話の泉
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﹃話の泉﹄︵はなしのいずみ︶は、1946年12月3日から1964年3月31日まで約18年にわたりNHKラジオ第1放送で放送されたクイズバラエティ番組である。
2000年代に入り、﹁新・話の泉﹂︵しん・はなしのいずみ︶と題したリメイク番組が同じくNHKラジオ第1で放送された︵後述参照︶。
概要[編集]
日本の放送界にとって初めてのクイズ番組となった。アメリカ合衆国のバラエティ番組﹁Information Please﹂︵インフォメーション・プリーズ︶をヒントに生まれた。当時の日本には﹁クイズ番組﹂という呼び名はなく、﹁当てもの﹂と総称されていた[1]。 東京都千代田区内幸町にあった東京放送会館第1スタジオから公開で放送された。番組はそのときどきの時事の話題からクイズを出題︵今日のような最多正解者を表彰する制度ではない︶し、そこを発端として司会者のアナウンサーやゲストを交えたトークセッションを繰り広げるというものである。聴取者から寄せられた問題やテーマに対し、解答者が、自らの持っている薀蓄や雑学の知識を出し合って、答えていく。 司会は、和田信賢が務めた︵1952年に和田が死去した後は高橋圭三らが担当︶。解答者には、堀内敬三、サトウ・ハチロー、徳川夢声、渡辺紳一郎(朝日新聞元記者[2])、山本嘉次郎、大田黒元雄、春山行夫といった、当時の知識人・著名人たちが名を連ねた。歴代司会[編集]
- 初代:徳川夢声 - 1946.12(第1回・2回放送のみ、第3回放送よりレギュラー解答者)
- 2代:和田信賢 - 1946.12(第3回放送より) - 1952.8(五輪取材のためヘルシンキへ出張中に急死)
- 3代:高橋圭三 - 1952.8 - 1955.3(私の秘密スタートのため降板)
- 4代:八木治郎 - 1955.4 - 1962.3(私の秘密担当のため降板)
- 5代:鈴木健二 - 1962.4 - 1963.3
- 6代:酒井広 - 1963.4 - 1964.3
新・話の泉[編集]
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放送時間[編集]
2001年ごろから毎年正月とお盆の時期に﹃新・話の泉﹄︵しんはなしのいずみ︶と題したリメーク版が特別番組として組まれた。2005年4月からは定時番組として毎月1回︵原則として最終月曜日20:05 - 21:30︶放送された。2008年4月から2010年3月9日までは原則として毎月第1・2週の火曜日 20:05 - 20:55に放送された。
2010年4月からは、特集番組﹁新・話の泉スペシャル﹂として放送された。主に祝日の22:15 - 23:00が主であるが、ゴールデンウィークやお盆などには20時台、あるいは21時台に放送される場合もある。
放送形態[編集]
当番組は公開録音番組である。2005年まではNHK放送センターのラジオ公開スタジオ︵505スタジオ︶で収録が行われたが、2006年からはオープンスタジオ・みんなの広場ふれあいホールで行われた。2007年度までは1回分︵正味75分︶をまとめて放送したが、2008年度からは50分×2本分の収録となった。 通常の番組では20:30から3分程度のニュースが入るが、当番組では事前録音のため休止となる。司会[編集]
●渡邊あゆみ‥2006.4 - 2010.3 ●徳田章‥2005.4 - 2006.3出演[編集]
●山藤章二 ●毒蝮三太夫 ●桂文枝 (6代目) ●嵐山光三郎 ●松尾貴史 ほか
過去
●立川談志︵“番組の家元”︶
糖尿病の治療のため2009年8月26日に活動休止を発表したことに伴い、当番組においても2009年10月6日以降はスタジオ出演を休止し、コメントや出題を別収録した音声を挿入する形をとった。2009年12月1日の放送ではインタビューという形で音声出演、収録会場には談志の写真ボードが置かれた。当番組が特集番組となって最初の放送︵2010年4月29日︶には生出演し、闘病生活の様子や駄洒落などを披露したが、2011年11月21日の死去により、これが最後の出演となった。
●ミッキー・カーチス
主なコーナー[編集]
●世の中審議会 ●落語検定 ●新・とんち教室 ●音楽イントロゲーム ●番組の後半︵21:05からのパート︶で行われた。2006年から﹃シャープさん・フラットさん﹄というかつての音楽クイズ番組をリメークする形となった。脚注[編集]
- ^ 国民クイズ2.0(前篇)|徳久倫康、ゲンロンα、2012年7月8日。(初出は『日本2.0 思想地図β Vol.3』)
- ^ 渡辺 紳一郎 (わたなべ しんいちろう) 1900年~1978年 はこだて人物誌