サブカルに関するISADOKのブックマーク (2)
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マンガなどのサブカルと世間との間に生じる軋轢は、理屈よりも感覚的なものだろうと考えている。 人は自分とは異質なものがあると落ちくかなくなるものだ。 この場合の﹁自分﹂は身体的精神的なものだけでなく、人間関係、生活圏、文化、社会といった身体を取りまく周辺空間も含んでいる。 友人の家に行って知らないポスターとか置物に囲まれたときに感じる落ちつかなさを想像してほしい。 萌え絵に噛みつく人というのは、これが攻撃的になってしまったものだ。-- という解釈だ。 今まで﹁自分﹂だった風景 — そこに突如異物が侵食してきた。 快くないだろう。 可能なら異物を取り除きたいと思いもするだろう。 そしてここがミソなのだが、排除のための理由は後づけで、異物であることこそが排除の理由なんだ。 ﹁気色悪い﹂﹁気持ち悪い﹂といった感覚的な悪罵がもっとも本心を現わしていると言える。 マンガが攻撃される理由は時代や事件によ
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アニメやゲームが“市民権”を獲得して数年か十数年が経った。 “市民権”と言うとお怒りになる人もいるかもしれない。年配の人からはまだまだ嫌悪されているし、“市民権”などと言う割には政治的な問題意識が遅れている、と批判する人もいるだろう。しかし、そういった指摘ができる程度にはアニメやゲームは世間に広まった。特に三十代より下の世代において、アニメやゲームが90年代のような嫌悪の視線を向けられることは少なくなっている。 なにより、アニメ的表現、ゲーム的表現が驚くほど世の中に溢れるようになった。 地方自治体のキャラクターがアニメ風になったのは、いったい何年前だったろうか。陳腐を地で行くキャラクターが地方自治体の玄関口を飾っている程度には、アニメ風のキャラクターは生息域を拡げた。ゲーム的な表現もそうで、Eテレの﹃天才テレビくん﹄はもとより、クイズ番組やバラエティ番組にもロールプレイングゲーム的・シミュ
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