![](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/decab7b24399c78895240936c84982cfa4ecbcfe/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fbunshun.jp%2Fmwimgs%2F5%2Ff%2F1200wm%2Fimg_5f8d9bf78e274bfd9dcf0a6a2d16e93c46308.jpg)
エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント1件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
いまの話題をアプリでチェック!
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
なぜ夏という季節は映画の普遍的なテーマであり続けるのか | 文春オンライン
ユン・ダンビ 私が育った光州市は、山もなければ海もない、地方の小さい街です。この街で育ったことで...
ユン・ダンビ 私が育った光州市は、山もなければ海もない、地方の小さい街です。この街で育ったことで、幼い頃から不安を感じていました。外にはもっと広い世界が広がっていてみんなどんどん成長しているのに、私だけこんな窮屈な所に閉じこもっていていいのかと。どういう大人になりたいかも決まらず、高校生になっても進路については迷ってばかりでした。そんな時、光州劇場という地元の古い劇場に通い始めました。そこでは古い映画をたくさん上映していて、それらを見ていくうちに映画に対して強い親しみを抱き始めました。小津安二郎監督の﹃お早よう﹄を見た時には、初めて本当の友人と出会えた気がして、年代も国籍も違うのにどうしてこんなに感情を共有できるのか不思議でした。初めて﹁ここに友達がいる﹂と感じられた。ソウルに上京し大学で映画の勉強をしようと決めたのは、こうした映画との出会いがあったから。当時は女性監督の数が本当に少なかっ
2024/06/19 リンク