ブックマーク / dain.cocolog-nifty.com (19)
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以下、私のやり方であって﹁正解﹂ではないかもしれないのでご承知おきを。 11/30 Amazonより以下のメールが届いた。 お知らせ欄で告知しております通り、2023年11月30日︵木︶をもってアソシエイトツールバーの﹁画像リンク﹂及び﹁テキストと画像﹂リンクを廃止させていただきます。 画像リンク作成機能を使用して作成されたリンクは、2023年12月31日︵日︶以降表示されなくなります ので、画像リンクを掲載されている場合は、お早めに別のリンクへの差し替えのご対応をお願いいたします。 強調表示の内容は、Amazonアソシエイトの﹁お知らせ﹂には載っていない。そのため、twitter で騒ぎになっていないので、このメールが﹁ガセ﹂という可能性もある。 だが、もし本当なら、私にとって、わりとヤバい話になる。というのも、ブログに書影を表示させるため、この機能を使っているから。 そして、画像を表示
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40~60代のおっさん達に、﹁もし若い頃の自分にアドバイスができるなら、何を伝える?﹂と聞きまくって集めた名言集。 聞いた場所も、東京なら赤羽・上野、大阪なら新世界、名古屋なら栄の飲み屋街に限定してる。出てきた答えは、下品で下世話で下半身ネタだらけだけれど、心底その通り!と言いたくなる名言ばかり。 誰も教えてくれなかったけれど、長いこと生きてきて、ようやく身に沁みて分かった、何気ない一言が集められている。職場呑みの宴席とか、独りで入った飲み屋のカウンターで、こっそり教わる人生の教訓だ。 わかる人には痛いほどわかるやつで、分からない人は、きっと、幸せな人生だと言えるだろう。 人は、傷ついた分だけ、性格が悪くなる ラブソングとかで、﹁傷ついた分だけ、人は優しくなれる﹂というフレーズがある。手垢にまみれまくっているが、これはウソ。 あんなの心地いいだけで、タワゴトです。真実は真逆で、傷ついた分だ
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﹁謝ったら死ぬ病﹂をご存知だろうか? どんなに証拠を突き付けても、絶対に非を認めない人だ。 プライドの高さや負けず嫌いといった性格的なものよりもむしろ、過ちを認めることが、自分の命にかかわるものだと頑なに信じている。すなわち、﹁謝ったら死ぬ﹂という病︵やまい︶に取り憑かれている―――そんな人がいる。 もちろん、想像力が衰えて視野が狭く、無知な自分を認めたがらないような頑固者なら、可哀そうに思えども理解はできる。 だが、第一線で活躍する知識人や学者で、ものごとを客観視できるはずなのに、この病気に罹っている人がいる。それどころか、その優れた知性を用いてコジツケを考えだし、論理を捻じ曲げ、のらりくらりと言い逃れる。 なぜ、あの人は、あやまちを認めないのか? ずばりこのタイトルの本書を読んだら、疑問が氷解した。 それと同時に、﹁謝ったら死ぬ病﹂は私も罹患していることが分かった。﹁あの人﹂ほどは酷く
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例えばソフトウェア開発において、 人が増えても納期が短くなるとは限らない 見積もりを求めるほどに絶望感が増す 納期をゴリ押すと、後から品質はリカバリできない これを見て、﹁だよねー﹂﹁あるあるw﹂という人は、本書を読む必要はない。 プログラミングは人海戦術で何とかならないし、﹁厳密に見積もれ﹂というプレッシャーは見積額を底上げするし、納期が優先されて切り捨てられた品質は、技術的負債として残り続ける。経験豊富なエンジニアなら、大なり小なり、酷い目に遭ってきただろうから。 だが、これらを理解できない人がいる。 要員を追加して、手分けしてやれば一気に片付くはず 厳密にやれば、見積りバッファーはゼロにできる 品質のことはリリース後にじっくりやればいい ……などと本気で考えている。これは、ソフトウェア開発とはどういうものか、特性を知らないからだ。こんな無知な人間が経営層にいたり、顧客の代表となった場
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映画観てきた。これは素晴らしいファンタジーだ。 ﹃聲の形﹄は、﹃シン・ゴジラ﹄﹃君の名は。﹄よりも、荒唐無稽だった。前者は﹁ゴジラ﹂、後者は﹁入れ替え﹂が虚構だが、﹃聲の形﹄の"ありえなさ"は、ほぼ全編にわたる。いじめの描写が辛すぎて、原作は1巻しか読んでいない。そのため、この感想は的外れかもしれない。だが、このモヤモヤを溜めると体に悪いので吐き出す。 ﹃聲の形﹄は、聴覚障碍者の女の子と、彼女をいじめる主人公とのボーイ・ミーツ・ガールの話だ。彼はいじめたことを後悔し、暗転した人生を送るわけなのだが、数年の時を経て、再び彼女に会いに行く。彼の救われなさが、﹁×印を付けられた他者﹂や﹁水底からのような音声﹂に表象されており、要所で主観世界がドラスティックに変化するアニメ的な仕掛けは良くできている。特に、﹁その音を感じているのはどのキャラクターか﹂によって、わたしの﹁聴こえ﹂を使い分けているのが
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これはSFなのか? 舞台や小道具が近未来なだけで、中身は骨太ハードボイルド、枯渇しつつある﹁水﹂を巡る、暴力と格差の物語だ。 俗に言う﹁頁を繰る手が止まらない﹂やつ。環境破壊が着々と進む近未来のアメリカを舞台に、奪うもの、守るもの、目撃するもののそれぞれの運命が﹁水﹂に翻弄される様は、寝るタイミングを逸する。 しかも、最初は異なる立場だったものが、﹁水﹂を中心に縒り合わされてゆく構成は、お見事というほかない。持てるものはシェルタリングされた都市に逃げ込み、貧者は国内で難民化する社会。もともと半砂漠地帯だった中西部は深刻な水不足に陥り、水利権をめぐり州どうしが対立・衝突する状況になっている。 ﹁調べて結論を出すべきことがらだったのに、信じるかどうかという問題におとしめてしまった﹂のように、いま読者が目にする警告が、過去形にして自嘲的にくり返されている。さらに、ドルより人民元が幅を利かせていた
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せめて、死ぬときぐらい安らかに逝きたい。 だが、現代の日本では難しいらしい。老いて病を得て寝たきりになっても、そこから死にきるためには、じゅうぶんな時間と金と苦しみを必要とする。寝たきりで、オムツして、管から栄養補給する。痰の吸引は苦しいが、抵抗すると縛られる。何も分からず、しゃべれず、苦しまないと死ぬことすらままならない。 タイトルの﹁欧米に寝たきり老人はいない﹂理由は、簡単だが単純ではない。というのも、﹁寝たきりになる前に︵延命治療を拒否して︶死ぬから﹂が答えであることは分かっていても、なぜ﹁延命治療を拒否する﹂ことが一般化しているか明らかでないから。本書によると、数十年前までは日本と同様に、終末期の高齢者に対し、濃厚医療が普通だったという。欧米では、これが倫理的でないという考えが広まり、終末期は﹁食べるだけ・飲めるだけ﹂が社会常識になった。金の切れ目が命の切れ目。高齢化社会に伴う医療
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意識は科学で説明可能か? このとんでもなくハードな問題に突入する。ギリギリ捻られる読書体験を請け合う。 著者は現役の哲学者、意識という現象を自然科学的な枠組みのもとで理解するという問題︵意識のハード・プロブレム︶に、真っ向から取り組んでいる。﹁物理主義﹂や﹁クオリア﹂、﹁哲学的ゾンビ﹂﹁意識の表象理論﹂を駆使して、科学・哲学の両方に跨がる難問に挑戦する。[wikipedia:意識のハード・プロブレム]に興味がある方は、ぜひ手にして欲しい。深く遠いところまで連れて行かれるぞ。 ハードがあるなら、イージーもある。流行りの認知科学にありがちな、MRIやCT、電気パルスを用いて、脳状態と意識経験の相関を明らかにする研究だ。例えば赤い色を見たとき、脳のどの部位がどのような状態になっているかを解明する問題で、これが意識のイージー・プロブレムになる。怪しげな脳科学者が、﹁脳はここまで解明された!﹂と宣っ
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怒らない人生が欲しい人に。 マスゴミ、経済学者、暴走老人と、世に怒りの種は尽きまじ。新聞読まないのは心の平穏のためだし、オフィスではひたすら平常心、妻の罵倒は御褒美です。それでも﹁イラッ﹂とくる瞬間が怖い。いったん怒りのスイッチが入ったら、どんどんエスカレートして逆上するから。そして、ずっと後になっても何度となく思い出してはネチネチ自分を責めるハメになるから。 なんとかせねばと読んだのが﹃怒らないこと﹄、これは素晴らしい本だった。なぜなら人生変わったから。﹁一冊で人生が変わる﹂ような軽い人生なのかと言われそうだが、違う。﹁怒り﹂の悩みは常々抱えており、ガン無視したり抑圧したり、王様の耳はロバの耳を繰り返してきた。上手くいったりいかなかったり、アンガー・マネジメントはかくも難しい。だが、そういう苦悩を重ねてきた結果、この一冊をトリガーとして一変させるだけの下準備になっていたのだろう。とにかく
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﹁なぜ糞システムができあがるか?﹂の答えは、﹁一つ前の仕事をしている﹂に尽きる。 詳しくはリンク先を見てもらうとして、まとめるなら、自分の仕事のインプットが出来てないので、仕方なく前工程の仕事を代行しているうちに、リソースと気力がどんどん失われているからになる。これはプログラマに限らず、SEからPM、テスタや運用を入れても、当てはまる。﹁何をするのか﹂が決められない経営層が糞だから、あとはGIGOの法則︵Garbage In, Garbage Out︶に従う。 では、どうすればよいか? ﹁“何をするのか”を決めてもらう﹂という回答だと、連中と同じ肥溜めに落ちている。なぜなら奴らの“目標”とは、﹁売上を○%ストレッチする﹂とか﹁新規市場を開拓する﹂といった、現状を裏返した願望にすぎないから。売上アップ/新規開拓のために、どこに注力して、何にリソースを使い、そのために必要な道具︵システム︶を“
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この記事では盛大にネタバレしてるのでご注意を。 未プレイの方には、断言する、ハードごと買う価値がある。ここでは、わたしがプレイしている横で見ていた妻の観点が、あまりにも目鱗だったのでまとめた。 基本、わたしする人、妻みてる人。敵の動線を予測したり、見落としたアイテムを指摘するのが彼女の役目。アクションが好きなわたしと、ギミックやパズルが好きな彼女との役割分担だ。完全に没入して号泣しているわたしと対照的に、冷静に観る彼女からは沢山の気づきと驚きをくれた。﹁ Bill と Joel でビリー・ジョエル、歌手になりたかったんでしょ﹂なんて小ネタを教えてくれたのも妻だ。 そんな妻が、ラストのあの意味深なシーン︵エリーの"okey"︶を観て、こう言った。﹁タイトルには、二重の意味が隠されているね﹂ つまりこうだ。﹃The Last of Us﹄は、二つの解釈の仕方がある。一つは、死地をくぐり抜けてき
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人生は短く、読む本は尽きない。 せめて﹁わたし﹂が知らない凄い本と出合うべく、それを読んでる﹁あなた﹂を探す。それがこのブログに込めた意味であり、このブログを通じて数え切れないほど﹁あなた﹂に教わった。﹁自分の興味=世界のすべて﹂という独善に陥りそうなわたしの蒙を何度も開いてくれた。そんな﹁あなた﹂に感謝を込めて、今年読んだ中から選んだ。 ここで紹介するのは今年読んだスゴ本の一角かつ100%わたしの趣味だ。もっと多様でさらに熱いのを求めるなら、facebook﹁スゴ本オフ﹂をご覧あれ。面白い本をリアルに相互に紹介しあう、宝の山脈になっているから。 フィクション きんいろモザイク 原悠衣 芳文社 かわいいは正義だ。 大事なことだからもう一度、かわいいは正義だ。痛勤電車で揉まれ、仕事でシバかれ、暗い欲望に惑いまくりの中年には、可愛い女子高生のゆるふわな日常が、ものすごく効く。ギスギス息苦しい空
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女は尻だ。異論は認めない。 女は尻だ。異論は認めない。 すべては尻であり、尻にある。美しさ、強さ、優しさを兼ね備えた、あらゆる魅力と本質の表象であり、かつ全人類の故郷であり桃源郷であり、世界でいちばん穏やかで不滅で争いのない場所である。君に、おっぱい山頂への征服欲があることは理解できる。だが、そこは四足から二足へ移行する際、成熟のバロメーターとして採用された代替品だ。山頂を踏破したら清水で潤すべく、谷へ降り蟻の門渡りを目指せ。お尻を賛美することは、おっぱいを否定することにならない︵逆もまた然り︶。 この真理に全力を注いでいるのが、﹃FRaU﹄3月号だ。﹁おしりは女のバロメーター!おしりが上がると人生が上がる!﹂とばかりに、みんなの大好きな魅惑のお尻たちをビシバシ紹介する。尻爛漫の春なのだ。それだけでなく、お尻はダイエットの勘所であり、美尻を目指すトレーニングがキレイにも痩せにもつながること
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珍しい猫本専門店﹁にゃんこ堂﹂。とはいっても、神保町の姉川書店という普通の本屋の中に猫本棚がある構成で、いわば書店内書店なのだ。客足が途切れず、猫好きホイホイとなっている。 エッセイ・コミック・写真集、絵本・小説・専門書と、ひたすら猫・猫・猫づくしで、猫好きにはたまらない棚だろう。大型書店で限定期間で、猫本を揃えることはあっても、ここのように常設しているのは珍しい。猫本専門ネットショップ﹁書肆 我輩堂﹂にも悶絶させられるが、ここのように実際に手に取れるのも嬉しい。 たぶん、今あなたの頭に浮かんだ猫本はだいたいある。﹃100万回生きたねこ﹄﹃猫語の教科書﹄﹃綿の国星﹄あたりがピンとくるが、ありったけを貼っておくので、あなたのイチオシ猫本があるかどうか、探して愉しんでくださいませ。 ﹃ネコを撮る﹄という発想がイイ ﹃ノラや﹄﹃綿の国星﹄は鉄板ですな ﹃ねこのオーランドー﹄も定番と聞く 猫と写真
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質問には質問で返す。詭弁術を駆使し、言葉尻をとらえて後出しジャンケンする。﹁無知の知﹂とは、﹁知らないということを知っている﹂よりも、﹁僕は無知だから教えて﹂と先にジャンケン出させるための方便だ。論敵を排し、取り巻きを並べたら、後はずっと俺のターン。 騙されるな、ソクラテスは、とんでもない食わせものだ。太ったソクラテスよりも、痩せたブタのほうがマシだ、ブタは食えるが、ソクラテスは食えない奴だから。 比喩でもって説明した後、その比喩が事実であるという前提で論を重ねる。反論もそう、極端な例外を持ってきて事足れりとみなし、一点突破全否定オッケーとするのは酷すぎる。さらに多重レトリックが汚い。AをBに、BをCに言い換えて、最後のCにだけ噛み付くオオカミの強弁だ。﹁詭弁のガイドライン﹂を参照し、どれを用いているか確認しながら読むと、良い︵?︶勉強になるだろう。 修飾語と関係代名詞が多用される文章は、
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面白い本の探し方を教えよう。 図書館限定だが、的中率は100パーセントだ︵ソース俺︶。面白いかそうでないかは、もちろん好みによる。読書経験やそのときの興味、コンディションによっても左右される。だが、誰かを夢中にさせた本なら、あなたを虜にするかもしれない。手に取る価値は充分にある。 では、﹁誰かを夢中にさせた本﹂をどうやって見つけるか?書店の新刊と違って、図書館なら、ちゃんとその跡が残っている。 それは、本の﹁背﹂。本のてっぺん︵天︶から背を眺めてみよう。少し斜めになっているはずだ。本を開くと、表紙に近いページが引っ張られ、背がひしゃげる。本を閉じると、引っ張られたページが戻ろうとする。つまり、一気に読まれた本の背は、ひしゃげたまま戻らなくなる。途中で放り出されたり、中断をくり返したなら、新刊本のように真っ直ぐなまま。 試みに、ちょい昔のベストセラーを見るといい。気の毒なくらいひしゃげている
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それは本へのアクセシビリティ。本を手にするハードルを低い順に並べると、次の通り。 1. 図書館 2. 書店 3. amazon 図書館がいちばん簡単だ。そこに実物があるし、興味があれば手にとって傍らの椅子に座って読めばいい。時間がなければ片端から借り出してしまえばいい。コストゼロで、﹁その本に集中する時間﹂が、純粋に投資となる。どんな本が読まれているかは、張り紙や図書館のウェブサイトで確認できる。そこで、流行りのベストセラーとは別に、長く読まれている隠れた名著を見つけるかもしれない。 次は書店。﹁フリー戦略﹂なんてカコイイ用語があるみたいだが、あにはからんや、本屋は昔から実戦してきたよね、﹁立ち読み﹂で。小奇麗にパッキングして、試し読みも置かないような本屋は、その戦略を捨てているといえる。ただし、誘惑に気をつけなければならない。﹁レジに持っていくまで騙せたら勝ち﹂なんてやつだ。Popやレイ
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俗物ガウスと堅物フンボルト。ふたりの交錯する人生が面白い。 れっきとした文芸書なのに、専門書のようなタイトルで損している。史実を織り交ぜながら書き手の自由にフィクションを作り上げている。この立ち位置は、時代小説と一緒。 ガウスを奇数章、フンボルトに偶数章に重ね合わせ、二人の途方もない人生を描く。もしも﹁偉人﹂を等身大の人間として描いたら、傍目には﹁奇人﹂に見えるだろうね――その想像ど真ん中どおり、期待を裏切らない。 まず、ガウスが不憫で不憫でならんかった。 ﹁数学王に、俺はなる!﹂とは宣言しなかったものの、彼の生涯で数学に費やされた時間はあまりにも少ない。生まれた時代を完璧に間違えてたね、生活の糧のためにその知性を使わせたのは神の誤算とも人類の失策ともいえる。その一方で、娼家と正妻を行き来し、ヤることと研究を両立させている世知に長けた一面が垣間見えて、非常に興味深い。 たとえば、新婚初夜の
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■要求仕様とは 要求仕様とは、開発するシステムに対する顧客のニーズのこと。要するに﹁お客さんがやりたいこと﹂そのもの。仕様調整で紛糾したときの決め台詞﹁結局アナタは何がしたいの?﹂の︻何︼に相当する。仕様トラブルの100%はこのスレ違いによる。 要求仕様について考えるために、ちょっとした質問に答えてみよう。以下のa. b. のうち、﹁要求仕様﹂を表現しているのはどちらになるだろうか? a. 身長57メートル体重550トン b. 汎用人型決戦兵器 まず a. を考えてみる。これは﹁何﹂だろうか?これは﹁何﹂かのスペックだ︵しかも部分的だ︶。身長・体重は分かるが、横幅や厚み、姿かたち、素材 etc... は分からない。これは受注側が﹁○○はどうするの?﹂といちいち問い合わせる必要がある。当然、聞くのを忘れたスペックは製造者の﹁思い﹂で作られるリスクを負う。 次に b. はどうだろう。身長・体
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