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徳山ステーションビル︵とくやまステーションビル︶は、かつて山口県徳山市︵現・周南市︶に存在した西日本旅客鉄道︵JR西日本︶徳山駅の駅ビルである。愛称はとくやま駅ビルトークス。通称は徳山駅ビルであった。
徳山空襲を免れた先代駅舎に変わる民衆駅として、1969年︵昭和44年︶10月に開業。中国地方では広島駅についで2番目と、日本国内でも古くから存在する駅ビルの一つであった。
当時の徳山駅周辺は大型商業施設の開業が続いており︵周南市中心市街地の項を参照︶、徳山駅周辺の商業発展の象徴の一つであった。
管理・運営は、当時の徳山市と地元有力企業16社によって設立された第三セクターの徳山ステーションビル株式会社が担った[1]。
建物は鉄筋コンクリート造りの地上3階︵一部4階︶、地下1階のビルで、1階部分が駅舎︵在来線改札口︶となっていた[1]。
開業当初の店舗構成は、地下に食料品店とみやげ店、1階に食堂、2階は衣料品店と日用雑貨店、3階は飲食店街、4階に遊技場というものであった[3]。
ビル屋上には、巨大なアサヒビールのネオン広告が設置されていた。
閉店とその後[編集]
1994年︵平成6年︶以降、郊外型大型店の進出などを背景にテナントの撤退が相次ぎ、1999年︵平成11年︶6月には全体の3分の1近くが空きテナントという状況になった[4]。翌年の2000年︵平成12年︶4月に、運営会社︵徳山ステーションビル株式会社︶が解散に至った[1]。
2001年︵平成13年︶2月に、2階以上︵3,412m2︶を徳山市が取得し、10月より﹁徳山市市民交流センター﹂︵のちに周南市市民交流センターに改称︶として再スタートした[1]。
市民交流センター[編集]
●市民活動支援センター
●会議室
●ビジネスサポートコーナー
●図書コーナー
●市民多目的広場
その後10年以上にわたり、市民交流センターとしての運営が続いたが、徳山駅の橋上駅舎化に伴い、本施設が解体されることとなった。2014年︵平成26年︶9月6日に駅改札が橋上駅舎に移転し、2015年︵平成27年︶3月21日に市民交流センターが閉館[5]。2016年︵平成28年︶2月までに解体が完了し、46年の歴史に幕を下ろした。
跡地には、市民交流センターの後継施設となる周南市徳山駅前賑わい交流施設︵通称・徳山駅前図書館︶が整備された。
●1968年︵昭和43年︶5月 - 徳山ステーションビル株式会社が設立、着工。
●1969年︵昭和44年︶10月3日 - 開業。
●2000年︵平成12年︶4月 - 徳山ステーションビル株式会社が解散。
●2001年︵平成13年︶2月 - 徳山市が2階以上を取得。
●7月10日 - 大規模小売店舗立地法第6条5項に基づく廃止届出。
●10月 - 徳山市市民交流センターとして開館。
●2003年︵平成15年︶4月21日 - 周南市市民交流センターに改称。
●2014年︵平成26年︶9月5日 - 在来線駅舎が橋上駅舎に移転。
●2015年︵平成27年︶3月21日 - 周南市市民交流センター閉館。
●2016年︵平成28年︶2月 - 解体完了。
- ^ 大規模小売店舗立地法第6条5項に基づく廃止届出日。
- ^ 廃止時点。
関連項目[編集]