淀橋
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淀橋 | |
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2009年の様子 | |
基本情報 | |
国 |
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所在地 | 東京都新宿区 - 中野区間 |
交差物件 | 神田川 |
座標 | 北緯35度41分47.6秒 東経139度41分12.5秒 / 北緯35.696556度 東経139.686806度 |
関連項目 | |
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式 |
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/44/Shinjuku_Station_1925.jpg/302px-Shinjuku_Station_1925.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/6a/View_of_Shinjuku_circa_1960.jpg/302px-View_of_Shinjuku_circa_1960.jpg)
淀橋︵よどばし︶は、東京都新宿区と中野区の境の神田川に架かる青梅街道上の橋。および東側にある交差点の名称、現在の新宿駅西口の一帯︵新宿区西新宿︶を指す地域の旧称でもある。
元々は青梅街道の南側に広がる農村であったが、新宿駅の発展とともに、駅周辺を中心とする繁華街が形成された。さらに、1960年代後半以降の淀橋浄水場跡の開発︵新宿副都心計画︶により超高層ビルが林立するオフィス街へと発展した。1990年、東京都庁が千代田区丸の内からこの地に移転し、現在では副都心︵新都心︶と呼ばれる。
1932年に発足した旧・淀橋区には、現在の新宿駅東口一帯、および大久保から落合にかけての一帯が含まれる。
橋[編集]
名称[編集]
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淀橋︵橋の名称︶はかつて姿見ずの橋、面影橋などと呼ばれていたが[1]、﹁淀橋﹂となった理由にはさまざまな説がある。
●﹁姿見ずの橋﹂は中野長者伝説から来たもので[2]、花嫁はこの橋を渡ると行方不明になるという言い伝えがあった。[要出典]
●姿見ずの橋で休憩していた徳川家光により、川の流れが緩やかでよどんで見られたので淀橋と名付けられた[2]。
●放鷹した際に姿見ずの橋を通った徳川家光︵徳川吉宗説もある︶が、橋の名前の由来が不吉であることを知り[要出典]、風景が京都の淀川に似ていたことから淀橋と改名した[1]。
●豊島郡と多摩郡の境界にあり[1]、両郡の余戸をここに移住させてできた村なので[要出典]、ここに架かる橋を﹁余戸橋﹂と呼ぶようになり[1]、さらに淀橋となった。[要出典]
●柏木、中野、角筈、本郷の4つの村︵4戸︶の境にあるため﹁四戸橋﹂となり、これが淀橋に変化した。[要出典]
地理[編集]
地形[編集]
神田川は、杉並区から中野区に入ると善福寺川と合流、東進した後、長者橋の辺りから急カーブを描き、北東へと向きを変える︵このカーブの外側の台地は淀橋台と呼ばれる︶。また神田川が中野区と新宿区の区境となる。長者橋から600mほど下流に淀橋がかかっている。 新宿から西進してきた青梅街道は西新宿駅付近から成子坂を下る。成子坂下交差点を過ぎると新宿税務署通りと合流する。この地点が淀橋交差点である。この先が淀橋で、橋を渡り中野坂を上ると中野坂上となる。 神田川の両岸は遊歩道となっているが、淀橋で中断している。歩き続けるには、迂回して横断歩道を渡る必要がある。場所[編集]
直近の住居表示は以下の通り。- 北東(下流・右岸) - 新宿区北新宿2-22-13
- 南東(上流・右岸) - 新宿区西新宿5-1(淀橋さくら公園)
- 北西(下流・左岸) - 中野区中央1-1-1
- 南西(上流・左岸) - 中野区本町1-13-18
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北東(下流・右岸)
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南東(上流・右岸)
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南西(上流・左岸)
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北西(下流・左岸)
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北西(2011年)
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橋から北側を見る(2023年3月)
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南東側直近には淀橋さくら公園がある。
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淀橋交差点(東から西を見る)
淀橋地域[編集]
沿革[編集]
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●1889年︵明治22年︶5月 - 市制町村制に先立ち、南豊島郡柏木村・角筈村・内藤新宿添野町のうち二番地が合併して、南豊島郡淀橋町となる[3]。また、これに隣接して大字柏木字淀橋姿︵これで﹁よどばし﹂と読む︶も同時期に存在した。
●1896年︵明治29年︶ - 南豊島郡が廃止され、豊多摩郡となる[4]。淀橋町には豊多摩郡役所が置かれた[5]。
●1922年︵大正11年︶12月11日 - 西武軌道の角筈︵新宿駅西口︶ - 淀橋間が開通[6]。
●1932年︵昭和7年︶10月1日 - 淀橋町・大久保町・戸塚町・落合町が合併して淀橋区となり、東京市の区として発足した[7]。大字角筈のうち以下の字︵淀橋・本村・砂利場・二軒家前・長町・東田・豊水・鷹場・谷中前︶の区域が淀橋区淀橋となる。
●1947年︵昭和22年︶3月15日 - 淀橋区が、四谷区・牛込区と合併して新宿区となる[8]。新宿区淀橋として地名が存続。
●1970年︵昭和45年︶4月1日 - 新宿区淀橋の名称が住居表示の実施により消滅、西新宿五丁目、西新宿六丁目︵公園通り西側︶、西新宿二丁目と西新宿四丁目︵それぞれ一部︶になる。
主な施設[編集]
旧・淀橋町に含まれるもの[編集]
●淀橋給水所 ●東京医科大学病院 - ﹁淀橋病院﹂として1931年に開院 ●工学院大学 ●東京都庁舎 ●新宿駅 ●東京地方専売局淀橋工場[9]旧・淀橋区に含まれるもの[編集]
●歌舞伎町 ●新宿区役所 ●おとめ山公園 ●早稲田大学脚注[編集]
- ^ a b c d 江戸名所図会 1927, p. 485.
- ^ a b 淀橋市場のご紹介 - 東京都中央卸売市場
- ^ 新修新宿区史編集委員会 1967, pp. 116–117.
- ^ 新修新宿区史編集委員会 1967, p. 117.
- ^ 新修新宿区史編集委員会 1967, p. 165.
- ^ 一般国道20号と地域の歴史 - 東京国道事務所
- ^ 新修新宿区史編集委員会 1967, pp. 166–167.
- ^ 新修新宿区史編集委員会 1967, p. 226.
- ^ 新修新宿区史編集委員会 1967, p. 152.