学生支援と東日本大震災に関するhigh190のブックマーク (3)
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羽田貴史、2012、﹁私の東日本大震災日誌―京都市・東京都・仙台市・南相馬市・東広島市﹂﹃東北大学高等教育開発推進センター紀要﹄7先日、ある会議の休憩時間において羽田先生から紀要論文の抜刷を頂いた。すでに、この紀要は東北大学高等教育開発推進センターのウェブサイトで公開されている。 http://www3.he.tohoku.ac.jp/?page_id=700 高等教育﹁研究﹂の姿勢でその会議に出席していたため、私的な記録が綴られた文章を頂いて戸惑ってしまった。中性脂肪率や韓国料理屋のママの話しには困ってしまう。しかしながら、よく読み直してみると貴重な記録であることがわかる。ホットメールの利用︵とそれに対する否定的な反応︶、大学セミナーハウスやオリンピックセンターの利用、迅速なマニュアル作成、パニックに陥った学生への対応など、学ぶべきことばかりである。阪神淡路、東日本のそれぞれから目をそ
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首都圏の大学や専門学校が学生や職員の宿泊研修用として福島県内に設置したセミナーハウスが、相次いで撤退している。 東京電力福島第一原発事故前まで少なくとも5施設あったが、既に4施設が閉鎖し、残る1施設も9月に休館する予定だ。原発事故の風評や利用者数の低迷が要因に挙がるが、撤退後の施設の活用方針は決まらず、受け入れた地元は困惑している。 施設を活用していたのは、芝浦工業大、東京女子医科大、明治大、日本デザイン福祉専門学校︵いずれも東京都︶と独協大︵埼玉県︶の5校。 西郷村にある東京女子医科大のセミナーハウスは、1976年に完成した。﹁那須高原を望む豊かな自然に包まれた環境﹂がうたい文句だったが、震災で施設にひびが入って6年以上使用されず、今春には管理人も不在になった。村は再開の要望を続けたが、かなわなかった。閉鎖理由について、大学側は﹁総合的に勘案した結果﹂と説明するが、村幹部は﹁福島に学生を
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﹁仕事﹂として参加したボランティア 過去の3回,東日本大震災のボランティアに学生の引率として,職場から派遣されている。 今までこの職場でさまざまな仕事を任せてもらったが,もし最も印象に残ったものを挙げろと言われたら,この仕事を挙げるだろう。 そう,ボランティアの引率であったが,私にとっては﹁仕事﹂であった。 仕事としてオフィシャルに,東北の復興にお使いいただくけることが,大変ありがたかった。 私の勤務している大学は神戸にあるので,さまざまな関係者のご尽力で,この仕事をすることができたのである。 勤務先より規模の大きい大学でも,﹁そういうボランティアを学生がしたいといっていたのに,やらせてあげられなかった﹂という話を聞いたことがある。 なぜ本学でできたのかというと,それはひとえに阪神大震災を経験した神戸に立地しているからであり,そのことと相まってさまざまな関係者のお力を集めやすかったというこ
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