2021_3qとendに関するanheloのブックマーク (6)
-
9月3日に総裁選不出馬を表明する直前、菅義偉首相は﹁文藝春秋﹂の単独インタビューに応じていた。聞き手は船橋洋一氏︵アジア・パシフィック・イニシアティブ理事長︶。船橋氏が最初に問うたのは、総理の言葉の問題だった。 ――総理の記者会見については、﹁言葉が響かない﹂﹁聞かれたことに答えていない﹂などの声も聞かれ、評判は必ずしも芳しいものではありませんが、どのように受け止めていますか。 ﹁これには本当にいろんな方々から電話が来て、厳しいことも含めていろんなことをご指摘いただきました。それら全てを謙虚に受け止めるべきだと思っています。私自身、もともと能弁ではないし、そもそも政治家は﹃弁舌よりも結果だ﹄と。結果を残せばわかってもらえるという政治姿勢で今までずっと来たので、そういう考えが会見の姿勢に出てしまっているのかもしれません﹂ そして菅首相は、反省の言葉を口にした。 ﹁しかし正直な話をすれば、総理
-
大手書店の三省堂書店︵東京都千代田区︶は2021年9月2日、東京・神保町にある﹁神保町本店﹂をビル老朽化に伴う建て替えのため22年3月で営業を終了すると発表した。 古書店街・学生街として知られる神保町の﹁ランドマーク﹂として親しまれてきた大型書店の閉店。ツイッター上では﹁うそでしょ﹂﹁衝撃的すぎて言葉ない﹂など惜しむ声が広がっている。 ﹁威風堂々としたお店が無くなっちゃうのは寂しい﹂ 三省堂書店神保町本店は地上8階建て。6フロアで書籍を販売し、飲食店なども出店している。三省堂書店の本社も入居する。発表によると、現在のビルは1981年3月に竣工。三省堂書店の創業100周年記念事業として建てられたものだった。 ビルは建設から約40年が経過し、建物設備の老朽化が進んだことから、隣接する第2・第3アネックスビルを含めた建て替えを決定した。22年3月下旬で神保町本店の営業を終了し、同年4月より解体を
-
~山形県の地場デパート、近年はテナントの退去相次ぐ~ ︵株︶マリーン5清水屋︵TSR企業コード:211015466、法人番号:7390001006232、酒田市中町2-5-1、設立1977︵昭和52︶年9月、資本金3500万円、堀正彦社長︶は8月5日、山形地裁酒田支部に破産を申請し8月13日、破産開始決定を受けた。破産管財人には加藤栄弁護士︵加藤法律事務所、同市北新町1-6-1︶と、藤井正寿弁護士︵藤井正寿法律事務所、同市東泉町4-12-8︶が選任された。 負債総額は約9億3700万円。 マリーン5清水屋の店舗︵TSR撮影︶©東京商工リサーチ 地域密着型の総合デパート﹁マリーン5清水屋﹂の運営会社。2012年2月に、福島県を地盤とする地場百貨店︵株︶中合︵TSR企業コード:160006708、法人番号:1380001001074、福島市︶との部分譲渡契約で、﹁中合清水屋店﹂の営業基盤を当社
-
上方落語を代表する関西芸能界の大御所、笑福亭仁鶴︵しょうふくてい・にかく︶さん︵本名・岡本武士=おかもと・たけし︶が骨髄異形成症候群のため、17日に大阪府内の自宅で死去した。84歳だった。葬儀は親族で行われた。特別顧問を務める吉本興業が20日、明らかにした。お別れの会は未定。 仁鶴さんは昭和、平成、令和と時代を超えて多くのファンに愛され、劇場からテレビ、ラジオなど様々な媒体で多彩な才能を発揮した。1912年に創業された吉本興業の﹁中興の祖﹂と言われる。 大阪市生まれの仁鶴さんは高校生の頃から友人とお笑いを研究し、卒業後は、ガラスふき、ブラシの行商、家業の鉄工所を手伝った。働きながら、素人参加の番組に数多く出演。才能を見出され、1962年、番組で知り合った﹁上方落語四天王﹂の一人、6代目笑福亭松鶴さんに弟子入りした。 落語家として高座に上がる一方、タレントとしても積極的に活動。深夜ラジオでは
-
﹁﹃なにかあった場合、うちは延命治療はせん﹄――。これは、母ちゃんが繰り返し僕に伝えていた言葉です。﹂︵撮影‥清水朝子︶ 延命治療を望まないことと、﹁早く死にたい﹂と望むことはイコールではありません。田村淳さんの母・久仁子さんは自分の病を知ったときから、大切な家族と楽しく別れるための数々の仕掛けを用意して、旅立ったのです︵構成=内山靖子 撮影=清水朝子︶ ︻写真︼母の葬儀は、﹁僕以上の芸人魂、というか、見事なエンターテインメントでした﹂ * * * * * * * ◆﹁なにかあった場合、うちは延命治療はせん﹂ 母ちゃんが亡くなって、もうすぐ1年になります。享年72。母ちゃんの話をするといまだに泣きそうになるし、悲しみが薄れることはこの先もたぶんない。実の母を亡くす、というのは本当につらい経験ですね。 母ちゃんの左肺にがんが見つかったのは、亡くなる5年前のことです。その報告を電話で聞いたとき
-
数字パズル﹁数独﹂の名付け親で、数独の父と言われるパズル制作会社﹁ニコリ﹂の前社長、鍜治真起︵かじ・まき︶さんが10日、胆管がんのため亡くなった。69歳。葬儀は近親者で営んだ。喪主は妻直美︵なおみ︶さん。後日、お別れの会を検討している。 1951年札幌市生まれ。高校時代には硬式テニス部に所属し、国体にも出場。慶応大に進学したが、70年安保の時期で休講が相次いだこともあって2年半で中退。印刷会社で働いていたときに目にした米国の雑誌に掲載されていた数字パズル﹁ナンバープレース﹂が数独へのヒントとなった。80年に友人と創刊した国内初のパズル雑誌﹁パズル通信ニコリ﹂で、ナンバープレースを﹁数字は独身︵シングル=1桁︶に限る﹂というタイトルで紹介。短縮した﹁数独﹂として定着させた。83年にはニコリを設立し、今年7月末に体調を崩すまで社長を務めた。 数独は、縦横9列の正方形のマスに、同じ列や縦横3列の
-
1