源氏八領
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源氏八領︵げんじはちりょう︶は、﹃保元物語﹄、﹃平治物語﹄などに記載された、清和源氏に代々伝えられたという8種の鎧。源家八領、源氏八甲とも。なお、﹁領﹂は鎧を数える際の単位︵助数詞︶。
概要[編集]
保元物語では、源為義が八領が風で散り散りに吹き飛ばされるのを夢で見たことを理由の1つとして、出陣を断る場面がある。また、親子兄弟が敵味方となるにあたって、為義が義朝の下に密かに源太産衣、膝丸、沢瀉、八龍を届けさせたという。為義側の鎧は保元の乱で失われ、義朝側の鎧も平治の乱での敗走で、美濃の雪中に脱ぎ捨てて失われた。 現存するとされるのは楯無のみである。詳細は以下の項目で記す。なお、金刀比羅宮本﹃保元物語﹄でのみ、源太産衣の替わりに七龍が入っている。﹃異制庭訓往来﹄の6月の状では、七竜・八竜・月数・日数・源太産衣・膝丸・薄金・小袖と書かれている。源太が産衣[編集]
源太が産衣︵げんたがうぶきぬ︶は、源氏の嫡男の鎧の着初めで使われたという甲冑。異本によっては﹁元太がうぶぎぬ﹂、﹁くわんたかうふきぬ﹂、﹁ぐはつたが産衣﹂﹁丸太産衣﹂などとも記される。小一条院に忠実に仕えた源頼義は覚えもめでたく、院より生まれたばかりの嫡子源義家の顔を見たいとの言葉があり、ここで拝領した、もしくはこの機会に新調して、その袖に義家を座らせて参内したことからといわれる[1]。 胸板に天照大神と八幡神をあらわし、左右の袖には藤の花が威してあったと記されている。平治の乱では、源頼朝が着用し、敗走中に美濃の山中で脱ぎ捨てられた。この時、頼朝は満12歳である。八龍[編集]
八龍︵はちりょう︶は、全身に8匹の龍︵八大龍王︶の飾りが付けられた甲冑。為義の八男源為朝に与えられたが、7尺︵210センチ︶の巨漢であり、小さ過ぎたので、同形式で白糸縅の鎧を作らせて身に着けたという︵大型八龍︶。また、平治の乱では、義朝の長男源義平が着用し、敗走中に美濃の山中で脱ぎ捨てられた。﹃源平盛衰記﹄によると、後日源義経の手に渡り、屋島の戦いで戦功があった小林神五宗行に与えられたという。 後世には鎧の代名詞的存在となり、龍の飾りをつけた甲冑はみな八龍と呼ばれることがあった。﹃信長公記﹄では、今川義元も桶狭間合戦で八龍の兜を被っていたという。昭和時代になって、八龍を考証復元した鎧がある。楯無[編集]
楯無︵たてなし︶は、その堅牢さから盾がいらないといわれるのが名の由来である。甲斐源氏に伝来した家宝であった。源氏八領のうち、唯一現存するものとされる。平治の乱で源義朝が着用し、敗走の際に脱ぎ捨てられたが、回収され甲斐武田家に届けられたという。詳細は「楯無」を参照
薄金[編集]
薄金︵うすかね︶は、源氏の棟梁のみが着用を許された甲冑である。保元の乱では源為義が着用したという。 通常の場合、鎧は革の札に主に鉄の札を混ぜる﹁金交︵かなまぜ︶﹂、または両者を交互に混ぜる﹁一枚交︵いちまいまぜ︶﹂という手法で作られる。これらとは異なり、鎧全体を薄い鉄の札で作り上げた鎧のことを﹁薄金鎧﹂と言う。源氏八領の薄金の他に、伴助兼[2]、木曽義仲、新田義貞、小早川家重伝などの薄金がある。
なお、愛知県豊田市の猿投神社に伝来する樫鳥糸縅鎧︵重要文化財︶がこの薄金であるという伝承が存在する。社伝によれば、後三年の役で、三河の伴助兼が際立った武勇を示し、常に先陣に立った。これを賞賛した源義家︵八幡太郎︶が薄金の鎧を与えたという。この戦で兜は打ち落とされ、紛失したが、残った鎧を猿投神社に奉納したものである。
こちらは楯無と違い、源氏八領の現存するものとされてはいない。
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沢瀉縅大鎧︵東京国立博物館所蔵︶
日本の鎧は、鉄や革に漆を塗った小札︵こざね︶を糸で綴じて︵これを﹁縅︵おどし︶﹂という︶作るが、ここで数種類の糸を使って袖︵そで︶や錣︵しころ︶に三角形の文様を描く手法を、オモダカの葉の形になぞらえて、沢瀉縅︵おもだかおどし︶と呼ぶ。沢瀉も、この形式の装飾が施された鎧と考えられている。
平治の乱では、義朝の次男源朝長が着用したという。敗戦で落ち延びる際に、雪中に脱ぎ捨てたという。
膝丸[編集]
膝丸︵ひざまる︶は、牛1000頭の膝の皮を集めて作ったとされる甲冑で、このため牛の精が入り込み常に現れては持ち主を嫌うため、埃を掃う時さえ精進潔斎しなければならなかったという。沢瀉[編集]
沢瀉︵おもだか、旧仮名遣いでは﹁をもだか﹂︶の詳細は伝わっていないが、以下のような推測がなされている。![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d6/Samurai_o-yoroi_%28side_view%29.jpg/200px-Samurai_o-yoroi_%28side_view%29.jpg)