知り合いがはてな外でBlogやってんだけど、たまたまはてな内からのトラバがきっかけで自分のエントリーがブクマされていることを知ったらしい。 今までもエントリーそのものはコメントもトラバも殆ど知り合いからいくつかだけ。 で、はてブを見てみると、色んなエントリーに対してよくあるパターンのネガコメやら「俺のほうが物事分かってるぜ」と言わんばかりのコメントが並んでいたわけで。 他のブクマとなんら変わりないから自分としてはいつもの感覚で見ただけだったけど、友人の一言で目から鱗が落ちた。 「気持ち悪いね。意見があるならコメント欄に書けばいいのに。ネットwatch板だっけ?なんかこれと同じようなことしてる2ちゃんねるのスレッドがあるけど、あれの類型か何か?突撃してこないだけマシなのもいるけど、言いたいことあるならコメント欄に書けって言いたくなるようなのも多いね」 はてブはヲチと同じようなものにしか外部の
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自分はイラスト描くうえにメモ魔で、 幼少のみぎりよりつづく大量のノートやスケッチブックが家の中にある。 だが、もうすぐ実家からワンルームに引っ越すので、決断をしなければならない。 実家に残していくには危険すぎる代物だが、新居に置く場所はない。 急に自分が死んだら、ものすごい恥ずかしい恥の山なんで さっぱり捨ててしまおうといつも思ってるんだけど、 あとでなんかの役に立つかも・・・とか思ってなんか手がつけられない。 (今まで見返して役に立ったことはあんまりない。厨ポエムや下手な絵に悶絶するくらい) どうしたもんかなあ・・捨て方も困るよ、全部シュレッダー?
「派遣村に流れ着いたのは自己責任だろ」というようなエントリを書いたりすると、「そうではない」という人たちがあちこちから現れます。ぼくは相変わらず「自己責任」の反対に当たることばがなんなのかわからないのですが、ここでは仮に、「『派遣村に流れ着いたような人たちに対して“自己責任だ”と発言する人たち』を批判する人たち」(ややこしい)を、オマエと呼ぶことにします。 さて、自己責任じゃないとしたらなんなんだろう、ということで、とりあえず3つ考えてみました。 社会のせい 天災とかの類 運命 たぶんオマエは2や3とは考えないだろうと思います。オマエはそれを社会構造が原因だとか、そういういふうに捉えているのだろうと思う。 しかし、オマエだって社会の構成員だろう? ならば、あの人たちが派遣村に流れ着いたのは、オマエのせいでもあるんだよ。自己責任論を採らないならば、即ちオマエもそれに責任を負わなくてはいけない
人生に、目的だとか、意味だとか、そんなものはないと思う。 何をしたところで、100億年してしまえば、宇宙自体が消滅してしまう。 その時には、自分がいたことを、覚えている人もいない(いなくなってしまう)し、自分が残したすべての足跡は、すべて、跡形もなく消えてしまう。 なのに、勉強するだとか、人を助けるとか、必死に生きるとか、そういう、世の中で「意味がある」とみなされていることに、何の意味があるのだろうか? 「100億年すれば、宇宙は消滅してしまう」 この命題に打ち勝てるような哲学は存在しないと思う。
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