ 1437.3 21974

(二)^ 

(三)^ 

(四)^ 使

(五)^ 

(六)^ 

出典

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参考文献

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 1982 

1958 

1968 

1976ASIN B000J9VAPQ 

1996ISBN 978-4-642-06652-5 

西1999ISBN 978-4-490-20353-0 

1963ISBN 978-4-6420-3029-8 

 1940 

 調1875  

 --1998 

関連項目

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