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都知事選
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オモニハッキョに来て、今まで勘違いしていたと思ったことは、特別永住者のオモニよりも、一般永住者のオモニが圧倒的に多かったことです。わたしがハッキョに関わっ...オモニハッキョに来て、今まで勘違いしていたと思ったことは、特別永住者のオモニよりも、一般永住者のオモニが圧倒的に多かったことです。わたしがハッキョに関わった時代のせいかも知れませんし、在日について無知なわたしが在日一世はみんな特別永住者であると疑いもなく思い込んでいたことが原因なのですが、オモニハッキョに来てオモニたちから学んだことの一つが、同じ在日朝鮮人でありながら、特別永住者と一般永住者が差別されているという事実でした。わたし自身が特別永住者という「特権」に批判意識を全く抱いていなかったことを恥ずかしく思いました。 Kオモニも一般永住者でいらっしゃいます。50年代後半に日本に密航で来られ、トーロクが無く潜みながら日本で生活をさ
いくのオモニハッキョのスタッフのブログです。(写真は、ハッキョの窓からのぞむ、生野の夕暮れ)わが家に「韓流ブーム」がきて、6年以上経とうとしています。 最初に、わが家に韓流ブームを巻き起こしたのは私なのですが、「韓流」なるものの面白さを私に教えてくださったのは、I美オモニでした。 7年ほど前の、あるハッキョの授業でのことでした。その頃の私は、まだ担当のクラスを持っておらず、その日のオモニやスタッフの出席状況に合わせて、「あ組」でお勉強をされているオモニたちと、ほぼ日替わりのような感じでマン・ツー・マンの授業をしていました。 ある日、I美オモニと一緒にお勉強をさせていただくことになった私は、三階の教室の一番奥の机に座って、授業が始まる前から、もう一生懸命ノートに何か書かれているI美オモニのそばに行き、I美オモニに「今日は、私が担当させていただきますので、よろしくおねがいします」とご挨拶
いくのオモニハッキョのスタッフのブログです。(写真は、ハッキョの窓からのぞむ、生野の夕暮れ)来年の干支は「トラ」ですね。 うちの家族は、結構「トラ」が多いです。まず、わたしのハルモニが「トラ」年生まれで、来年84歳になられます。そして、わたしの母親も「トラ」生まれで、来年60歳の還暦を迎えます。また、現在進行形でモサモサ中のわたしの弟も「トラ」生まれで、「トラ」というよりは「イエティー」みたいな感じなのですけど、一応「トラ」で来年24歳になります。弟に関していうと、12年前はまだ12歳やったんですよね。その頃は、まだめっちゃ爽やかな野球少年やったのに、どこでどう間違って12年後の現在、なぜか悪態をつく時だけ関東弁になるギター系引きこもりのモサモサ君になってしまったのでしょう。 おとといも、チャンゴの練習を終えて家に帰ると、弟が母親に「なあ、チョコが食いてえから、チョコ買って来てえや」と
いくのオモニハッキョのスタッフのブログです。(写真は、ハッキョの窓からのぞむ、生野の夕暮れ)昨日、仕事を終えてオモニハッキョに行くと、ハッキョのポストに「月刊イオ」が届いていました。 「月刊イオ」は、以前にブログで紹介させていただいたブログであります「日刊イオ」の本体というか、主に「在日」同胞のことをテーマにしている月刊誌です。今年の夏くらいから、わたしが「日刊イオ」のブログにストーカー的にブクマ(コメントのようなものです)をしていたところ、「日刊イオ」の編集部の方に見つかり、逆に「イオ」の編集部の方にわたしのブログを発見されてしまったことから、そこはかとない交流が始まりました。そして、嬉しいことに、オモニハッキョのオモニやスタッフの為に、毎月「月刊イオ」を送ってくださることになったのです。 「月刊イオ」は本当に素晴らしい雑誌で、昨日いただいた最新号を合わせると、わたしは「月刊イオ」を
いくのオモニハッキョのスタッフのブログです。(写真は、ハッキョの窓からのぞむ、生野の夕暮れ)月曜日、いつものように授業が始まるまでの間、2階の教室でオモニたちとお話をしていた時のことです。 オモニたちが楽しそうにお話されているのと聞きながら、わたしは小さなメモ用紙に、伝言メモのようなものを書いていました。顔を机の方に向けてメモを書きながらも、わたしはオモニたちのお話に時々相づちを打ったり、くすくすと笑ったりしていました。そんな風に、しばらくの間、わたしがオモニたちのお話を受けて言葉を継ぐことをせずに、ただオモニたちのお話を聞くだけにしていると、そんなわたしの姿が面白くなかったのか、オモニたちはお話しするのをやめて、「せんせい、それ、なに書いてますのん?」と、わたしの書いているメモをのぞき込んで来られました。わたしは、自分の書いたメモを見せながら「ああ、これは、ちょっと人に伝えないといけな
いくのオモニハッキョのスタッフのブログです。(写真は、ハッキョの窓からのぞむ、生野の夕暮れ)月曜日、いつものように授業が始まる前に「い組」さんのオモニたちと、お話をしていた時のことです。 とても物静かで優しいK(順)オモニが、オモニが見られたというあるテレビ番組のことを話してくださいました。それは、日本で育ったフィリピンの男の子のお話で、何かの事情でその男の子は、家族と一緒にフィリピンに帰らなければならなくなったそうなのですが、フィリピンに戻っても、言葉が分からないので、学校でからかわれたり、本当は三年生なのに、一年生のクラスに編入しなければならなかったりと、その男の子が故郷に帰っても、とてもツライ思いをしていることを、K(順)オモニは、とても悲しそうなお顔で話してくださいました。番組の中で、その男の子は、日本にいる時に履いていた靴を、フィリピンに戻っても大事にしまっていたそうです。その
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