ブックマーク / suumo.jp (18)
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UXデザイナーが自宅マンションリノベの”要求定義”した結果。﹁絶対に後悔しない家づくり﹂のプロセス︻ビジネスパーソン必見︼ UXデザイナーのMさんと夫のRさん。今年から、東京郊外のマンションをリノベーションした新居で暮らし始めました。ユニークなのは、二人の家づくりのアプローチ。夫妻が望む暮らしを住まいに落とし込むための﹁要求定義﹂からスタートしたのだとか。 仕事では、ユーザーにとって嬉しい体験を実現するためにどんなシステムが必要なのかを考えていく役割のMさん。IT業界では欠かせない工程である要求定義ですが、理想の住まいを実現するために、どんなプロセスでそれをまとめ、家づくりに活かしていったのでしょうか? 夫妻の要望を受け取り、設計を行った建築家の伯耆原洋太さんを交え、Mさん夫妻にお話を伺いました。 暮らしに最適化した住まいをつくる デザインエージェンシーに勤め、システム開発に携わるUXデザ
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著‥ 玉置 標本 さてこれは何をモチーフにしたロゴでしょうか?正解は記事の中で 東北地方の太平洋側、宮城県の北、青森県の南東に位置する岩手県。その県庁所在地である盛岡市が盛り上がりを見せていて、各地から移住者が集まっているという話を仙台市在住の方から聞いた。 私は盛岡を訪れたことがなく、首都圏からすごく遠い場所というイメージだったのだが、新幹線なら東京から二時間ちょっとと知って驚いた。実際に盛岡へ移住した人、盛岡で生まれ育った人に話を伺い、盛岡の街をじっくりと歩いて、人が集まる理由を感じてきた。 盛岡駅は東京駅から新幹線で最短2時間10分と近かった10月後半の平日、よく晴れた日に岩手県盛岡市へと向かった。 東京駅から盛岡駅までは新幹線はやぶさで、最短2時間10分とあっという間。東京、大宮、仙台、そしてもう盛岡である︵上野に停車する場合もある︶。 東京から新大阪へ行くよりも早いことに驚いた
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駅遠&崩壊寸前の空き家6棟を兄妹3人の力で﹁セレクト横丁﹂にリノベ! 地元のいいものそろえ、絆も再生 ﹁Rocco﹂埼玉県宮代町 地方都市や都市郊外で、古い平屋の一戸建てが並んでいるのを見かけたことはありませんか。築年数が経過しているうえに空き家だったりすると、なんとなく不気味な存在、なんて感じたことがある人もいるかもしれません。ところが、その建物の特性を見事に活かしてリノベーションし、地元ならではの﹁セレクト横丁﹂にした家族がいます。埼玉県宮代町に﹁ROCCO﹂を誕生させた、長年続く建設会社とその家族、出店した地元のみなさんに取材しました。 きっかけは父の病。建築、設計、デザインに携わる3人の子どもたちが地元に集う 高度経済成長期、日本のあちらこちらで、大量に木造賃貸住宅が建設されました。築50年、60年となった建物たちは、今のライフスタイルに合わずに借り手がつかず、放置され空き家となっ
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著‥ 千絵ノムラ 何がどうして、おしゃれな銀座の大通りを、すっぴんジャージ姿に、首には濡れたバスタオルを巻きつけて、毎晩闊歩することになったのだろうか。 ここは洗練された大人の街であればこそ、生活の、しかも日常的な、そんなお風呂帰りにそぐわない。 私が常宿、ならぬ常湯にしていたのは、博品館と資生堂の裏通りにある金春湯。 青い看板と金色の温泉マークが、﹁その者、青き衣をまといて金色の野に降り立つべし﹂という言葉を彷彿とさせることから、ナウシカ好きの私を違う意味でも虜にしていた。 2021年オリンピック開催時の金春湯 金春湯の閉店時間は22時︵土曜は20時︶。従来の私からしたら、22時までにお風呂に入るのはかなりレア。相当な理由がないかぎり、それ以降に入ることの方が圧倒的に多い。 しかも仕事帰りに家に寄ってからの銭湯は、いささかめんどい。だって帰宅したら洋服脱ぎ散らかして、﹁ふわ〜﹂って羽を伸
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春日通りから撮影。右がA棟、左がB棟。イチョウ並木が緩衝地の役割を果たしている 物件名‥湯島ハイタウン 所在地‥東京都文京区 竣工年‥1970年 総戸数‥440戸︵住戸400戸、店舗40戸︶ 1970年代 300~499戸 400戸が1週間で完売。マンションブームの火付け役に 新築マンション分譲価格の高騰を受けて、中古マンションを検討する人が増えている。特に若い世代を中心に、中古をリノベーションして自分らしく暮らす動きも目立つ。新築相場の上昇に伴って値上がりを見せているものの、いまのところ中古の人気が衰える気配はなさそうだ。 では、中古マンション市場を形成する日本のマンションストックはどのくらいあるのだろう。国土交通省の調べによると、2020年末時点で総数は約675.3万戸。値ごろ感のある築年数の古いマンション、例えば築30年超は約231.9万戸、築50年超になると約15.8万戸にまで絞り
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鷹の台という街がある。東京都小平市にあり、西武国分寺線が走り、江戸時代に玉川兄弟がつくった玉川上水が流れている。武蔵野美術大学や津田塾大学があって学生街に思えるけれど、実際は緑の多い静かな住宅地だ。 武蔵野美術大学は羽海野チカさんのマンガ﹃ハチミツとクローバー﹄の舞台のモデルとされる大学で、津田塾大学は村上春樹さんの小説﹃ノルウェイの森﹄のヒロイン・直子が通った大学のモデルといわれている。そんな﹁青春が詰まったような街﹂に、大学生の私は住んでいた。 美大生になって、上京するまでのこと 私は高校に入学したころから﹁美大に行こう﹂と決めていた。今となってはなぜそんな目標を定めたのか、よく思い出せない。映画や写真、絵画が好きだったからだとは思う。地元・大分の普通科の公立高校に入学したけれど、勉強には向かないようだったので、一般的な大学入試は無理だと考えてそのような進路にしたのだろう。 この記事を
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﹁名探偵といえば?﹂と問われたら必ず名前が挙がるのが、アーサー・コナン・ドイルが生み出した名探偵シャーロック・ホームズだろう。その原作に登場する建物や事件の現場は、実際はどんな建築物だったのか? この課題に取り組み、﹃シャーロック・ホームズの建築﹄という本にまとめた北原尚彦さんに話を聞いた。 ﹃シャーロック・ホームズの建築﹄の始まりは、﹁キャラクター﹂ まず、この本ができるまでの経緯を聞いた。北原さんの話によると、SNSがきっかけだという。 あるキャラクターを使った本に興味を持った北原さん。その本についてTwitterで取り上げたら、大きな反響があった。それがきっかけで、その本を出版したエクスナレッジの編集者である佐藤美星さんと知り合いになり、佐藤さんから自社の﹁建築知識﹂という雑誌で連載をしてほしいと依頼があった。当初は﹁ミステリー小説の間取り﹂という依頼だったが、﹁ホームズに登場する建
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著‥ クラベ・エスラ 2002年の夏休み、オランダ出身である僕は初めて日本を訪れた。夏だけの間の短期留学である。当時の僕は15歳で、日本が大好きな少年だった。東京の郊外に住むホストファミリーに迎え入れられ、その長女と一緒に自転車に乗って調布南高校に通った。蒸し暑い日本の夏は初めてで、30分近い自転車移動で汗だくになった。ホストファミリーの長女は何度も振り向いて﹁エスラ、大丈夫?﹂と優しそうに声をかけてくれた。彼女は美人で、僕よりもよほど体力があったらしい。 週末に深大寺のおそばを食べるのが、ホストファミリーにとって恒例の家族行事だった。僕もよくわからないなりに、5円玉を賽銭箱に投げ入れ、麺をつゆにかけて啜った。東京といえばネオンの看板が光る未来都市ばかり想像していた僕は、その平和な休日に面食らった。 おじさんになってしまう前の僕が食べる深大寺そば。深大寺の参道沿いには今も旨いおそばを食べさ
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著‥ 玉置 標本 オーストラリア原産の飛べない大型鳥類であるエミューを、卵から孵化させて室内飼いしている砂漠さん。﹁エミューちゃん﹂と名付けて溺愛している彼女の日々をTwitterで知り、共通の友人と一緒に会いに行ってきた。 自分の身長くらい体高がある動物との共同生活はどう考えても大変そうだが、エミューというオアシスを得て心が潤いまくっている砂漠さんの話を聞き、自分の持つ常識の狭さを思い知らされた。 エミューを飼い始めた意外な理由11月某日に砂漠さんの家を訪れると、窓の内側に大きな生き物がいた。エミューだ! すごい、すごい、すごい。 もちろんこのエミューちゃんに会いに来たので、エミューがいて当然なのだが、実際にこうして家の中にいる姿をみると、やっぱり驚いてしまう。 本当にエミューだ! こちらが飼い主の砂漠さん 砂漠さんがエミューちゃんと暮らしている理由は、特別な思い入れがあって昔から飼いた
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著‥ 玉置 標本 ヤフー株式会社に勤務している長谷川琢也さんは、2011年に起きた東日本大震災のボランティア活動をきっかけに、宮城県石巻市に﹁ヤフー石巻復興ベース﹂という事務所を構えて移住した。そこで漁業・水産業というまったく未経験の分野をサポートする道を選び、震災から10年が経ち事務所を閉じた今、ヤフーの社員のまま石巻に残るという決断をした。 彼がなぜ石巻という場所に、漁業というまったく畑違いの業種に惹かれたのか。そして会社側はなぜ10年に渡って彼の行動を許容しているのか。 あの3月11日に34歳の誕生日を迎えて長谷川さんは1977年3月11日生まれの44歳。生まれた場所は東京の阿佐ヶ谷で、幼稚園の途中から高校を卒業するまでは神奈川県横浜市で過ごした。 東北には旅行で来るくらいしか縁のない人生だったが、東日本大震災が起きた日に34歳の誕生日を迎えたことで、彼の運命は大きく方向を変えた。
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インタビューと文章‥ 古澤誠一郎 写真‥小高雅也 日本に暮らす外国人は、どのような﹁角度﹂から街を見ているのでしょうか。彼ら・彼女らの街に対する愛着や意外な暮らしぶりにフォーカスし、街の魅力を掘り下げるインタビュー企画﹁日本に住んでみた﹂をお届けします。 ◆◆◆ 今回ご登場いただくのは、新宿で暮らすギタリスト、マーティ・フリードマンさんです。 アメリカで生まれ育ったマーティさんは、世界的なヘヴィメタルバンド﹁メガデス﹂で活躍。バンド脱退後は有り余るJ-POP愛から日本へ移住し、音楽というフィールドから日本の魅力を発信し続けています。 そんなマーティさんは﹁日本一の繁華街﹂とも言える新宿に、どのような魅力を見出しているのでしょうか。 日本人にとっては当たり前すぎて気づかない﹁便利さ﹂や﹁安全さ﹂。J-POPにもどこか通ずる雑多さ。そして、﹁雀荘﹂や﹁質屋﹂の看板を読めるようになり、街の様子が
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著‥ ヨッピー 僕がまだ大学生で、生まれ育った大阪に住んでいたころの話である。 インターネットで知り合った東京の友達が、大阪で開催されるオフ会に参加する、と言うので大阪駅まで迎えに行った。﹁初めて行くので大阪を案内してほしい﹂とのことで、オフ会の時間まで梅田や難波といった代表的な大阪の街を案内する事にしたのだ。 友達は夜行バスで東京から来たため、朝早い時間に合流した。疲れただろうし、と喫茶店に入って休憩しつつモーニングコーヒーなんかを飲んでいたのだけど、東京から来た友達はのっけからテンションが高かった。 ﹁大阪の人って全員ボケとツッコミをやるんでしょ?﹂ ﹁おばちゃんがアメちゃんくれるとか﹂ ﹁知らない人ががんがん話しかけてくるって本当?﹂ などなど。 ﹁大阪人﹂という人種︵?︶は全国的にも独特のポジションというか、変なバイアスがかかって見られがちだというのはひとりの大阪人としてヒシヒシと
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美術大学︵美大︶や美術系学科のキャンパスが集まる東京都町田市。多摩美術大学、東京造形大学、東京工科大学などに通う多くの美大生が生活しているこの町に、約15年にわたり歴代の美大生らが住み継いできたアパートがある。DIYし放題で原状回復も不要という一風変わったこの物件では、どんな暮らしが営まれているのだろうか? 芸術を学ぶ学生を支えたい。元コーヒーショップ店主の思い 町田駅からJR横浜線で4駅。相原駅から歩くこと5分、黄色い外壁が特徴的な大きなアパートが現れた。ここが美大生の受け継ぐ“伝説のアパート”﹁アップル&サムシングエルス﹂だ。
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著者‥ みずしな孝之 秋田に縁がなかった僕が﹁いとしのムーコ﹂を描いたわけ 秋田に縁のない人生でした。 東京生まれ東京育ちで、親は長野出身。親戚がいるわけでもなく、修学旅行は奈良京都、好きな球団は横浜大洋。﹁北国へ旅行に行こうか﹂と思うことはあっても、一気に北海道まで飛んでしまう感じで。東北には興味はあっても、訪れる機会はほぼなかった秋田県。 なのに、みずしな孝之がなぜゆえ秋田を舞台とした漫画﹁いとしのムーコ﹂を描くことになったのか。それはもう、うちのアシスタントのフジイのおかげです。 2010年ころ、秋田県・大曲出身のフジイからこんな情報を聞きました。﹁知り合いに、秋田の山奥のガラス工房でガラス吹き職人をやっている人がいる﹂﹁そこで飼っている犬がむちゃくちゃ可愛くて、ミクシィもやってる﹂と。 ﹁えっ! 犬がミクシィ!?﹂﹁なにそれ! 器用! おもしろい!﹂と、早速興味津々だったのですが
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20歳当時の著者私が初めて自分で賃貸物件を借りたのは18歳の時。それから45歳の現在に至るまで、仕事場として借りたマンションも含めると8部屋ぐらい借りてきたと思う。 マンションを借りるたびに、私は面白い出来事や大変な出来事に遭遇してきた。騒音問題に悩まされたり、玄関を開けたら全裸の女性がいたり、隣の部屋で殺人事件があったり、発砲事件があったり。 その中で特に思い出に残る賃貸マンションの話と、そこでの暮らしを経た現在の私の住まいに対する価値観について話したいと思う。 都心のプール付きマンションと、スターになった同居人20歳の時にプール付きのマンションに住んだ。新宿から徒歩10分ぐらいにある14階建てのオートロック付きマンションで、13階の私の部屋からは都心の夜景が一望できた。 家賃は8万円ほど。80万円ではない、プール付きで8万円ぐらいだった。 立地とプール付きということだけを聞けば﹁いや
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著‥ 玉置 標本 ︵撮影‥宮沢豪︶ 首都圏から地方に移住した友人は何人かいるが、その中でもじっくりと話を聞いてみたかったのが、﹁ざざむし。﹂というサイトを運営する日比野理弘さんだ。﹁ざざむし。﹂は、自分の力で食材を手に入れ、その個性にあわせて調理して、固定観念に惑わされることなく評価する喜びを教えてくれる稀有なサイトである。 ただそこに書かれている内容は、釣った魚とか摘んだ野草を食べてみましたというレベルではない。例えば本人が花粉症なのにスギ花粉を集めて自家製麺に練り込む、昆虫食として注目を集める便所バチの幼虫を自家養殖する、杏仁の香りがするフェモラータオオモモブトハムシの幼虫を絶品デザートに仕上げる、ナメクジは腹を壊すという説を大真面目に考える、さまざまな有毒植物を試してみるとかなのだ。 こんな感じに相当どうかしている︵良い意味で︶日比野さんが、長く住んでいた神奈川県から、2017年に富
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著‥ ヨッピー ﹁ここに、引越します﹂ 僕がまだサラリーマンをしていたころ、とあるマンションの資料を添えて上司に提出したら﹁お前は何を考えてるんだ!﹂とめちゃくちゃ怒られた。 ﹁なんで引越しをするだけでそんなに怒られるの?﹂と思う人もいるかもしれないので説明をしておくと、僕が﹁ここに引越したい﹂と、上司に向かって高らかに宣言したそのマンションは新宿歌舞伎町のど真ん中にある、通称﹁ヤクザマンション﹂。つまりは、暴力団の事務所が多数入居しているようなマンションだったからである。ちなみに当時働いていた会社の最寄駅は上野である。 ﹁上野に通うのになぜ歌舞伎町に住む必要があるのか﹂ ﹁会社名義でそのような場所を借りるのは問題である﹂ ﹁風紀上よろしくない﹂ などなど、1ミリの反論も許されない正論を並べ立てられ、目の玉が飛び出るかと思うくらいに怒られた。﹁お前みたいなやつが居るとそのうち会社がつぶれる
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著‥ 朽木誠一郎2浪1留で6年制の大学を卒業したら27歳になっていた。不覚である。 大学は群馬県の前橋市というところにあった。人生の4分の1相当の時間をそこで生活したことになる。当時、僕は前橋が嫌いだった。 前橋市内の風景︵画像‥PIXTA︶ 前橋にも、そもそも群馬にも、縁もゆかりもなかった。受かった大学に入ったというのが正直なところだ。 赤城山と榛名山と妙義山に囲まれた市内には、大学と県庁くらいしかめぼしいものはない。遊び場は自遊空間かラウンドワンで、車社会だから飲み屋に行くにも運転代行が必要だった。 隣の高崎市は新幹線の停車駅で、セレクトショップやクラブがあり、郊外にはイオンモールもあった。週末はそこいらで過ごしたりしたけれど、そういうのもだんだん面倒になって、仲間内でもっぱら宅飲みをしていた。 内向的な性格というわけではないものの、次第に田舎らしいムラのようなコミュニティーが生まれ
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