最近は、ネットでも「四十歳になった」「健康が気になるようになった」的な文章を目にする。私自身がそういう話題を気にするようになっただけなのか、それとも、黎明期からネットをやっている連中がだいたいそれぐらいの年齢層なのか。 そういえば、ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法の著者・天真爛漫なキャラのphaさんまで、『病気と健康の話ばかりする中年にはなりたくなかった』という記事をアップロードしていた。そこに群がるはてなブックマークのコメントが、これまた歳を感じさせる。 平均余命まで健康を保ちたいなら、三十代〜四十代からの健康管理は必須だろうし、これぐらいの歳になると身体の衰えが気になってくる。集中力や記憶力にも陰りがみられ、徹夜なんてやろうものなら体調を戻すのに数日かかる。親が病院の世話になりはじめる。だから、三十代の途中から健康不安が首をもたげるのは自然なこと
「思春期は自由な季節」。 自分が何をやるのか・自分が何者であるのか・自分がどこに住むのかを試行錯誤できる、モラトリアムな季節、思春期。その自由奔放といわれる思春期は、かつて、大学卒業ぐらいまでといわれていたらしい。それが二十年ぐらい前には「思春期は30歳まで」と言われるようになり、近頃は「いやいや35歳ぐらいまでが思春期でしょ」と言う人もいる。字義通りに解釈するなら、思春期が延びたということは、自由に生きられる時間が延びたということになるし、おめでたいことである。 しかし、思春期の延長はめでたいことばかりではない。 「思春期とは自由な季節である」というのは、いわば表のルールのようなもので、実際にはもう一つ、裏のルールがある。 裏のルールとは、「○歳までに××していない人は置いてっちゃいますからねー」である。現代社会が思春期と呼んでいる時期には、一定年齢になるまでにやっておかなければできなく
今でこそ私は、精神科医という、他人の社会適応やメンタルヘルスを気にする仕事に就いているが、かつては自分自身の社会適応やメンタルヘルスにこそ問題があり、学校生活から落伍していた。いや、本当は今でも自分自身の社会適応に問題はあるだろうし、だからこそ人間の社会適応を学び、実践することに拘っているのだろう。 1.私はもともと古い地域社会の出身で、そのコミュニティのなかでは概ね上手くやっていた。私は我の強い、そのくせコミュニケーションの機敏に疎い子どもだったと思う。しかし地域の年長者達はそんな私の取り扱い方をよく心得ていて、私のほうも彼らを慕っていたので、コミュニケーションに困ったことはあまり無かったと思う。私は小学校に行くのを楽しみにしているような子どもだった。 しかし幸せは長く続かなかった。中学校に入り、地域社会の外側の生徒にまみえるようになると、私は年長者の保護を失った。“よく知らない同級生と
規律や道徳が内面化されている人は、状況や他人の目線だけに依存せず、他人の目線が届かない時にも、盗みや怠惰に陥らず行動できる。万が一、盗みをせざるを得ない時にも、それが罪*1であるという葛藤のもとで盗むだろう。誰もいないところでも、怠惰や堕落に陥りにくい。 対照的に、自分の内側に規律や道徳がまったく内在化していない、状況や他人の目線だけに左右される人は、全てが状況任せ・他人任せになる。そのような人は、もちろんポリシーなど持っていないし、ただ、状況に流されるだけだ。周りがルールを守っている時には同じように行動するかもしれないが、他人の目線の届かない時にはルールもクソも無い。信号だって無視するし、他人の目の届かない(例えばプライベートな)空間では、やりたい放題やるだろう。怠惰や堕落を許す状況に対しても、なんらかの衝動に対しても、これといった免疫も無い。自分の内側に自分を制御する要素が無いのだから
あの頃の僕らが嘲笑って軽蔑した 空っぽの大人に気づけばなっていた件について:駄目人間速報(^ν^)<クズ集まれ-2chまとめ 「大人になる。」 あなたは「私は大人になった!」と自信をもって言えますか? 成人式をやっただけで大人になったと胸を張れる人は、あまりいないでしょう。最近では「大人の歳になったけど、子どもとあんまり変わらない」という声を聞くこともあります。「大人になったかどうか」を自問自答しても、いまひとつピンと来ない人が多いのではないでしょうか。 誰でも最初は“大人一年生” ところで、大人って「なる」ものじゃなくて「やる」ものだと思うんですよ。 「大人という役割を引き受ける」と言い換えてもいいかもしれません。 子どもから大人への変化は、芋虫がサナギを経て蝶になるほど明瞭ではありません。そして実際には、“小学生や中学生が想像するような理想の大人”に100%なりきっている大人なんて、多
「思春期モラトリアムの延長」という言葉を聞いたことのある人は多いと思います。昔は20歳ぐらいまでを思春期と読んでいたのが、近年、“30歳までが思春期”とか“35歳まで思春期”とか言われるようになってきた、アレです。 この思春期モラトリアム延長の要因としては、大学進学率の上昇のような“大人になるまでに学習すべきことの増加”や“晩婚化”、“人的流動性の高まった社会”などがしばしば挙げられます。まあ、間違っていないような気がします、たぶん。 思春期が延長した要因については機会を改めるとして、このテキストのタイトルは「思春期に幽閉されるしんどさ」です。慣用句には“薔薇色の青春”なんて表現もありますが、思春期の延長という現象が、いま思春期をやっている人達にとってどういう意味を持つのか、立ち止まって考えてみたくなった次第です。 高い濃度を保てるなら、思春期延長も悪くない 思春期が延長したら、そのぶん思
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く