人間交際とニコニコ動画に関するch1248のブックマーク (3)
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ニコニコ大会議について少しだけ - 煩悩是道場 空気読みの求められる日本社会が民度の低さを表している - 狐の王国 とはいえ。 こうした状況は﹁ニコニコ大会議﹂が最初だったのでしょうか。 いいえ、違いますね。 誰かに向かって揶揄したり、誹謗したり中傷したりからかったりして﹁楽しむ﹂光景は幾らでもあります。2ちゃんねるで、はてなブックマークで、twitterで、ウエブログで、ウエブ全体で、いいえ、社会全体で。 右を見ても左を見ても嘲笑、誹謗、中傷、差別、憎悪がどす黒く渦巻いているではありませんか。 日本の動画サイトでは顔出しで出ている人が少ないが、それはこうしたことを恐れているからというのも一つにあるだろう。誰だって無闇に自分の外観をネタにされたくはない。せっかく作ったネタを外見ネタで浸食されたくない。 それは突きつめると、我々日本国民の民度の低さに行きつく。作品よりも演じてる人間の外見が
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■購入して以来ずっとデスクの横に積んでいた初音ミクを、最近ようやくいじる時間ができた。下手なりに偶然﹁これ人間っぽいぜ﹂と思うフレーズが一小節くらいできると小さな喜びを感じるが、同時に湧き上がってくるのが﹁これミクっぽくないぜ﹂という違和感である。 ■しかし、ミクっぽさとは何だろう。クリプトンがミクに与えたのは、ビジュアル、歌声、そして簡単なプロフィール︵年齢と身長と体重︶くらいである。特定のアニメやゲームに出てくる特定のキャラクターに比べれば、ミクについて僕が知らされていることはあまりにも少ない。 ■だったら、ミクっぽいとかミクっぽくないという感覚はおかしいんじゃないかとも考えたが、ミクらしくない歌声というものは確かにある。具体的にいえば、ダイナミクスのパラメータをいじると音と音の繋がりがスムーズになり、ブライトネスのパラメータを下げるとキンキンした感じがなくなる。人間っぽい歌声を目指す
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何の分野にしても﹁〜〜し続けている﹂ことの魅力を他人に伝えることは難しい。 これを読むような人なら﹁webの文章に何らかの手段でたどり着いて読むこと﹂だったりするのだろうが、その魅力を説明しようとすると﹁毎日新鮮な発見と出会うことが出来ます﹂といったような、曖昧で平凡な表現にしかならないのではないだろうか。 それは映像作品や本、学問、ゲームやマンガといった分野でも似たようなものだろうと思う。何か一つ、有名で良質な作品があったのなら﹁とりあえずこれを見ろ(読め)﹂といった伝え方も可能になるが、﹁興味を持って〜〜し続ける﹂ことを伝えるには少しばかり遠い。 それでも、何か個別の具体例を示すというのは伝達手段としてとてもわかりやすい。その例を知って強い興味を持ったのなら、自然とその周辺(作り手、ジャンルなど)にも興味を持つし、そうなれば﹁〜〜し続ける﹂ことの魅力を十分に伝えたことになる。 ﹁前提知
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