![■伊藤計劃氏『ハーモニー』審査員特別賞 P.K.ディック賞 授賞式ビデオ & 『伊藤計劃記録:第弐位相』刊行記念トークショーレポート - ★究極映像研究所★](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/6369bbdc525d45199487900628c6bce0a8a75e06/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fbp.cocolog-nifty.com%2Fbp%2Fimages%2F2011%2F04%2F24%2Fphoto_3.jpg)
ブログ パスワード認証 閲覧するには管理人が設定した パスワードの入力が必要です。 管理人からのメッセージ bout de la nuit 閲覧パスワード Copyright © since 1999 FC2 inc. All Rights Reserved.
伊藤計劃(写真中央) 1974年東京都生まれ。 武蔵野美術大学卒。Webディレクター兼作家。 著作は、ポスト9.11の内戦と民族虐殺を描いた『虐殺器官』。 その後のユートピア世界と意識をテーマに描いた『ハーモニー』。 MGS4のノベライズも担当している。 中学より二十年間、 リアルタイムに小島秀夫監督作品の洗礼を受けてきた。 自称「小島原理主義者」。
ここまで怠っていた、統合的な伊藤計劃論についてのガイドライン。いずれ本格的伊藤計劃論を書くときに利用したい。ガイドラインの構造は以下の通り。 世界と自己の無根拠性――ポストモダン状況における主体の解体―― 「大きな物語」が失効し、社会の分子化とゲゼルシャフト化が進行し、世界が個人の存在論的意義を担保してくれないにも関わらず社会の一員としての義務を押し付ける後期近代〜ポストモダンにおいて、人はいかなる振る舞いをさせられるか(権力論)/せねばならないか(再帰的近代化論)が、伊藤計劃の問題意識の一角にあると思う。基本的にこれは「あえて何がしかを選ぶ」というシニシズム(決断主義)、あるいは「何も選ばず流れに身を任せる」という怠惰(動物化)として現れる。一方で、そもそも人=近代的個人の、事物としての本質性/存在論的意義は存在せず、実際にあるのはつぎはぎの実装された運用とそれが生み出す一種の幻想に過ぎ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く