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20世紀、独自の研究によって日本の生命研究の基礎をつくった科学者が、自らの研究と人生を語ります。 豊富な写真と図版もお楽しみ頂けます。 記事は、季刊﹁生命誌﹂掲載のScientist LibraryをWeb用に編集したものです。 科学者の所属等は季刊﹁生命誌﹂掲載当時の情報となります。
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学び
●2020/01/08 14:06
●研究
●人生
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1971年 京都大学農学部農林生物学科卒業 1976年 京都大学大学院理学研究科博士課程単位取得退学︵動物生態学︶ 1976年 日本学術振興会奨励研究員 1977年 東邦大学理学部助手 1986年 東邦大学理学部講師 1997年 東邦大学理学部助教授 2004年 東邦大学理学部教授 2008年 京都大学野生動物研究センター教授︵兼任︶ 2014年 東邦大学名誉教授 1996年 都民文化栄誉章 1998年 第32回吉川英治文化賞 1999年 環境庁長官感謝状 1999年 全米野生生物連盟自然保護功労賞 2000年 日本学士院第7回エジンバラ公賞 2005年 ︵公財︶日本自然保護協会第5回沼田眞賞 2006年 ︵公財︶山階鳥類研究所第14回山階芳麿賞 2014年 第68回愛鳥週間 野生生物保護功労者表彰 2014年 アメリカ合衆国魚類野生生物局絶滅危惧種回復功労賞 2015年 海洋立国推進功労
●
学び
●2018/09/02 19:00
●生物
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1947年 兵庫県生まれ 1975年 東京大学理学系研究科博士課程修了︵理学博士︶ ウィスコンシン大学酵素学研究所 研究員 1979年 京都大学理学部 助手 1981年 東京大学医科学研究所遺伝子解析施設 講師 1985年 東京大学医科学研究所遺伝子解析施設 助教授 1989年 東京大学理学系研究科 教授 2011年 かずさDNA研究所 所長 2013年 自然科学研究機構 基礎生物学研究所 所長 小学生のころの記憶にあるのは、上の弟を連れてよく西宮から神戸の三宮まで父を迎えに行ったこと。レンガ造りの国鉄三ノ宮駅に﹁特急かもめ﹂が入ってくるのを待ちわびました。父は、戦時中に戦闘機﹁紫電改﹂を製造していた川西航空機の社員でした。戦後は新明和工業となり、航空産業からオートバイや油圧機器の製造に転換したので、営業のために九州と本社のある関西を始終行き来していたのです。 赤ん坊のころ赤痢にかかって生
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テクノロジー
●2016/12/12 11:16
●research
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1935年 沖縄県生まれ 1958年 東京大学農学部水産学科卒業 1960年 東京大学農学部海洋生化学研究室助手 1966年 ハワイ大学博士研究員 1969年 東北大学農学部助教授 1976年 WHO顧問ルイ・マラルデ医学研究所 1977年 東北大学農学部教授 1998年 東北大学農学部名誉教授 ︵一財︶日本食品分析センター顧問 1989年 有毒プランクトン国際学会賞 1992年 日本農芸化学会賞 1994年 海洋天然物化学P.J.Scheuer 賞 1994年 内藤財団記念科学振興賞 1997年 日本農学賞・読売農学賞 1999年 紫綬褒章 2004年 恩賜賞・日本学士院賞 2006年 ナカニシ賞 出身は沖縄県の那覇市、にぎやかな8人兄妹の4番目です。天妃国民学校に入った年に太平洋戦争が始まりました。3年生の夏にサイパンが陥落し、南西諸島の住民に疎開命令が出され、家族で鹿児島へ疎開するこ
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世の中
●2015/10/14 05:38
13users
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北里大学 特別栄誉教授 / 米国ウェスレーヤン大学 マックス・ティシュラー教授 / 北里大学北里生命科学研究所天然物創薬推進プロジェクト スペシャルコーディネーター 1935年 山梨県生まれ 1954年 山梨県立韮崎高等学校 卒業 1958年 山梨大学学芸学部自然科学科卒業 東京都立墨田工業高等学校教諭 1963年 東京理科大学大学院理学研究科修士課程修了 山梨大学文部教官助手 1965年 (社)北里研究所技術補 1969年 北里大学薬学部助教授 1971年 米国ウェスレーヤン大学客員教授 1975年 北里大学薬学部教授 1984年 (社)北里研究所理事・副所長 1990年 (社)北里研究所理事・所長 1997年 (学)女子美術大学理事長︵兼︶ 2001年 北里大学北里生命科学研究所教授 北里大学北里生命科学研究所・所長 2005年 米国ウェスレーヤン大学マックス・ティシュラー教授 200
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世の中
●2015/10/06 00:13
●science
●人物
●科学
●人生
●経済
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1942年 京都市生まれ 1971年 京都大学大学院医学研究科 生理系専攻修了 1971年 米国カ-ネギ-研究所発生学部門 客員研究員 1973年 米国NIH 客員研究員 1974年 東京大学医学部助手 1979年 大阪大学医学部教授 1984年 京都大学医学部教授 1988年 京都大学遺伝子実験施設、施設長 1996年 ~ 2000年 京都大学大学院医学研究科長・医学部長 1978年 日本生化学会奨励賞 1981年 野口英世記念医学賞 1982年 朝日賞 1984年 大阪科学賞 1984年 木原賞 1985年 ベルツ賞 1988年 米国免疫学会名誉会員 1988年 武田医学賞 1991年 フォガティースカラー︵NIH︶ 1992年 ベ-リング北里賞 1994年 上原賞 1996年 恩賜賞・学士院賞 2000年 文化功労者 2001年 米国科学アカデミー外国人会員 生まれは京都ですが、医者
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学び
●2014/07/09 21:38
●研究
●科学
●science
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1947年 福井県生まれ 1971年 京都大学理学部卒業 1976年 京都大学大学院理学研究科修了。理学博士 1976年 カリフォルニア大学サンディエゴ校研究員 1978年 スイス・バーゼル免疫学研究所研究員 1982年 カリフォルニア大学バークレー校助教授 1987年 同准教授 1992年 同教授 1994年 東京大学大学院理学系研究科教授 神経科学という学問がめざすゴールには2つあります。一つは、アルツハイマー病やパーキンソン病など神経疾患の治療法を探る、実学としての医学の目標です。もう一つは理学としての目標、即ちわれわれの心や意識を構成している仕組みが何であるかを理解することです。宇宙とは何か、物質とは何かという問いとともに、人類は長い間自らの存在について考えてきました。古代ギリシャやインド、中国などさまざまな時代の哲学者や宗教家は、己を含むこの世界について深い思考を尽くしてきたわけ
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学び
●2014/01/31 20:32
●研究
●science
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1930年東京生まれ。54年東京大学理学部動物学科卒業。59年同理学部研究科博士課程修了。同年より国立遺伝学研究所細胞遺伝部研究員となり、67年室長、84年教授、92年副所長。その間64~66年ミシガン大学哺乳動物遺伝学センター留学。95年より総合研究大学院大学副学長。日本遺伝学会会長、日本実験動物学会会長などを歴任。マウス研究から広がった活動で、日本だけでなく、今でも年に数回は海外出張をこなす。気がつくといつも駆け足である。 ︵写真=大西成明︶ 中学生時代の私は、鉱石ラジオを組み立てたり、軍艦の模型を作ったり。ものの仕組みが面白かったのです。東京大学での専攻決定のとき、一度は工学部に願書を出したのに締め切り最終日になって動物学に変更したのも、生き物の仕組みに引かれたのでしょう。生物学者の父親に﹁食えねえぞ﹂と言われましたが。 大学院では新進の石田寿老先生の発生生理化学講座に進学しました。
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世の中
●2013/11/26 20:44
●*あとで読む
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1949年 石川県生まれ 1977年 東京大学大学院理学系研究科博士課程修了 東京大学医科学研究所助手 チューリッヒ大学分子生物学研究所研究員 1982年 東京大学医科学研究所助手 1987年 大阪バイオサイエンス研究所分子生物学研究部部長 1995年 大阪大学大学院医学系研究科教授 2002年 大阪大学大学院生命機能研究科教授 2007年 京都大学大学院医学研究科教授 1990年 ベルツ賞 1992年 持田記念学術賞 1993年 日経BP技術賞 1994年 ベーリング賞 1995年 コッホ賞 1996年 ベーリング北里賞 1997年 ラッカサーニュ賞 メロン賞 1998年 朝日賞 高松宮妃癌研究基金学術賞 上原賞 2000年 恩賜賞・学士院賞 2001年 文化功労者顕彰 アポトーシスという言葉は専門外の人も知っている言葉になってきました。プログラムされた死とも言われ、体ができてくる時ある
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学び
●2012/03/02 10:33
●科学
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1939年長崎県生まれ。北海道大学水産学部卒業後、同大学院を経て、68年助手、83年助教授。86年より農林水産省養殖研究所細胞工学研究室長、92年遺伝育種部長。94年より信州大学理学部生物学科教授。車のトランクには、釣り用のゴム長靴と、数種類の手製の網がいつも積まれている。穂高町にて。 生まれは長崎ですが、物心ついた頃から宇都宮で暮らしました。長崎湾に潜って魚を突いたという父の話を聞くたびに、私の心の中に、見たこともない海が憧れとして住みつくようになっていきました。父の話は、子供にとってよほど強烈だったのでしょう。兄弟4人のうち3人までが長じて海に関係する仕事につきました。 子供の頃から生き物好きでしたね。家の近くの大きな松の木の枝ごとにスズメがたくさん巣をつくって、まるで小鳥のアパートでした。ヒナを捕ろうと、物干し竿を2つつないで巣を落とした後、何食わぬ顔で竿は元に戻しておいたのですが、
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世の中
●2011/12/29 21:28
●memo
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1948年 岡山県生まれ 1971年 東京大学農学部水産学科卒業 1974年 東京大学大学院農学研究科 博士課程中退 1974年 東京大学海洋研究所助手 1986年 東京大学海洋研究所助教授 1994年 東京大学海洋研究所教授 2010年 東京大学大気海洋研究所教授 ﹁動物はなぜ旅をするのか?﹂研究人生のほとんど、この問いに向き合ってきました。僕は生き物の動く姿が好きなんです。でも個体の中へあまり深く入っていきたくはありません。生きものをすりつぶして、遺伝子にしてしまったら単なる分子に過ぎないでしょ。ひとつの個体がどんなふうに生きて、どう振る舞うかが面白いのです。行動学をやるときに擬人化することは厳に慎めと言われますが、僕はどうしても﹁なにを考えてこんな行動をしているのだろう?﹂と感情移入してしまうのです。そこが普通の行動学の人とは違う点じゃないのかな。 アユやサクラマスなど、海と川を行き
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学び
●2011/12/02 17:29
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1946年 兵庫県生まれ 1969年 大阪大学基礎工学部卒業 1976年 工学博士︵大阪大学︶取得 1988年 大阪大学基礎工学部教授 1996年 同大学医学部教授 2002年 同大学大学院生命機能研究科教授 同大学院医学研究科教授︵兼任︶ 戦後生まれで高度成長期に育った僕らが小さい時に抱いていた夢は、いわゆるいい大学を出て、大きな会社に入りエンジニアになること。欧米のような豊かな生活を夢見ながら、科学技術で産業を興して、なんとか貧乏から抜け出そうと必死な時代でした。実は僕はエンジニアに憧れをながら、一日中ボールをおいかける野球少年でもありました。中学3年生になって、体格に限界を感じて野球はすっぱりやめましたが、他に熱中できることもなく、勉強もあまり頑張らずに漫然と過ごす毎日になってしまいました。生きものが好きというような得意なところもなく、目立つタイプではありませんでした。大学進学の際、
●
テクノロジー
●2011/09/14 17:52
●生物
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●idea
●読み物
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1924年11月13日、愛知県岡崎市生まれ。京都大学理学部植物学科卒業。1949年に静岡県三島市の国立遺伝学研究所に入る。教授を経て、現在名誉教授。1976年、文化勲章受賞。1968年に分子進化の﹁中立説﹂を発表し、国際的な大論争を巻き起こした。岡崎市名誉市民。 国立遺伝学研究所正面のソテツを前にしたスナップ。学生時代に日除けとして使い始めた帽子が、今ではおしゃれなファッションになっている。ズボン吊りも、長い間愛用している仕事スタイル 前回のこのコーナーに出ていた大澤省三君は、第八高等学校︵現名古屋大学部教養部︶で5年下の同窓です。どちらも、故熊沢正夫先生︵植物学︶の弟子でした。 私は髪の毛が黒いので若く見えるかもしれないけど、来年で満70歳になります。ケンブリッジ大学出版から10年ほど前に出した﹃分子進化の中立説﹄はとても当たって、ずいぶんいろいろな国で翻訳されました。中国語になるという
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学び
●2011/07/02 00:05
3users
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1933年 神戸市生まれ 1956年 東京大学理学部化学科卒業 1961年 東京大学 化学系大学院院博士課程修了 イリノイ大学及びプリンストン大学にて博士研究員 1964年 カリフォルニア大学バークレー校宇宙科学研究所助教授 1969年 金沢大学がん研究所教授 1986年 大阪大学医学部教授 1993年 奈良先端科学技術大学院 大学教授 2001年JT生命誌研究館顧問 小学校4年生の時、先生からモンシロチョウの育て方を教わったのが生きものとのつきあいの始まりなんです。チョウ好きですが、卵や幼虫を捕ってきて育てるのが面白いので、珍しい種にこだわるのでなく、ありふれたチョウが成長していくのにじっくりとつきあうわけです。そうすると、このイモムシはキャベツが好きなのに、別のイモムシはミカン科の葉しか食べないということが分かってくる。多様性が面白いという見方が植えつけられました。今も続いています。
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学び
●2010/10/11 12:45
●研究
12users
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1945年 福岡県生まれ 1967年 東京大学教養学部卒業 1972年 東京大学理学系研究科a博士課程修了 1974年 米国ロックフェラー大学研究員 1977年 東京大学理学部助手 1986年 東京大学理学部講師 1988年 東京大学教養学部助教授 1996年 岡崎国立共同研究機構︵現自然科学研究機構︶基礎生物学研究所教授 2009年 東京工業大学統合研究院特任教授 いろいろな生きものを見ていると、面白い現象に気づいてはっとする機会はいっぱい転がっています。博物学の時代に戻れというわけではありませんが、多様な生きものの生き様を見て、面白いテーマを考えることが今も大事だと思っています。 私の場合は、今の仕事の始まりは、飢餓状態に陥った酵母細胞を顕微鏡で見て、液胞の中で激しく運動している小さい粒を見たことです。当時誰も注目していなかった液胞に、酵母が飢餓を乗り切るための工夫があるのではないか
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学び
●2010/08/31 01:10
●research
●interview
●science
●life
3users
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1939年 大阪府生まれ 1964年 大阪大学医学部卒業 1969年 大阪大学大学院医学研究科修了医学博士 1970年 米国ジョーンズ・ホプキンス大学、リサーチフェロー、客員助教授 1974年 大阪大学医学部助手 1979年 大阪大学医学部教授 1983年 大阪大学細胞工学センター教授 1991年 大阪大学医学部教授 1997年 大阪大学総長 2003年 大阪大学大学院生命機能研究科教授 1982年 ベーリング・北里賞 1983年 大阪科学賞 1986年 ベルツ賞 1988年 武田医学賞、朝日賞 1990年 日本医師会医学賞、文化功労者 1991年 米国科学アカデミー外国人会員、国際アレルギー学会賞 1992年 恩賜賞・日本学士院賞、サンド免疫学賞 1998年 文化勲章 2003年 ロベルト・コッホゴールドメダル 医学には二つの道があります、一つは個人の技術で患者を助けるという、いわゆる名
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世の中
●2010/05/17 07:47
3users
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1942年 東京生まれ 1957年 札幌南高校卒業 1972年 北海道大学大学院医学研究科博士課程修了 1973年 北海道大学医学部助手 1976年 米国コーネル大学医学部客員助教授 1977年 北海道大学環境科学研究科助教授 1979年 北海道大学医学部付属癌研究施設助教授 1986年 大阪大学医学部教授 2006年 大阪大学微生物病研究所寄附研究部門教授 2007年 理化学研究所基幹研究所グループディレクター 2008年 大阪大学産業科学研究所寄附研究部門教授 1982年 日本癌学会奨励賞 2001年 国際複合糖質連合賞︵IGO award︶ 2001年 日本医師会医学賞 2002年 武田医学賞 2005年 紫綬褒章 2008年 国際生化学分子生物学連合︵IUBMB︶メダル 2009年 国際ヒトプロテオーム機構︵HUPO︶功労賞 生まれは東京の永福町ですが、三歳の時に空襲を逃れ祖母の果
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学び
●2010/04/19 10:02
●人物
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1925 年、東京都生まれ。48年、東京大学医学部卒業。53~62年、国立予防衛生研究所免疫血清室長。57~59年、カリフォルニア工科大学化学部研究員。63~70年、小児喘息研究所︵デンバー︶免疫部長。70~80年、ジョンス・ホプキンス大学医学部教授。74~80年、京都大学医学部教授兼任。81~89年、ジョンス・ホプキンス大学免疫学部長。89~96年、ラホイヤアレルギー免疫研究所所長・カリフォルニア大学内科教授。85年、米国免疫学会会長。72年、米国パサノ賞︵照子夫人と共同受賞︶。74年、日本学士院恩賜賞、文化勲章受章。97年、日本学士院会員。99年、勲一等瑞宝章受賞。 2000 年、日本国際賞受賞。 ある日、これを翻訳してくれたまえと、先生に渡された本が﹃The Chemistry of Antigens a
●
世の中
●2009/12/20 10:46
●research
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1940年 東京葛飾生まれ 1964年 早稲田大学理工学部 応用物理学科卒業 1969年 早稲田大学大学院 理工学研究科応用物理学専攻 博士課程終了,理学博士 1969年 名古屋大学理学部物理学科 助手 1973年 九州大学理学部生物学科 助教授 1990年 京都大学理学部 生物物理学教室教授 1995年 京都大学大学院理学研究科 生物科学専攻生物物理学教室 教授 小さな頃は普通の子供でした。今は全くしないけど、当時は野球少年だったり短距離も速かったりとスポーツは得意でした。中学生の終わりに急に背が伸びて、バランスが悪くなったのかな、その後運動はあまりしていませんね。いつも後ろの方に座っている生徒で、授業は全然聞いていませんでした。とにかく数学が面白くて、ピタゴラスの定理には証明法が100あると聞いて、全部自分でできないだろうかと試しました。100まではいかなかったけど、あれこれ考えるのは
●
学び
●2009/08/21 18:54
●research
●Science
4users
brh.co.jp
研究者になろうと思ったきっかけは、小学校2、3年の頃、2000年前の地層から出た蓮の種が美しい花を咲かせたという大賀一郎博士大賀一郎 植物学者。1951年に千葉県の泥炭層より約2000年前の蓮の実を発見、発芽に成功した。この蓮は博士にちなんで﹁大賀ハス﹂と名付けられている。 の研究を新聞で知ったことです。そんなに長い間種が生き続けていたということに強い印象を受けました。この驚きは、﹁生きものがどうやって続いていくのか﹂という今の研究テーマにつながっています。 高校生の時は山岳部に入ったのですが、顧問でクラス担任でもあった春田俊郎先生は、東京大学農学部出身の蛾の専門家。博物学の深い知識を持ち、しかもこれからは物理や化学と一緒になった生物学が大事になると説かれる先進的な方でした。高校の頃に学究肌の先生と出会えたことはよかったと思います。 生物の研究者への道を意識し始めた時に読んだのは、﹃微生
●
世の中
●2009/08/12 16:10
●research
●science
●life
3users
brh.co.jp
1943年 愛知県生まれ 1966年 名古屋大学 理学部卒業 1970年 京都大学 理学部 生物物理学科 助手 1978年 京都大学 理学部 生物物理学科 助教授 1986年 京都大学 理学部 生物物理学科 教授 1999年 京都大学 大学院 生命科学研究科 教授 2000年 理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター長 1988年 塚原仲晃記念賞 1992年 中日文化賞 1993年 大阪科学賞 1994年 朝日賞 1995年 高松宮妃癌研究基金学術賞 2001年 国際発生生物学会ロス・ハリソン賞 慶應医学賞 2004年 文化功労者 2005年 日本国際賞 あまり憶えていないんだけど、3、4歳の頃から虫好きだったらしいですね。住んでいたのは、守山町という所。今でこそ名古屋の住宅街ですが当時は全くの田舎で、魚やカブトムシを取ったり飼ったりして喜んでいました。大人からは﹁虫博士﹂って呼ばれて
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学び
●2008/10/10 12:20
●science
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1929 年 兵庫県生まれ。 1950 年 大阪大学理学部化学科入学 1953 年 大阪大学理学部化学科卒業、同特別研究生となる 1958 年 大阪大学微生物病研究所助手 1961 年 米国カリフォルニア大学︵バークレイ︶ ウィルス研究所研究員 1964 年 仏国コレッジ・ド・フランス︵パリ︶ 実験医学研究室研究員 1966 年 米国ニューヨーク公衆衛生研究所癌ウィルス研究部長 1973 年 米国ロックフェラー大学教授︵分子腫瘍学︶ 1986 年 米国ロックフェラー大学 Leon Hess Professor 1998 年 米国ロックフェラー大学名誉教授 大阪バイオサイエンス研究所所長 1980 年 ハーベイレクチャー 1981 年 リケッツ賞 1982 年 ラスカー賞 1984 年 朝日賞 1985 年 米国科学アカデミー 外国人会員 1986 年 米国癌学会 クルー賞 1991 年 文
●
学び
●2008/08/28 15:53
●history
●Science
5users
brh.co.jp
1939年 福岡県に生まれる 1962年 お茶の水女子大学理学部物理学科卒業 1967年 名古屋大学大学院理学研究科修了(理学博士) コーネル大学化学科博士研究員 1971年 日本学術振興会奨励研究員 1972年 九州大学理学部非常勤講師 九州大学医療短期大学部非常勤講師 1973年 九州大学理学部助手 1989年 名古屋大学理学部教授 1996年 名古屋大学大学院理学研究科教授 東京大学 分子細胞生物学研究所 客員教授 2003年 長浜バイオ大学教授 ︵バイオサイエンス学部長︶ 2005年 お茶の水女子大学学長 私はもともと物理学の出身です。生物物理学という新しい学問に魅かれた時も、物質を理解するように生物を理解できると思っていました。多分多くの生物物理学者がそう期待したはずです。生命活動を担う物質の代表であるタンパク質に興味をもち、まずは物質としての特徴をできるだけ正しく知ろうとしまし
●
学び
●2007/12/02 00:49
●科学
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1935 年旧満州新京生まれ。58年東京教育大学理学部卒業。63年京都大学大学院理学研究科博士課程修了。京都大学理学部助手を経て、70年京都大学霊長類研究所助教授。87年同教授。96年同所長。99年退官。現在、東海学園大学人文学部長。日本霊長類学会前会長。国際学術誌﹃PRIMATES﹄編集長。長年フィールドを歩いてきたが、今は野山をジョギングしながら木の芽や葉、虫などを観察し、オフィスワークで鈍る脳みそを活性化中という。 満州から引き揚げて住み着いた東京の阿佐ヶ谷は、周辺に田園風景が広がっており、メダカやドジョウ、トンボやセミ採りは当たり前のことでした。これといった特徴のない、普通の子供でしたが、意識せずとも植物や動物は、身近で親しい存在でした。学校の教師になれば生物を観察しながら一生を送れると思って、東京教育大学に入りました。卒業研究として選んだのが浦安海岸に棲息していたスナ
●
世の中
●2007/10/03 21:44
●人
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1933 年愛知県生まれ。56年名古屋大学理学部生物学科卒業。58年同大学院修士課程修了後、60年~63年、博士課程在籍中にワシントン大学およびスタンフォード大学に留学。65年名古屋大学理学部助手、67~68年カンサス州立大学客員助教授併任、76年名古屋大学助教授、83年同大学教授、97年退官。同年、藤田保健衛生大学総合医科学研究所教授。街や山を歩き、土をいじるのが忙中の楽しみ。 人は必ずある時と場所に生まれ、生きるのですから、その人生が時代とともにあるのは誰にとっても当たり前のことでしょう。私の場合、生物学の研究を目指すなかで、分子生物学の勃興期に遭遇したこと。もう一つは、女性に対する社会の考え方が転換してく時代を生きたこと。この2つの時代の変化のなかで、自分がどう生きるかを問い続けてきたように思います。そのなかで夫岡崎令治と出会って共同研究できたのは幸せでした。1
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学び
●2007/09/12 14:39
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1932年生まれ。56年東京大学農学部卒業後、同大学博士課程修了。その間58~60年、パデュー大学研究員。63年~91年理化学研究所研究員。66~67年カリフォルニア大学デービス分校助教授。84~90年新技術開発事業団特殊環境微生物プロジェクト総括責任者。88~93年東京工業大学教授。90年より海洋科学技術センターDEEP STARグループリーダー、93年より東洋大学工学部教授、現在に至る。 まだ、自分史を語るほどの齢ではないつもりだが、研究生活を見直し、一人の人間が、なぜこういう仕事をしてきたかを語れたら嬉しい。私の場合、じつは失敗の繰り返しだったのだが、それが思いがけぬ成果を生んだ。今となってはそんな気がする。 小学生のころから理科好きで、電気関係に進みたいと思ったのは、鉛蓄電池の国産化を手掛けていた父の影響だと思う。鉛をかき回すボールミルに穴が開いていて、偶然酸化鉛ができたのが成功の
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学び
●2007/07/28 16:00
●web2.0
●science
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1928年愛知県生まれ。53年東京大学医学部卒業。熊本大学医学部助手、東大医学部助手、助教授を経て、70年同教授。89年理化学研究所国際フロンティア研究システムに移り、97年より同研究所脳科学研究センター所長。東京大学名誉教授。日本学士院会員、王立スウェーデン科学アカデミー外国人会員、英国王立協会︵ロイヤルソサエティ︶外国人会員、ロシア科学アカデミー外国人会員、フランス科学アカデミー外国人会員として、世界を舞台に活躍。小脳の研究で有名だが、常に新しいことを求めないではいられないそのパーソナリティは、﹁大脳的﹂。 手当たりしだい本を読んで、小説家になりたいと思ったこともありました。しかし、旧制第八高等学校に在学の頃、肺結核になって療養所入り、それが人生の方向を決めたのです。隣の部屋に入院していた若い医者が、医学は面白いよ、わからないことだらけで、やりがいがあると熱心に話してくれました。梅雨期
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学び
●2007/02/14 12:16
●研究
●あとで
●科学
●science
●人生
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1918年 米国ニューヨーク州ブルックリン生まれ 1937年 ニューヨーク市立大学卒業 1941年 ロッチェスター大学医学部で医学博士号取得。 ニューヨーク州ストロング記念病院でインターン勤務。 1942年 米国公衆衛生局入局。 沿岸警備隊︵米国海軍︶の船医として数ヶ月勤務した 後、国立衛生研究所(NIH)栄養学部門に異動。 1947年 同酵素部門部長 1953年 ワシントン大学医学部微生物学科教授 1959年 スタンフォード大学医学部生化学科教授 1988年 スタンフォード大学医学部 生化学科 名誉教授 現在も現役で研究を続ける 私の人生は、普通の研究者とはかなり違っています。子どもの頃から科学を目指していたわけではなく、研究のトレーニングを正式に積んだわけでもありません。成り行きでこの道に入ったようなものです。しかし一度ここに入り込んだあとは、酵素に恋をしてしまった。私の出会った酵素た
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学び
●2006/12/03 13:56
●science
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1928 年、北海道生まれ。52年、北海道大学理学部動物学科卒業。同大特別研究生、研究生を経て60年、米ウースター実験生物学研究所研究員。64年、北海道大学研究生。66年、ハワイ大学医学部助教授、准教授。74年、同教授。2001 年、全米科学アカデミー会員に選出される。時間があれば浅瀬でシュノーケリングを楽しむ。 決して優秀でも目立つ子供でもありませんでしたね。むしろ新しい環境に入るのに臆病で、小学校に入学した時も、最初の日は泣き出したい気持ちでした。そんな時、先生が黒板に﹁ミミズが3匹はってきて、あられが3つ降って来て…くるっと回って蛸入道﹂と書いてくれた。それでみんな大笑い。これで、学校に行くのが楽しみになりました。 今から考えると、生物学の道に進むことになったのは、いろいろな趣味をもっていた兄の影響ですね。北海道の冬は長い。待ち焦がれた春が来て、兄と彼の友だちに連れられて山
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学び
●2006/10/25 20:54
●人物
●研究
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