文化と哲学に関するauientのブックマーク (2)
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最近、二次元に魂を奪われ二次創作に萌える二次豚とでも呼ぶべき存在どもが、﹁公式が勝手に言ってるだけ﹂﹁原作とアニメで言ってないだけ﹂という種類の鳴き声を発明した。 歴史学などの一部学問においてはこうした態度が倫理的に要請されてきた、ということはニコニコ大百科でも指摘されているが、そもそもこうした態度はここ半世紀ほど﹁文学﹂﹁テキスト﹂﹁作品﹂といった物事を専門家が語るために用いられてきたものがほぼ起源であろうと思う。﹁テクスト論﹂と呼ばれるものがそれである︵構造主義の話はしません︶。 すなわち﹁勝手に言ってるだけ﹂﹁言ってないけど言ってる﹂は、文学者がこの半世紀格闘し続けてきたテーマなのである。ちなみに本稿は、加藤典洋﹃テクストから遠く離れて﹄をなんとなく参考にして書かれたので、興味のある方はそちらも読まれるとより楽しいかと思う。 さて、半世紀ほど前まで、たとえば夏目漱石の作品を批評する、
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25日に閉幕した平昌五輪では、メディア施設近くに置かれた彫刻像がインターネット上で話題を呼んだ。正式名は﹁Bullet Men︵弾丸マン︶﹂だが、日本のスポーツ紙が取材した際、スタッフが﹁分かりません︵モルゲッソヨ︶﹂と返したことから、その名が定着してしまった。作品を手がけた本人はどのように受け止めているのだろうか。韓国人の彫刻家キム・ジヒョンさん︵50︶にインタビューした。 ――この彫刻像が、男性器に見えると指摘する人がいます。 ﹁第一印象が男性器なのは否定できません。社会的な男性性、欲望の象徴です。男性のたくましい体の頭を覆うヘルメットの形は見ての通り、滑らかな弾丸のイメージと男性器を二重にイメージ化したものです。家父長的な文化で、男性中心的な社会を生きていかなければならないという意味で、武装の概念であるヘルメットを作り、その中には弱い人間の本性があることを表現したのです。美術史におい
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