![バター守るのにも全力出すTPP - 漂流する身体。](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/b35132dfea7ed06ca0de03285fb02cebe685f2f0/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fcdn-ak.f.st-hatena.com%2Fimages%2Ffotolife%2Fb%2Fbohemian_style%2F20130304%2F20130304122012.png)
スーダンの写真を加工するのが面倒がっている内に、スーダン南部は独立するわ、その前に行ったエジプトでは革命起きるわの騒ぎで、状況を注視していたら震災に原発が起きて旅ネタどころでは無くなり、しかもtwitterで書きもの意欲を小口ベントし続けたので、いまいちブログ書き圧力が自分の中の炉心で高まらなかった。半年か。スーダンの記憶はもう遙かに霞む。 震災から数えても既に100日以上が経過している。この間、ゴールデンウィークと、続いて6月上旬に被災地へ2度行った。いわゆるボランティアとしてだが、やはりこの記憶と経験は残して置くべきだろうと思ったので、ここに記すことにする。 バスで着いて、この風景。絶句した。no-man's land。 ボランティアは役に立つのか 阪神大震災で今ひとつボランティアが役に立たなかった事はよく知られている。これは、震災ボランティアそのものが阪神で始まった様なもので、受入体
土曜にたまたま東京の東側に居たので、有楽町西武の閉店を見に行くことにした。生まれ育った街から一番近い都市は浜松で、浜松の百貨店と言えば、子供の頃は西武だった。この西武はもう撤退して無くなったけど、自分の中ではデパートと言えば西武、みたいな原初の記憶が存在する。また、浜松の中学に、学ラン着て、鼻水たらしつつ通った頃、世の中はバブルだった。浜松の鼻タレ中坊が想像するバブルとは、マスメディアを通して知る軽妙浮薄な情報から形成される想像の産物だった。それは、西武が海外から買い付けてきたポストモダン的な“オブジェ”に、林真理子や田中康夫、或いは糸井重里辺りが判った様な判らない様な片仮名が多いコメントを付けると飛ぶ様に売れる、そんなイメージだったかもしれない。当時は確実に時代の担い手だった西武だが、バランスシートの整理をしている間にすっかり元気を無くし、百貨店業界は伊勢丹一人勝ちみたいな状態である。僕
ゴールデンウィークはカレンダー通り休めることになって、慌ただしく旅に出ることにした。イランや南インドに最初は狙いを定めたが、エアチケットが20万の余もする。さすがに5日間では勿体ない気がして、半額以下のベトナムに行き先を変更した。勿体ないとは言うものの、ふんだんに旅に出る機会があるのならば、その考えは正しい。ただ、そう長くは休めないのが常であれば、5日間でも厚く張って遠くに出た方が満足度は高い様な気もする。でも、貧乏性ゆえどうにも踏ん切りが付かず、毎度短い休みは東の付くアジアを出れずに数年過ごしている。 さて、ベトナムは4-5年前に香港から陽朔を経由して陸路国境を越え、フエまで南下したとき以来である。古いバックパッカーの間では、ベトナムと言えば名物は停電だったが、フラット化する昨今、もうそんな時代では無くなった。どこの国でも水と氷売りは貧しい人の職業だが、今回飛行機を降り立つと、ベトナムの
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