学び 深草けいし ℭ.𝔉𝔲𝔨𝔞𝔨𝔲𝔰𝔞 on Twitter: "はてな村をダムに沈めたいと言ってる人を見たことがあるが、私ならばダム底にも残しておかない。地獄の炎で細胞遺伝子いや原子レベルまで焼きつくしこの世から消し去ってやりたい。"
![『深草けいし ℭ.𝔉𝔲𝔨𝔞𝔨𝔲𝔰𝔞 on Twitter: "はてな村をダムに沈めたいと言ってる人を見たことがあるが、私ならばダム底にも残しておかない。地獄の炎で細胞遺伝子いや原子レベルまで焼きつくしこの世から消し去ってやりたい。"』へのコメント](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/6fc6374e534cbfdcc44ea06e5d2679b4eaa6e685/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fpbs.twimg.com%2Fprofile_images%2F1597912434517635072%2FZwkRso08.jpg)
ぶっちゃけ、はてブ使うヒトらって暇人とドヤ顔居士しかいないんで、はてブのコメントが何らかの参考になることってほとんどないんだよね。100文字という文字数制限もあるし。本気で何のメリットもない。つーか別にアンタらなんかに意見なんぞ求めちゃいねえっつーのってか。
なんかもう年がら年中ネットで政治的なこと話してる連中ってそうとう精神がタフなのか、それとも何も苦痛を感じなくなった廃人かどっちかなのか。こっちはもう蓮舫とかアイヌとかってのが流れてくるだけでおなかいっぱいでお釣でゲロ吐きそうだもの。よっぽど他の娯楽がないのかもしれない。
ネットバトルに勝つ為のたった1つのポイント - Hagex-day info この観客を批判してはいけない。観客はレフェリーなんだから、というHagexさんの意見。ブログしかなかった時代なら、そうだったねーと思うんだけど、誰もが気軽に言及できるソーシャルメディア時代において安全な観客席はない。 ブログ時代だって、コメント欄に批判があったら、それはそれでまたコメントを書いた相手とのバトルが発生していた。閲覧者はそれもまた楽しみにしていた。しかし、閲覧者の反応というのは可視化されてしなかったため、どちらが賛同が多かったかというのは、その時点では流れが読めないことも多かった。 それが、はてなブックマークを皮切りに気軽な言及が増えて、ソーシャルメディアの登場によって観客がどんどん可視化されていった。それで、どちらに賛同が多いのかというのわかりやすくなってきた。 ブログ時代のネットバトルというのは、
2015年のインターネットを振り返って、お互い反目しあい、貶しあい、誰かにNoを突きつけあう風景ばかりを思い出した。異なるルールや価値観を信奉しあう個人と個人、グループとグループが理解しあう――せめて相手の存在を許容しあう――ツールとしてtwitterやSNSやブログが使われた風景は稀だった。2015年のインターネットは、わかり合えない人間同士のディスコミュニケーションを映し出す道具だったと思う。 もちろん、ルールや価値観をシェアする者同士は、自分(達)を肯定するために「いいね」の輪を広げあっていた。だが所詮は「わかっている者同士の「いいね」」であり、「自分の似姿に対する「いいね」」であって、自分と違ったルールや価値観に対する「いいね」ではなかった。 社会には、異なるルールや価値観を信奉している人間やグループが無限に存在している。昨今のインターネットは、そのことをよく教えてくれると思う。
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