ブックマーク / note.com/mybrain_record (2)
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書くこととは原理的に、ひとつの﹁愚かさ﹂を引き受けるという選択だと思う。 そしてそれは悪いことではない。﹁愚かさを引き受ける﹂とはぼくにとって﹁生きる﹂ことと同義なので、けっしてシニカルに言っているのではない。逆に言えば、愚かさの反対の﹁賢明さ﹂とは、それを究極まで突き詰めれば、何も言わないことであり書かないことである。︵中略︶ 多くの人は愚かさを避け、自分が愚かに見えることを避けて、ひたすら賢明さだけを追求しているように思える。賢明さを突き詰めた先には死しかないのに、あるいは賢明さを最高の価値とした瞬間に潜在的にはすでに死んでいるのに、そのことに気づいていないように見える︵これもまた愚かさだが、みずからを賢明だと信じている点で自己欺瞞的な愚かさである︶。 ︵﹃愚かさについて﹄より引用︶ このnoteは、存在することと不可分である﹁愚かさ﹂に私たちはいかにして対峙すべきか、の観念的な考察で
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よく﹁やる気﹂とか﹁モチベーション﹂とか検索すると,﹁作業興奮﹂という単語が頻出することが分かります.﹁ドイツの心理学者であるクレペリンが提唱した…﹂というお決まりの説明ですが,これに関して以下のような鋭い指摘を見つけました. もし本当なら由々しき事態です.ちなみに僕のnoteを遡ると,ある記事で僕も﹁作業興奮﹂という言葉をしっかり使ってしまっています…!︵2年ぐらい前だと思います︶ なんだか気になってしまったので,濫用されている﹁作業興奮﹂という言葉について徹底的に文献をあさってみることにしました.結論を先に知りたい方は,﹁まとめ﹂までジャンプしてください.なお,僕は心理学や精神医学の専門家ではないため,この記事に重大な誤りがあればコメント等でご指摘いただけると幸いです. 1. まずはGoogle検索で古い資料を探すまずは,通常のGoogle検索で﹁作業興奮﹂という言葉を用いたウェブサイ
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