ブックマーク / jp.ign.com (7)
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ビデオゲームにおける多様な楽しみの特徴を検討し、その仕組みを探る連載﹁ゲームプレイの快楽﹂。今回は﹁Dear Esther﹂などを例に取り、﹁ウォーキングシミュレーターにおける視点の移動と目眩の感覚﹂について語る。 ジェットコースターのおもしろさは、重力によって身体が引っ張られたり、ものすごい速さで変遷していく景色を見て、目眩を覚えたりすることにある。構造としては、映画ととてもよく似ている。しかし体験の質はまったく違う。映画に映し出される映像が原理的にどのような視点も許容するのに対し、ジェットコースターを体験する視点はつねにあなたのものだ。 では、車に乗ってドライブに行くことのおもしろさはなんだろう。拡張された身体を用いることの快感については、前章で述べた。しかし、ドライブにおいてもうひとつ重要なことは、気の向くままにどこへでも行けるという自由さだ。ジェットコースターはなにがあろうとも、定
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当たり前のように目にする環境は、膨大な生物たちが相互に関係しあうことで形作られている。数知れない動物や植物のほか、菌類や微生物らが関係しあう生物多様性によって地球環境はできあがっている。その事実を無視し目先の利益を求め環境を変えてしまえば、それは多様性を失う貧しい環境へ導く。 生物多様性、それはビデオゲームのクリエイティブも変わらないかもしれない。当たり前のように目にする﹁スーパーマリオ﹂シリーズのような有名タイトルの周辺には、さまざまなアプローチで開発された膨大なタイトルの歴史的な集積がある。膨大なタイトルたちのゲームデザインが影響しあうことで今日のビデオゲームが形作られている。 ひとつ “影響しあう”例を挙げよう。﹁アンチャーテッド﹂シリーズのクリエイターのひとり、リチャード・ルマルシャンは同シリーズの物語表現の影響に﹃The Graveyard﹄や﹃Passage﹄を挙げている。冒険
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ビデオゲームが必要とするデータ容量は、年を追うごとに増加しています。﹃Call of Duty﹄シリーズといったAAAタイトルともなると、100GBを超えるものも珍しくありません。ゲーミングPCや現世代機は、大容量︵PS5・Xbox Sereis Xの場合で1TB︶のストレージを備えていますが、ある程度まとまった数のゲームをインストールしようとすると、すぐに一杯になってしまいます。 今回は、﹁データ容量﹂に注目して、ビデオゲームの歴史を整理します。データ容量がどのように増大してきたか、そして時代ごとにどういった特徴があるかを示します。 この記事では、1980年代初頭から現代︵2023年︶までを、﹁ROMカセット期﹂﹁光学ディスクメディア期﹂﹁ダウンロード販売期﹂の3つに区分します。ただし、3つの時代ははっきりと区分できるものではなく、以下の図で示す通り、互いにオーバーラップがあります。 本
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主人公の記憶と感覚はかれの存在をデジタル化した企業のものであり、また実感としても、自我にうまく結びつかない。おそらくは、人工のボディの機能が不全であるからだ。茫漠としてつかみどころのない記憶のなかで、自分のボディを貨物用フレイターのなかに押し込んだことだけは覚えている。名作﹃Disco Elysium﹄の冒頭は漆黒の闇だったが、こちらは明滅する意識の白。擬体化された人間が体験する、自意識にたいする不信が語られたあと、突如として彼は﹁発掘﹂される――﹁アーリンの瞳﹂たる環状コロニーのブルーワーカー、船体修理工の手によって。 ﹁目覚めて最初に気づいたのは切断。考えてから感じるまでの遅延。やりたいと欲してやるまでの。わずかで、ほとんど感知できないほどだが、しかし常にある。﹂――書き出し、筆者拙訳 彼は船体修理工に仕事をもらい、仮の住まいのコンテナを貸りたあと、かれにとってまったくの新天地である﹁
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編注‥本レビューは小説家でもある藤田祥平氏の脳内会話を言語化した一風変わったレビューとなっており、内容はわかりづらいかもしれない。しかしその結果、あなたは本作のストーリーの核心︵……あるのだろうか︶触れないまま、本作の雰囲気を存分に体験することができる。またゲームプレイの内容は存外わかりやすく書かれているため、肉体装置がネタバレ警報を出さない場合は一読をおすすめする。 インターネット上のランダムな文章―― ﹃ディスコ エリジウム﹄だ。このタイトルを片仮名で書けるのは、嬉しい。日本語訳の発表まで、三年かかった。そのあいだにわたしたちの世界は疫病に侵され、500万の命が喪われ、欧州の東で戦争が始まった。たしかに、いい頃合いなのかもしれない。現実といういまいましい世界を忘れ、べつの世界にどっぷりとはまるのに。 本作はテキストを主体としたアドベンチャーである。英語で発表された原文のワード数は、10
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ダンジョンのなかで新たな仲間を探すのも本作の醍醐味だ。強い剣を持っている犬が仲間になって嬉しい! と思ったら直後にその武器が破壊されて目の輝きが消えたりもする。 あるいは、﹁探索も安定してきたな﹂と慢心したら、うっかり強い敵が出るフロアを踏んでしまい、メインパーティーが迷宮の彼方にぶっ飛ばされて途方に暮れる。おまけにその後は、低レベルの仲間でどこかへ消えた者たちを探さなければならなくなるのだ。 このように、“外道”と言いたくなる仕掛けだらけのダンジョンに挑むのが﹃ダンジョンエンカウンターズ﹄だ。おまけに本作は探索とバトルに注力した極めてストイックな作りになっており、上記のような苦痛を受けても、いやむしろ苦痛を受けるからこそダンジョン攻略に燃える人に向けられた作品といえる。 寂しく恐ろしいダンジョンには﹁死ぬより怖い罠﹂だらけ ﹃ダンジョンエンカウンターズ﹄はスクウェア・エニックスが発売、キ
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死ぬほど不幸になってもいいではないか。 それも人間の可能性のひとつである。 ――ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン﹃反哲学的断章――文化と価値﹄ 人生をだめにするほどビデオゲームに没頭した経験をもつ人は多くいるだろう。そこからどのようにして生き延びたかが問題だ いまから10年前の2006年のこと、私はもっとたくさんビデオゲームを遊ぶために高等学校をドロップアウトした。これはいい。私はさらに――意識してそうしたわけではないが――それまでにあった交友関係をすべて遮断した。これもまあいい。問題は、それから色々なところでアルバイトとして働き、その店のじゃまをして給料をもらっていたことだ。当時の私がいったい何を考えていたのかは定かではない。確かなのは、ビデオゲームがやりたくて仕方がなかったことだけだ。 そうまでしてやりたかったゲームとは、﹁Wolfenstein:Enemy Territory﹂であ
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