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●3人の子のうち、男児2人を若くして事故および自殺で亡くし、戦後は愛人と住んでいた。このことは、一人娘の齊藤信子による﹃筏かづらの家 父・島田謹二の思ひ出﹄︵近代出版社、2005年︶に詳しく記載されている。また平川祐弘の﹁島田謹二先生﹂︵﹃新潮﹄1993年7月号︶に隠し子がいたと書いてあるが、実際は先妻の子供であり、隠し子はいない。齊藤信子と男児2人は後妻の子供である。
●北原白秋、佐藤春夫らの詩人にも師事し、作品集の編纂もした。戦前の台湾で活躍した女性詩人の﹁花浦みさを﹂の発掘も行った。最晩年の1992年︵平成4年︶11月に、文化功労者。没後島田謹二記念学藝賞が設けられ、東大比較文学研究出身の若き学者に授与されている。
●90歳近くになってからも、2時間にわたってエネルギッシュに語り続け、﹁皆さん、ふた言目には、九十近い、九十近いとおっしゃるが、九十になったら書いちゃいけないんですか。私は、まだ、書きたいです!﹂と叫ぶほど元気で、女性関係についても派手であった[2]。
●﹃英米文学と大陸文学との交流﹄︵研究社、英米文学語学講座23︶ 1942
●﹃若き日の芸術家﹄︵真光社︶ 1947
●﹃ポーとボードレール﹄︵イヴニング・スター社︶ 1948
●﹃雅人 長詩﹄︵靖文社︶ 1948‥小冊子
●﹃翻訳文学﹄︵至文堂︶ 1951
●﹃十九世紀英文学﹄︵研究社︶ 1951
●﹃比較文学﹄︵要書房︶ 1953
●﹃近代比較文学﹄︵光文社︶ 1956
●﹃ロシヤにおける広瀬武夫﹄︵弘文堂︶ 1961、のち朝日新聞社 1970、のち朝日選書︵上・下︶ 1976
●﹃アメリカにおける秋山真之﹄︵朝日新聞社︶ 1969、のち朝日選書︵上・下︶ 1975、のち朝日文庫︵上・中・下︶ 2009
●﹃日本における外国文学﹄上・下︵朝日新聞社︶ 1975 - 1976
●﹃ロシヤ戦争前夜の秋山真之﹄上・下︵朝日新聞社︶ 1990
●﹃ルイ・カザミヤンの英国研究﹄︵白水社︶ 1990
●﹃華麗島文学志 日本詩人の台湾体験﹄︵明治書院︶ 1995
●﹃フランス派英文学研究﹄上・下︵平川祐弘, 川本皓嗣共編、南雲堂︶ 1995
共編著[編集]
●﹃花さうび 近代抒情詩選﹄︵佐藤春夫, 吉田精一共著、天明社︶ 1947
●﹃佐藤春夫詩集﹄︵新潮社︶ 1949、のち新潮文庫 1951
●﹃佐藤春夫詩集﹄︵彌生書房、世界の詩22︶ 1965
●﹃藤村名詩鑑賞﹄︵吉田精一共著、天明社︶ 1949
●﹃詩人日夏耿之介﹄︵黄眠会編、新樹社︶ 1972 - 追悼文集、島田は編者の中心メンバー
●﹃比較文学読本﹄︵研究社出版︶ 1978
●﹃平田禿木選集﹄全5巻︵ほか多数著、小川和夫ら共編、南雲堂︶ 1986
●﹃のつて・うえねちあな﹄︵アランデル・デル・レー、日孝山房︵台北︶︶ 1938
●﹃スタニスラーフスキー自伝﹄上[3]︵岩波文庫︶ 1942
●﹃臨海樓綺譚﹄︵R.L.スティーヴンソン、新月社︶ 1946、のち研究社対訳叢書 1952、のち角川文庫 1952
●﹃エドガア・ポオ詩集﹄︵酣燈社、詩人全書︶ 1950
●﹃世界名詩集21ポー / ホイットマン﹄[4]︵平凡社︶ 1969
●﹃アメリカ文学史﹄︵ジャック・フェルナン・カーン、白水社、文庫クセジュ︶ 1952
●﹃カイン﹄︵バイロン、岩波文庫︶ 1960、のち復刊 1990、2009
文献情報[編集]
●橋本恭子 ﹃﹁華麗島文学志﹂とその時代 比較文学者島田謹二の台湾体験﹄︵三元社 2012.2︶
●元版﹃在台日本人の郷土主義︵レジョナリズム︶- 島田謹二と西川満の目指したもの﹄︵橋本恭子﹁日本台湾学会報﹂2007.5︶[1]
●小林信行 ﹃島田謹二伝 日本人文学の﹁横綱﹂﹄︵ミネルヴァ書房︿人と文化の探究﹀ 2017.7︶。弟子による評伝
●小林信行 ﹃島田謹二 このアポリヤを解決する道はないか﹄[5]︵ミネルヴァ書房︿ミネルヴァ日本評伝選﹀ 2021.8︶ISBN 9784623092383
(一)^ 坂の上の雲﹁渡米﹂の項に島田謹二﹁ロシアにおける広瀬武夫﹂への言及あり。
(二)^ ﹃東大駒場学派物語﹄小谷野敦著(新書館)書評﹁もてない学者﹂津田正、紀伊国屋書店﹁書評空間﹂、2009年05月11日
(三)^ 英語版からの重訳、下巻は未刊
(四)^ 後者は長沼重隆訳
(五)^ 巻末に詳細な書誌を収録。