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<書評>『どこにもないテレビ 映像がみつめた復帰50年』渡辺考(こう) 著:東京新聞 TOKYO Web
戦後、歌謡漫談で沖縄中を爆笑の渦に巻き込んだ照屋林助︵りんすけ︶。彼が作った﹁マーニンネーラン﹂...
戦後、歌謡漫談で沖縄中を爆笑の渦に巻き込んだ照屋林助︵りんすけ︶。彼が作った﹁マーニンネーラン﹂という歌がある。沖縄方言で﹁どこにもない﹂という意味だ。著者とこの歌の出会いが、本書のタイトルにつながったという。 沖縄県の放送史をたどり、放送を通して沖縄の戦後史を見つめた本である。まず、沖縄のラジオ放送事始めと初期のテレビ放送の話。一九六〇年代、沖縄では民放で﹁紅白歌合戦﹂がCM付きで放送されていたという。まさに、本土のどこにもない︵マーニンネーラン︶放送だ。 一九七二年の本土復帰後は沖縄社会の本土化が進み、本土風の番組が増えた。だが、やがて自分たちの沖縄文化を深刻ぶらず軽やかに肯定する若者たちが出てくる。共通語に沖縄方言が混じる若者言葉でホンネを語るラジオ番組。沖縄人の本土への劣等感を笑い飛ばすテレビ番組。ボクシングの具志堅用高が、沖縄の人々にとって大きな希望の星だったこともよくわかる。
2022/08/21 リンク