「雑記 3.22-3.28」のフォローのエントリです。 「第一種の誤り/第二種の誤り」についての福岡伸一ハカセの説明を検討してみたいと思います。 統計学は得意ではないので、おかしなところがあったら指摘をお願いします。 まずは、統計学上の「第一種の誤り/第二種の誤り」とは何かを確認しておきましょう。 統計学的仮説検定においては、ある変数間の関連性の存在を主張する仮説を検定するために、まず、元の仮説とは逆の「帰無仮説」、すなわち「変数間に関連性が存在しない」という仮説を設定します。 検定の結果、「帰無仮説」が棄却されれば、変数間の関連性の存在を主張する仮説が支持されることになります。 「第一種の誤り」とは 帰無仮説が正しいのに、棄却してしまう危険性、逆にいうと、仮説が支持されないのにも関わらず、支持されるといってしまう確率 「第二種の誤り」とは 帰無仮説が棄却するべきときに、棄却しない確
宮崎哲弥って、福岡伸一と仲がいいみたいなんですが、やっと福岡ハカセのヤバさに気がついたようです。分子生物学者の福岡伸一氏をゲストに迎えての『ニュースの深層』(朝日ニュースター)。 新著『動的平衡』(木楽舎)の紹介。それから若干の突っ込みを入れる。 仏教者としては、福岡氏の関係論的生命論、自然観にはほとんど異論がない。 彼の話を聞いていると『ダマパダ(法句経)』や『ミリンダ王の問い(那先比丘経)』などの一節をつい想起してしまうほどだ。 しかし、暫定的科学主義者としての私からすると、やや突飛に思えるところがなくはない。 例えば『動的平衡』ではライアル・ワトソンが肯定的に紹介されている。だが、ワトソンは生物学の世界では「百匹目の猿現象」や「グリセリン結晶」など多くのデタラメ学説を流布した疑似科学者ということで評価が定まっている。 福岡氏の奔放不羈な思考は魅力だが「ちょっとこれは……」と
福岡のダーウィニズムへの攻撃は、ベストセラー『生物と無生物のあいだ』でも見ることができる。しかし私は、現存する生物の特性、特に形態の特徴のすべてに進化論的原理、つまり自然淘汰の結果、ランダムな変異が選抜されたと考えることは、生命の多様性をあまりに単純化する思考であり、大いなる危惧を感じる。 むしろ、生物の形態形成には、一定の物理的な枠組み、物理的な制約があり、それにしたがって構築された必然の結果と考えたほうがよい局面がたくさんあると思える。分節もその例である。 ショウジョウバエという小さなハエがいる。生物の形態が分節を有する機構についての重要な知見は、この透き通るような可憐な昆虫を観察することから得られた。このハエは、ハエとはいうものの、その英名をフルーツ・フライというように果物や樹液を好む、体長三ミリメートル程度の極小のハエである。試験管の中で飼育でき、ライフサイクルもきわめて短いの
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