Posted August. 13, 2019 10:32, Updated August. 13, 2019 10:32 日本軍が1940年代にベトナムを侵略し、「慰安所」を運営したことを示すフランス軍の公式資料が初めて確認された。 国史編纂委員会(趙珖委員長)は12日、フランス国立海外文書館(ANOM)で日本軍がハイフォン、バクニン、ハノイなどベトナム北部の都市に慰安所を設置したとする事実を示すフランス軍の文書を確認したことを明らかにした。ベトナム地域の日本軍慰安所はこれまで口述などで部分的に伝えられていた。 今回確認されたフランス軍の1940年10月7~10日の報告書には、ベトナム北部の港町ハイフォンに進駐した日本の陸軍と海軍が、それぞれ慰安所を「ビエン湖畔」に設置するという内容が含まれていた。報告書は、将校、下士官、兵士に区分された3種類の慰安所を設置するものとし、設立資金はポール
Posted August. 15, 2019 07:32, Updated August. 15, 2019 07:32 モットーは「牛步千里(牛歩で千里を行くという意味)」だと語った。成果が出ないとなると同僚の研究者たちが一人二人と離れた「流行の過ぎた」研究テーマに20年以上専念した。研究費さえ思うように調達できなかったが、あきらめなかった。試行錯誤を経て、また経験した結果は大きかった。123年間変わらなかったX線技術を根本から揺るがす効率良く完成度の高い新技術の開発に、ついに成功した。 李鐵眞(イ・チョルジン)高麗(コリョ)大学電気電子工学部教授の話だ。李教授は、コンピュータ断層撮影(CT)などの医療とセキュリティ、非破壊検査などに広く使われるX線装置のコア部品である「X線管」に代わる次世代X線管(冷陰極X線管)一筋に21年間研究を行った末、世界で初めて開発した。X線管は、X線を直接
一部の進歩的な国会議員らによる任意の集りの「民族の精気を立てる議員の集い」(会長:民主党金希宣議員)が「親日反民族者」のリストに、光復会(クァンボクフェ、会長:ユン・ギョンビン)が載せていない一部の人士らを追加して掲載したことで、物議をかもしている。 日本による植民地時代の35年間の親日の名残りを清算して、民族の精気を具現するということについては、だれも反対しないだろう。ところが、そのようなことは、最大限度の国民的合意と同意をもとにして行われなければならない。何人かの国会議員が集って、それも厳然たる反対意見があるにもかかわらず、せっせと決めつけたり規定づけられるものではない。私たちは「民族精気の集い」が、学界や関係者間の十分な論議も経ずに、なぜこの時点でそんなに大急ぎでリストを発表したのか、さらに光復会が選定していない人士までも「親日反民族者」と規定したのか、皆目分からない。この作業に参加
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