ブックマーク / note.com/sensou188 (3)
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信州戦争資料センターの中の人は、叔父2人を戦争で亡くしています。いずれも父の兄で、それぞれ26歳、23歳という若さでの戦死です。 しかし、一人は大陸で、一人は南方で亡くなったという以外に何もわからなかったので、軍歴照明を手間をかけて集め、ようやく経過が分かりました。少しだけ、叔父たちの供養の意味を込めて、ここに記録させていただきます。 ◇ 上の叔父は1918︵大正7︶年の生まれで、1944年4月20日、26歳で応召され、京都で編成した第53師団輜重兵第53連隊補充隊に入ります。第53師団は当時、南方軍予備としてサイゴンやシンガポールにいたことから、その方面に出る予定だったと思います。が、8月26日、関東軍を上部組織とする第17方面軍の独立自動車第82連隊へ転属。その後、拠点だった朝鮮の全州︵チョンジュ︶で終戦を迎えたとみられます。 ところが、復員とはならず、1946年8月21日、奉天で戦死
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最近、教育勅語を職員研修に使っている首長がいると聞きました。まあ、ものごとを知らないから、権威にすがらないと部下を指導できないから、明治政府の作ったシステムに頼るだけなのではないでしょうか。 ところで、大日本帝国憲法が発布されたのは1889年︵明治22︶年。﹁大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す﹂﹁天皇は神聖にして侵すべからず﹂で始まり、天皇を君主として明確にしました。教育勅語が出されたのはその翌年、1890︵明治23︶年10月30日のことです。教育方針について長官会議で政府にまとめてほしいと言われたなど、経過はいろいろありますが、天皇の神格化の一環であったことは間違いないでしょう。ところがよくわからない為、表題写真のように、さまざまな時代にいろんな解釈本が出されています。下写真が、教育勅語全文です。 ﹁教育勅語・戊申詔書義解﹂︵明治44年・長野県南佐久郡校長会編︶より 教育勅語は、大きく
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新型コロナウイルス感染拡大に伴って国が全住所に2枚ずつ布マスクを配布する事業に取り組み始めたところ、この布マスク配布のおかげで不織布マスクが値崩れしてきたーとの言説が流布され、首相や官房長官も﹁そのような評価がある﹂由発言してきました。果たして実際のところはどうでしょう。これは歴史の風説の検証にも似ています。現在を体験しているものとして、個人で入手できる範囲のマスクに関する情報を集め、検討しました。 ︵表題写真は配布発表記事が掲載された2020年4月2日信濃毎日新聞朝刊と6月10日に届いたマスク) 作業は基本的に歴史を研究するのと同じで、ある事象に関する情報を集積し相互の関連を検討するという、単純な手法です。今回、末尾に示す170件以上の情報を資料としました。新聞記事と一部ネット、公的機関の発表資料から事実関係の記述を拾い出して時系列に並べ検討した結果、マスクの値崩れは中国の輸出緩和が一番
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