昭和時代の中頃から終わりにかけて、神奈川県川崎市に、モノレール路線の建設が計画されていたことがあった。 そのモノレールは、川崎市のいわゆる鉄道空白地帯をぐるりと結ぶ予定であったが、結局、作られることはなく、幻に終わった。 計画当時の資料を見て、どんな計画だったのか、ふりかえってみたい。 8の字モノレールの計画 神奈川県川崎市にあったモノレールといえば、向ヶ丘遊園にかつてあったモノレールが有名かもしれない。 このモノレールは今から20年ほど前に廃止され、現存していない。 さらにいうと、よみうりランドにも環状のモノレール線が1978(昭和53)年まであった。 モノレール線がこんな近くにふたつもあった 今では見る影もないが、川崎市はモノレールが豊富な土地柄だったといえる。そしてさらに、川崎市には実際に作られることがなかったモノレール線の計画があった。「川崎都市モノレール」と呼ばれる計画だ。 まず
パリッコ、スズキナオによる飲酒ユニット「酒の穴」。オンライン上でやり取りをしながら原稿を書くことは多いのだが、実際に現実空間で会ったのは2020年初頭が最後だ。 先日、かなり久々に直接会うことができた。いつもなら「では早速飲みに行きましょう」と店を探すところだが、このご時勢、気を遣わなければいけないことがたくさんある。 そこで、同じ町に集まっておきながら別々の方向に分かれて散策し、その記憶を後で振り返るという方法で「一緒に飲んだ感じ」が味わえないかと試してみることにした。 日常的な生活の中にぽっかりと現れる「今ここで乾杯できたらどんなに幸せだろう」と思うような場を探求するユニット。なんでもない空き地とか、川沿いの原っぱとか、公園の売店だとか、そういったところに極上の酒の場があるのではないかと活動中。 前の記事:2021年の「酒カレンダー」を作ろう かなり久々に再会することができた パリ :
1986年生まれ佐世保在住ライター。おもに地元の文化や歴史、老舗や人物などについての取材撮影執筆、紙媒体のお手伝いなど。演劇するのも観るのも好き。猫とトムヤンクンも好きです。 前の記事:廃バスの扉をあけると、そこは公民館だった > 個人サイト ヤマモトチヒロのブログ 無線塔から徒歩3分、吉田さん宅をたずねる お話を伺った吉田聡さん(65歳・右)とお母さん(左)。後ろに見えるのは二号塔。「わが家です」といっても差し支えないほどの存在感だ 無線塔から徒歩3分の自宅に住む吉田さんを訪ねた。 吉田さんは生まれも育ちも針尾のひとだ。ドール作家をしている筆者母のハンドメイド仲間という不思議な縁で、今回お話を聞かせてもらえることになった。 国道脇に見える、かなり控えめな看板を目印に横道に入ると すぐ見える かつては軍用車がバリバリ通る軍道だった。この時点から塔が「ここにいるよ」と言っている 住民はほとん
待って~。 いまは便利な時代なので、その気になれば行きたいところへ行くことができる。 チケットを予約したり現地の観光スポットを調べたり、そういう旅ももちろん楽しいのだが、もっとこう肌がぞわぞわするような体験ができないものだろうか。 たとえば知らない駅でうっかり降りちゃって、そのまま置き去りにされたりとか。 体験してもらいました。 事情をよく知らずに集められた9人 編集部安藤です。冒頭にも書いた通り、今回はライターのみなさんに最高の旅を体験をしてもらおうと集まってもらいました。 詳しい説明をされずに集められたみなさん。東京駅、午前7時。 ここに全員分の新幹線のチケットを用意しました。全員同じ列車に乗るけど、どこで降りるかはくじ引きで決めます。 新幹線のチケットをくじ引き方式で引いてもらいます。 チケットに書かれた駅に無条件で降りてもらい、そのまま一日置き去りにします。大丈夫です、帰りのチケッ
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