葉桜と魔笛
『葉桜と魔笛』(はざくらとまてき)は、太宰治の短編小説。
概要[編集]
初出 | 『若草』1939年6月号 |
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単行本 | 『皮膚と心』(竹村書房、1940年4月20日) |
執筆時期 | 1939年4月上旬脱稿(推定)[1] |
原稿用紙 | 16枚 |
妻美知子は、太宰が亡くなった年、すなわち1948年︵昭和23年︶11月の段階で次のように述べている[2]。
これは、近くに住む一老婦人が、若いとき、日本海岸で、日本海々戦のとどろとどろといふ砲声を聞いたといふ話からヒントを得て書いた。この中に出てゐる、桃の花の歌は、この作品よりもつと前に出来てゐたようで、酔余のたはむれに、この歌をよく障子紙などに書いて人に上げてゐた。
のちに美知子は自著﹃回想の太宰治﹄の中で﹁一老婦人﹂の素性を明かしている[3]。
四月太宰が書いた﹃葉桜と魔笛﹄︵﹃若草﹄十四年六月号︶は私の母から聞いた話がヒントになっている。私の実家は日露戦争の頃山陰に住んでいた。松江で母は日本海海戦の大砲の轟きを聞いたのである。
本作品は、作品集﹃皮膚と心﹄に収録されたのち、﹃女性﹄︵博文館、1942年6月30日︶に再録された。
あらすじ[編集]
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