荒木 村重(あらき むらしげ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。利休十哲の1人である。 生涯[編集] 池田・織田家臣時代[編集] 天文4年(1535年)、村重は荒木信濃守義村(よしむら)の子として生まれた[6]。荒木氏は摂津の有力国人である池田氏に仕えていた[6]。また、荒木氏は系図などで丹波波多野氏の一族とされ、藤原秀郷(血脈上は源範頼)の子孫といわれる[7][6][注釈 2]。祖父の荒木大蔵大輔安芸守定氏は摂津国大物浦で戦死している(大物崩れか)[注釈 3]。村重は幼名を十二郎[9](十次郎[10])といい、後に弥介[9](または弥助[10])と名乗った。 最初は池田勝正(長正の次の当主)の家臣として仕え、池田長正の娘を娶り、その一族衆となる。しかし、三好三人衆の調略に乗り、池田知正(長正の長男)と共に三好氏に寝返り、知正に勝正を追放させると混乱に乗じ、池田氏を掌握する
![荒木村重 - Wikipedia](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/6f8b74fe173d042a9e85ee1ce7a9771e4ec876c9/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fupload.wikimedia.org%2Fwikipedia%2Fcommons%2Fthumb%2F0%2F06%2FAraki_Murashige.jpg%2F1200px-Araki_Murashige.jpg)