![時事ドットコム:「歴史修正」の見方否定=菅官房長官](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/f76f24656b252a3af05b9d417417ae3bf5295cae/height=288;version=1;width=512/http%3A%2F%2Fwww.jiji.com%2Fimg%2Fsns-logo.jpg)
いつも思うんだけど、否定論というまるで話にならないトンデモが真面目な議論の一つと思われてしまうんでしょうね。まあ従軍慰安婦問題とかも近いかもしれませんが。 やはりトンデモを笑うだけの知識が共有されていないからなんですかねぇ。直感的に「それは変だろ」と思うのも、やっぱりある程度の知識を元にした想像力が働かないと難しいでしょうから。なんというか、否定論の「なかった」とか「捏造」とかいう結論以上に、その過程でチョイチョイ出てくる嘘やゴマカシが微妙に人口に膾炙してしまってるような気がするなあ。「南京の人口は20万人」とか「特殊な兵器を使わずにそれだけ大量に殺すのは無理」とか「便衣兵狩りは合法」とかとか。よく知らないと「そうかも」って思うかもね。何も知らない人がストレートに「バカじゃね?」と思えるようなゴマカシって、実は南京事件否定論にはあんまりない気がする。多少は知らないとわからないような。そうい
http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20080916/p1 に対するブクマで id:fuldagap氏が次のようにコメントされてます。 多くの人の証言と、物証があるから「南京大虐殺はあったのだ」と考える俺は間違っているのか。俺が、なるべく多くの人がハッピーになる方法、を考えるのは、メリットを前提とした誤ったやり口なのか。考え込んだ。 とりあえず前半についてだけ書いておこうと思ったのですが、その前に kmiuraさんが書いておられました(「ベタがベタでなくなったとき」)。以下はほとんど蛇足ですが。 南京大虐殺の場合、過去において「多くの人の証言と、物証」によって虐殺の存在を「証明」する手続きがとられたことがある……のはもちろんたしかです。しかし証言や文書資料がたくさんあるから事実だったのだ、と主張する者は「お前はその文書に目を通したのか」とか「その証言にはどれくらいの
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