青木拓磨
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青木 拓磨 | |||||||||||||||||||||||||||
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![]() 青木 拓磨 TAKUMA AOKI(2014年) | |||||||||||||||||||||||||||
国籍 |
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生年月日 |
1974年2月24日(50歳) 東京都 | ||||||||||||||||||||||||||
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青木 拓磨︵あおき たくま、1974年2月24日 - ︶は、日本のオートバイ・ロードレースライダー、現在はプロレーサー。群馬県子持村(現渋川市)出身。﹁青木三兄弟﹂の次男であり、兄は青木宣篤、弟は青木治親。
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/39/Takuma_Aoki%2C_%C3%80lex_Crivill%C3%A9%2C_Mick_Doohan_and_Tadayuki_Okada_1997.jpeg/180px-Takuma_Aoki%2C_%C3%80lex_Crivill%C3%A9%2C_Mick_Doohan_and_Tadayuki_Okada_1997.jpeg)
1997年レプソル・ホンダのライダーたち。左から青木、クリビーレ、 ドゥーハン、岡田。
1997年には世界GPのGP500クラス︵現MotoGP︶にレプソル・ホンダよりフル参戦。NSR500に比べ戦闘力の劣るNSR500Vながら、開幕戦マレーシアGPで一時トップを走行。イモラでは宣篤と兄弟で表彰台に立ち、最終戦オーストラリアはアレックス・クリビーレと優勝を争い、僅差の2位。フル参戦初年度ながら表彰台を3回獲得し、年間ランキング5位を獲得した。
1998年、シーズン前に結婚し、公私ともに充実した時に事故に見舞われる。2月に栃木にあるホンダのテストコースでテスト走行中、右コーナーでハイサイドを起こし、バイクのタンクに乗りかかる格好でコースアウト。速度は50km/hも出ていなかったが、バリアに頭部から突っ込み、脊髄損傷のため下半身不随となる。
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/b4/Axcr08Takuma.jpg/180px-Axcr08Takuma.jpg)
2008年アジア・クロスカントリーラリーの青木︵中央︶。
最初に日本自動車連盟︵JAF︶に競技ライセンスを申請した際には﹁体に50%の障がいがある人には発給できない﹂と断られた[1]。その後、発給されたライセンスはジムカーナ・ラリーレイド・ダートトライアルなど単独走に限定され、他車と競争するレースには参加できなかった。これに対し、拓磨本人も手動での車両操作機構の開発を引き続き進めると共に、出場可能なナンバー付きヴィッツレースで腕前をアピール。さらに、友人である土屋武士らが中心となってJAFに働きかけを行った結果、2010年にライセンスの限定が解除され、国内のサーキットレース参戦が可能になった。14年ぶりに全日本クラスの競技に復帰し、スーパー耐久シリーズST4クラスに土屋と組んで参戦[2]。
2013年には国際自動車連盟 (FIA) から国際競技ライセンスを発給され、現在はレーシングドライバーとしてGTアジア、アジアン・ル・マン・シリーズなど海外のレースにも出場し、﹁優勝﹂することを目標に挑戦している。2014年にル・マン24時間レース出場プロジェクトを立ち上げ、2018年にはフランスのSRT41チームより2020年のル・マン24時間レースに特別枠で出場することを発表した[3]︵2020年の新型コロナウイルス感染症の影響で計画延期︶。また、未来を担う青年やハンディをもつすべての人に、﹁夢をあきらめない、挑戦し続けること﹂の素晴らしさを伝えるべく、笑顔と勇気を届けるため、全国各地で講演会や訴求活動をしている。
障がいを負って以降バイクには乗れずにいたが、2019年に治親が代表となり、障がい者ライダーを支援する﹁サイドスタンドプロジェクト﹂を設立。同年7月の鈴鹿8時間耐久ロードレースの企画﹁Takuma Rides Again﹂にて、21年ぶりにバイクに乗って鈴鹿サーキットを走行した[4]。車両は、下半身不随でも走行できるよう改造された特別仕様のホンダ・CBR1000RRが使用された。同年10月の日本GP︵ツインリンクもてぎ︶では第二弾としてMotoGPマシンのレプリカ、ホンダ・RC213V-Sに乗り、青木三兄弟揃ってのデモランを行った[5]。11月には﹁鈴鹿Sound of ENGINE 2019﹂にて、レース中の事故で下半身不随となった元世界GP500王者ウェイン・レイニーとデモランを行った[6]。
経歴[編集]
ロードレースライダー時代[編集]
兄弟のふたりと同じくポケバイとミニバイクレースを経て、1990年にロードレースデビュー。1991年に国際A級に特別昇格し、全日本ロードレース選手権GP250クラスに参戦。兄弟ふたりが海外進出しても国内に残り、1994年はGP500クラス廃止により国内最高峰となったスーパーバイククラスへ転向。1995年はホンダワークスのHRCに入り、全日本チャンピオンを獲得した。また、NSR500に乗りワイルドカード枠で出場したロードレース世界選手権日本GPで3位表彰台を獲得した。1996年はスーパーバイククラスの連覇を達成。![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/39/Takuma_Aoki%2C_%C3%80lex_Crivill%C3%A9%2C_Mick_Doohan_and_Tadayuki_Okada_1997.jpeg/180px-Takuma_Aoki%2C_%C3%80lex_Crivill%C3%A9%2C_Mick_Doohan_and_Tadayuki_Okada_1997.jpeg)
四輪ドライバーとして現役復帰[編集]
事故翌年の1999年、車椅子に乗って復帰し、ホンダ・レーシング助監督に就任。また、テレビ解説や子供向けバイク教室、参加型ミニバイクレース﹁レン耐﹂のプロデュースなど、モータースポーツ普及活動に精力的に取り組む。 それでも、レーサーとしての情熱を諦めることはできず、レース中の事故で下半身不随となった元F1ドライバーのクレイ・レガッツォーニに刺激され、レース復帰を目指す[1]。手動カート﹁ハンドドライブ・クロス︵HDX︶﹂で実績を積み、レガッツォーニがプロデュースしたイタリア製の身体障がい者用運転補助装置﹁グイドシンプレックス﹂を取り付けた改造車で海外ラリーに参戦。2007年、アジア・クロスカントリーラリー︵タイ︶に出場し総合7位、2008年は総合19位・市販車改造ディーゼルクラス優勝、2011年は総合3位の成績を残した。2009年にはダカール・ラリーに初参戦。![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/b4/Axcr08Takuma.jpg/180px-Axcr08Takuma.jpg)
略歴[編集]
●1982年 - 初めてポケバイに乗る ●1983年 - ポケバイレース開始 ●1986年 - ミニバイクレース開始 ●1990年 - ロードレースデビュー ●1991年 - 国際A級特別昇格 全日本ロードレース選手権GP250 ランキング13位︵日清カップヌードル・ホンダ︶ ●1992年 - 全日本ロードレース選手権GP250 ランキング4位 鈴鹿8時間耐久ロードレース9位︵RVF750︶ ●1993年 - 全日本ロードレース選手権GP250 ランキング2位 鈴鹿8時間耐久ロードレース3位︵マイク・スミス/RVF750︶ ●1994年 - 全日本ロードレース選手権スーパーバイク ランキング2位︵6勝︶ ●1995年 - 全日本ロードレース選手権スーパーバイク チャンピオン︵5勝/HRC/RVF/RC45︶ ●1996年 - 全日本ロードレース選手権スーパーバイク チャンピオン︵8勝/HRC/RVF/RC45︶ 鈴鹿8時間耐久ロードレース3位︵カール・フォガティ/RVF/RC45︶ ●1997年 - ロードレース世界選手権GP500 ランキング5位︵レプソル・ホンダ/NSR500V︶ 鈴鹿8時間耐久ロードレースリタイヤ︵ウルトラマンレーシング/RVF/RC45︶ ●1998年 - 2月 開幕前のホンダテストコースで脊椎を損傷 ●1999年 - ホンダレーシング助監督に就任 ●2000年 - チームキャビンホンダ助監督 ●2001年 - チームキャビンホンダ助監督 ●2002年 - ホンダモーターサイクルジャパン レーシングアドバイザー ●2005年 - ハンドドライブクロス選手権参戦 ●2007年 - FIAアジアクロスカントリーラリー T1-G クラス2位 ︵team takuma-gp/三菱・トライトン︶ ●2008年 - FIAアジアクロスカントリーラリー T2-D クラス優勝 ︵team takuma-gp/いすゞ・D-MAX︶ ●2009年 - ダカール・ラリー T2-2 リタイヤ ︵青木孝次/team takuma-gp/いすゞ・D-MAX︶ FIAアジアクロスカントリーラリー T2-D ︵team takuma-gp/いすゞ・D-MAX︶ ●2010年 - HONDA EXCITING CUP CIVIC INTER 参戦 FIAアジアクロスカントリーラリー T2-D ︵team takuma-gp/いすゞ・D-MAX︶ ●2011年 FIAアジアクロスカントリーラリー 総合3位 T1-Dクラス3位︵team takuma-gp/いすゞ・D-MAX︶ ●2012年 スーパー耐久ST-2クラス年間ランキング3位 FIAアジアクロスカントリーラリー T1-D ︵team takuma-gp/いすゞ・D-MAX︶ ●2013年 FIA GT ASIA FUJIラウンド GTMクラス5位 ︵DIJON RACING/シボレー・コルベットGT3) FIAアジアクロスカントリーラリー T1-D ︵team takuma-gp/いすゞ・D-MAX︶ ●2014年 FIA GT ASIA KOREAラウンド GTMクラス 第1戦&第2戦 2戦連続優勝 ディランゴレーシング ランボルギーニ・ガヤルドGT3 ●2020年 FIAフォーミュラEのサポートレースである国際EVシリーズFIA ジャガー I-Pace eTrophyに、第3ラウンドメキシコシティよりTEAM YOKOHAMA CHALLENGEより参戦。 ●2021年 8月21日16:00スタート、8月22日16:00フィニッシュのFIA世界耐久選手権第4戦/第89回ル・マン24時間耐久レースにて、四肢切断レーサーのフレデリック・ソーセと共にイノベーティブ・クラス︵旧ガレージ56枠︶からLMP2マシンで参戦。総合32位で無事完走を果たす[7]。 ●2023年 TOYOTA GAZOO Racing Indonesiaよりトヨタ・フォーチュナーでアジアクロスカントリーラリーに参戦、参戦14回目にして初の総合優勝を果たした[8]。ロードレース世界選手権[編集]
1993年からのポイントシステム‥順位 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 |
ポイント | 25 | 20 | 16 | 13 | 11 | 10 | 9 | 8 | 7 | 6 | 5 | 4 | 3 | 2 | 1 |
- 凡例
- ボールド体のレースはポールポジション、イタリック体のレースはファステストラップを記録。
年 | クラス | チーム | マシン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | ポイント | 順位 | 勝利数 |
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1993年 | 250cc | カップヌードル-ホンダ | NSR250 | AUS - |
MAL - |
JPN 8 |
ESP - |
AUT - |
GER - |
NED - |
EUR - |
RSM - |
GBR - |
CZE - |
ITA - |
USA - |
FIM - |
8 | 24位 | 0 | |
1994年 | 250cc | NSR250 | AUS - |
MAL - |
JPN 5 |
ESP - |
AUT - |
GER - |
NED - |
ITA - |
FRA - |
GBR - |
CZE - |
USA - |
ARG - |
EUR - |
11 | 20位 | 0 | ||
1995年 | 500cc | HRC-ホンダ | NSR500 | AUS - |
MAL - |
JPN 3 |
ESP - |
GER - |
ITA - |
NED - |
FRA - |
GBR - |
CZE - |
BRA - |
ARG - |
EUR - |
16 | 23位 | 0 | ||
1996年 | 500cc | NSR500 | MAL - |
INA - |
JPN NC |
ESP - |
ITA - |
FRA - |
NED - |
GER - |
GBR - |
AUT - |
CZE - |
IMO - |
CAT - |
BRA - |
AUS - |
0 | - | 0 | |
1997年 | 500cc | レプソル-ホンダ | NSR500V | MAL 5 |
JPN 4 |
ESP 4 |
ITA NC |
AUT NC |
FRA 5 |
NED NC |
IMO 3 |
GER 3 |
BRA - |
GBR 10 |
CZE 6 |
CAT 7 |
INA 7 |
AUS 2 |
134 | 5位 | 0 |
ル・マン24時間レース[編集]
ル・マン24時間レース 結果 | |||||||
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年 | チーム | コ・ドライバー | 使用車両 | クラス | 周回 | 順位 | クラス 順位 |
2021年 | ![]() |
![]() ![]() |
オレカ・07 - ギブソン・GK428 | INN | 334 | 32位 | - |
バイク関連以外での受賞歴[編集]
- アクアピースゴールデンハート賞(2001年) ※アクアピースネットワーク主催[9]
出演[編集]
テレビ番組[編集]
- ウルトラマンティガ 第15話「幻の疾走」アオキ・タクマ 役(MBS、1996年12月14日)
- ウルトラマンダイナ 第19話「夢幻の鳥」アオキ・タクマ 役(MBS、1998年1月17日)
- 宇宙一せまい授業!(あっ!とおどろく放送局-2008年7月13日)
- アスリートLiveTV「青木拓磨の挑戦・アジアクロスカントリーラリー」(BS日テレ、2008年10月26日)
- WILL~それでも僕は走り続ける~「車いすのレーサー・青木拓磨』(テレビ東京、2014年3月26日)
- 『BS1スペシャル・車いすレーサー青木拓磨 ル・マンに挑む』(NHK BS1、2021年10月16日)
CM[編集]
映画[編集]
- リスタート:ランウェイ〜エピソード・ゼロ 渡辺 役(2019年9月20日)
脚注[編集]
- ^ a b 《インタビュー》青木拓磨「目標はル・マン優勝」“挑戦”への情熱を語る - as-web.jp・2010年3月3日
- ^ スーパー耐久シリーズ、開幕直前合同テスト ハイブリッド車も特認、車イスの青木拓磨選手も参戦 - Car Watch(2010年3月24日)
- ^ 元WGPライダーの青木拓磨が2020年のWECル・マン24時間レースに出場 - autosport web(2018年10月10日)
- ^ 【2019 鈴鹿8耐】感動のデモラン 青木拓磨が鈴鹿に帰ってきた! 東京中日スポーツ - YouTube
- ^ 青木拓磨がレプソルカラーのホンダRC213V-Sを駆る。26年ぶりに3兄弟揃って走行/MotoGP日本GP - autosport web(2019年10月17日)
- ^ 車いすの元GPライダー「ウェイン・レイニー」と「青木拓磨」がバイクで走行 - Automesse web(2019年11月19日)
- ^ 事故から23年、青木拓磨がル・マン参戦の夢をついに実現「1周1周、噛み締めながら走りました」【インサイドレポート】
- ^ 【速報】元GPライダー青木拓磨がアジアクロスカントリーラリー初優勝。不屈の挑戦、14度目で結実
- ^ アクアピースゴールデンハート賞.NPO法人/アクアピースネットワーク.2016年元日閲覧。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- takuma-gp - 公式サイト
- ATHLETEBANK - レースマネージメント
- 青木拓磨のモータースポーツチャンネル - Youtube